古事記 橘2
“イクメイリビコの大君(第11代 垂仁天皇 すいにんてんのう)が永久の命を得ることができると,タヂマモリに探させたトキジクノカクの実がタチバナ(橘)”
と古事記は記します.
この物語は,垂仁記の一番最後に付け足したように配され,前後とつながりはありません.
改めて “三浦祐介訳・注釈 口語訳古事記[完全版]文藝春秋”から,引用させて頂きますが,
その前に,少しだけ解説を---
▽サホビメ この口語訳での挿入文に出てくるサホビメは,イクメイルビコ(垂仁天皇)の妃で,垂仁記の大部分は,サホビメと息子ホムチワケの物語で構成されています.
サホビメの実の兄サホビコは,妹サホビメにイクメイルビコを殺すように命じます.一度は承諾したサホビメ.小刀でイクメイルビコの首を刺そうとしますが---
▽トキジクノカク
変わった名前のようにみえますが,
三浦祐介氏によれば
トキジクは,形容詞トキジシ(時がない,永遠不滅の,の意)の名詞形.
カクは,輝く.
”いつまでも輝きわたる木の実”という,すばらしい名前がトキジクカク.
永遠の命は,何処の国でも支配者に共通した希求で,古代中国では“仙薬”が有名(三浦祐介).
仙薬 日本国語大辞典
① 飲むと仙人になるという薬.不老不死の薬.仙丹.
※霊異記(810‐824)上「『逕ること八日,夜,銛き鋒に逢はむ.願はくは仙薬を服せ』といひて」 〔史記‐始皇本紀〕
トキジクノカクをようやく手に入れたタヂマモリが戻ってみると,派遣した天皇は亡くなっています.三浦祐介氏は「古代の人びとの人間の死に対する認識の確かさがよくわかる逸話」としています.
タヂマモリも息絶えてしまいますが,日本書紀では自死と伝えています.
古事記では,タヂマモリが突然消滅してしまうという書き方で,“常世の国”という異界からこの世に戻ったタヂマモリは“時間の違いに曝されて,そうなるしかなかった”というのが三浦氏の解釈.浦島太郎と同じというわけですね.
さて,このイクメイリビコの大君の御代のことで,いま一つ語っておかねばならぬことがあるのじゃ.それはサホビメの出来事とは離れた伝えじゃ.
大君は,ある時,三宅の連らが祖(おや),名はタヂマモリを常世(とこよ)の国に遣わして,トキジクノカクの木の実を探させたのじゃった.この実を食べると永久の命を得ることができると言われておる木の実での,海の彼方の,誰も行き着くことのできぬ常世の国にあると言われておる木の実じゃった.
大君になると,尽きぬ命がほしくなるのかいの.この老いぼれなど,いつまでも生きていたいとは思わぬがの.
仰せを受けたタヂマモリは,長い時を経た苦しみの末に,ようやくのことで常世の国に行き着いての,そのきのみを採り,縵八縵(かげやかげ),矛八矛(ほこやほこ)に作って持ち帰ってきたのじゃ.
縵(かげ)というのは,木の実を縄に下げて輪にしたものでの,矛というのは,串に木の実を刺し通したものじゃ.ほれ,干し柿を作る時にも,縄を輪にして下げたのと串に刺したのと,二通りの形にして神に供えるじゃろうが,あれと同じ形じゃ.
ところが,常世の国から戻ってみると,大君はすでになくなっていたのじゃった.それで,タヂマモリは,その半ばの縵四縵(かげよかげ),矛四矛(ほこよほこ)を太后ヒバスヒメに奉るとの,残りの縵四縵(かげよかげ),矛四矛(ほこよほこ)を大君の御陵(みはか)の前に奉り置き,その木の実を捧げての,哭(な)きながら,
「常世の国のトキジクノカクの木の実を持ち帰り上り参りました」と叫んだのじゃ.
そして,叫び哭(な)きながら.そのままの姿でタヂマモリも息絶えてしもうた.
永久の命を手に入れるための木の実じゃったが,行かせたものも行ったものも,死んでしもうたとはのう.
これが人の世の定めじゃ
そのトキジクノカクの実というのはの,今のタチバナのことじゃ.