東征を終えたヤマトタケルは,足柄の坂の神を「ヒル(野びる)」の片割れで殺し,頂きから振り返ります.
「吾妻はや」----
古事記 人代篇 其の三 (口語訳古事記 三浦祐介 文藝春秋)
足柄の坂本に到り,食(お)し物を口に運んでおった時に,その坂の神が白い鹿に姿を変えてヤマトタケルの前に来立ったのじゃ.
それで,すぐさまその食い残しのヒルの片割れを,狙いすまして投げつけると,白い鹿の目にあたっての.鹿はころされてしもうた.
それで,何ごともなく坂を登り,頂きに立つと彼方を見はるかし,
「吾妻(あずま)はや」と言うて,三たび嘆かれたのじゃ.
(走水の海の渡りの神に実を捧げたわが妻,オトタチバナヒメのことを思い起こされたのよう)
それで,足柄の坂より東の国を,アズマと呼ぶのじゃ.
古事記で描かれたヤマトタケルの物語では,この後,3種類の植物が登場します.いずれも歌に歌われる形で.
シラカシは「クマカシ」と表されていますが.
「松」
東征からもどり,ミヤズヒメと結ばれたヤマトタケル.伊服岐(いふき)の山の神を平らげに向かいますが,できぬまま山をくだります.さらに当芸野(たぎの)から尾津の前(おつのさき)に出て松の木の元で腰を下ろすと,旅立つ時に置き忘れた太刀がそのまま残されていることに気づきます.
それで歌ったのが次の歌.三浦祐介氏は,民間に伝えられる“松ほめ歌”だっだと推測しています.
をはりに ただにむかへる
をつのさきなる ひとつまつ
ひとにありせば
たちはけましを
きぬ着せましを
ひとつまつ あせを
尾張の方(かた)に まっすぐに向きあう
尾津の崎なる 一つ松
ああなつかしき 一つ松
なんじが人であったなら
太刀を佩(は)かせてみましょうものを
衣を着せてみましょうものを
一つ松 ああなつかしき
「クマカシ(シラカシ)」
ヤマトタケルが能煩野(のぼの)に到って,倭(やまと)の国を思い出して歌った,いわゆる“国思(しの)い歌”の二つ目に.髪飾りにするクマカシが歌われています.
いのちの またけむひとは
たたみこも へぐりの山の
くまがしが葉を うづにさせ
その子
命継ぎ 倭へもどる人たちよ
畳みの薦(こも)を重ねた 平群(へぐり)の山の
そのクマカシの葉を 髪飾りにせよ
倭へ向かう者たちよ
「ところ(ヤマノイモ)」
https://matsue-hana.com/hana/yamanoimo.html
“国思(しの)い歌”を歌った後,ヤマトタケルの病はにわかに重くなり,
“をとめの とこのべに”の歌を歌い終えたかと思うと,そのまま息が絶えてしまいます.
妃や御子たちは“葬(ほむ)り”をとり行い祈ります.そして喪屋(もや)にそって作られた泥田に入って,腹這いになり転げまわりながら哭きつつ歌った歌.
なづきの田の いながらに
いながらに はひもとほろふ
ところづら
泥んこの田に残る 稲の茎に
その稲の茎に 絡まり這い廻る
山の芋の蔓よ
ヤマトタケルの魂はその骸(むくろ)から抜け出て,八尋(やひろ)もの白い鳥になり,天に翔(かけ)り浜に向かって飛び去りました.