「植物をたどって古事記を読む」シリーズ
昨日とりあげた
ニラ(からみ)とサンショウ(はじかみ)
yachikusakusaki.hatenablog.com
に続き,今日は--
ユリ
古事記では,“山由理草”の名で記されています.佐韋考−山由理草之本名をめぐって(三浦佑之)
是に、その伊須気余理比売命の家、狭井河の上に在り。
天皇、その伊須気余理比売の許に幸行して、一宿御寝し坐しき。
<その河を佐韋河と謂ふ由は、その河の辺に、山由理草多に在り。
故、その山由理草の名を取りて、佐韋河と号けき。
山由理草の本の名は佐韋と云ふ>
三浦祐介氏の現代語訳では,これを“ヤマユリ”と訳していますが,“山由理草”は,現在ヤマユリと呼ばれている種ではなく,ササユリをさしています.
ヤマユリの写真<1> - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸 ササユリ群生地(北野農村公園「治郎兵衛のイチイ」) | ひだ荘川|荘川町まちづくり協議会
▽三浦氏も,別の稿(“ヤマユリの元の名はサヰ”の考察)では,“山ゆり(笹ゆり)”と記しています.
おそらく,狭井河の辺には山ゆり(笹ゆり)が多いことから,ユリ(百合)という語が導き出され,そのユリが,懸け詞がそうであるように「ユリ(後に)」という意味を連想させ,そこからユリ(後)の対になるサキ(先・前)=サイが浮上して,音の相通する地名サヰが説明されることになったのである.
▽湯浅浩史氏による日本大百科全書の解説では,古事記に描かれるユリはササユリであることを,次のような文章の中で明示しています.
“奈良市の率川神社(いさがわじんじゃ)で開かれる6月17日の三枝祭(さいくさのまつり)(百合祭)には,ササユリを手にした巫女(みこ)がササユリを供えた神前で舞う.
祭神の伊須気余理比売命(いすけよりひめのみこと)は『古事記』によるとササユリの古名佐韋(さい)にちなむ狭井川(さいがわ)の地に住んでいたとされる”
三枝祭(さいくさのまつり) | 率川神社(いさがわじんじゃ)
▽万葉集の解説の文章になりますが,ヤマユリとササユリは生育する地域が異なり,関西地方でユリと書かれた場合には,その多くはササユリであることが,次のように記されています.
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山田卓三 万葉植物つれづれ(大悠社)
ヤマユリは中部地方以北に,ササユリは中部地方以西に分布します.山野のユリを詠んでいる場合.関東ではヤマユリ,関西ではササユリを指すと考えられ,「筑波嶺(つくばね)のさ百合の花---」の百合は確実にヤマユリです.
家持が越中で詠んだ百合もヤマユリですが,坂上郎女(さかのうえのいらつめ)や紀豊河(きのとよかわ)などが詠んでいるユリはすべてササユリと思われます.
古事記では,
東征後のイハレビコ(神武天皇)の妻求めの場面で,ユリが登場します.
日向に坐したとき妻としたのがアヒラヒメでしたが,東征後求めたのはイスケヨリヒメ.
さて,そのイスケヨリヒメの家は,狭井(さい)河のほとりにあっての,
大君は,そのイスケヨリヒメの許(もと)に出かけていって,一夜の共寝(ともね)を楽しんだのじゃった.
そうじゃ,その河をサヰ河と言うわけはの,その河のほとりにヤマユリが多く咲いておったからじゃ.それでの,そのヤマユリの名を取ってサヰ河と名づけたのじゃ.
というのはの,ヤマユリの元の名はサヰと言うたからじゃった.