あわふには からみひともと
そねがもと そねめつなぎて
アワ畑に生えた ニラがひと本(もと)
その根元から その根も芽も繫(つな)いで根こそぎに
かきもとに うゑしはじかみ
くちひひく われは忘れじ
垣根のわきに 植えたハジカミ
口がひりひり 忘れはしないぞ
「植物をたどって古事記を読む」シリーズ
久々の今回.とりあげるのは,
ニラ(からみ)とサンショウ(はじかみ).
冒頭に引用した形で登場します.
いずれも,カムヤマトイハレビコ(神武天皇)が“東征”のおり,敵を倒す際に歌われた歌の一節.
ニラは,畑に生えてきた雑草として根こそぎ刈ってしまう対象として.
また,サンショウは口をひりひりさせる忘れられない辛さの象徴として歌われています.
少し遡って,カムヤマトイハレビコの出生から東征,ニラやサンショウが詠み込まれた歌にいたるあらすじを.
これまで通り,“三浦祐介訳・注釈 口語訳古事記[完全版]文藝春秋”によって.
ワニの姿で子を産むところを夫ホヲリ(ヤマサチビコ)に見られたトヨタマビメは,ワタツミの国へ帰ってしまいます.
しかし,代わりに妹のタマヨリビメをつかわし,わが子アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズを養育させます.
アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズは,育ての親タマヨリビメを妻とし,四人の子どもをもうけます.
御子の名は,イツセ,イナヒ,ミケヌ,ワカミケヌ(イツセ,カムヤマトイハレビコ).
この4名のうち,イナヒは海原に,ミケヌは常世の国(水平線の彼方にあるユートピア)へ渡ってしまいます.
高千穂の宮に残されたのはイツセとカムヤマトイハレビコ.
ここで神代編 其の六は終了し,其の七 東へ向かうイハレビコへ.
三巻からなる古事記では,中巻へ入ることになります.
カムヤマトイハレビコと,同じ母タマヨリビメから生まれた兄のイツセとの二柱の御子は,高千穂の宮に坐(いま)して話し合(お)うての,そこでイハレビコは,兄イツセに言うたのじゃ.
「いかなる地(くに)に住まいすれば,平らかに天(あめ)のしたのまつりごとを治めることができましょうか.ここから出でて東(ひんがし)に行きませんか」
そして,二人はすぐさま日向(ひむか)の高千穂の宮を発って筑紫(つくし)に向こうたのじゃった.
二人は,豊に国の宇沙(現在の大分県宇佐市),筑紫(現在の福岡県),吉備(現在の岡山県)と所を変え,大阪へ.
登美に住むナガネビコとの戦いで,兄イツセは手傷をうけ,亡くなってしまいます.
熊野では,タカクラジから奉られた刀で,山の荒ぶる神を倒します.
しかし,タカギの大神曰く「天つ神の御子よ,ここから奧へ入ってはいけませんぞ.荒ぶる神がひしめいているからだ」.
そして大神が遣わしたのがヤタガラス.
「御子はヤタガラスの発(た)ち行く後をたどり行きなされ」
ヤタガラスの後をついて行くと,次々に出会ったのが国つ神たち.
魚を取っていた鵜養(うかい)の祖ニヘモツノク,泉の中から出てきた吉野の首(おびと)の祖ヰヒカ,岩を押しのけて出てきた吉野の国巣(くず)どもの祖イハオシワクノコ.
彼らは,カムヤマトイハレビコを迎えるために出てきていますが,抵抗して策略を巡らしたり戦を仕掛けたりする者もいました.
宇陀のエウシカは,堕(お)としの仕掛けを作って御子を待ちますが,弟オトウカシの知らせで難を逃れたカムヤマトイハレビコは,逆にエウシカを仕掛けに追い込んで殺してしまいます.
忍坂(おさか 奈良県桜井市の地名)の岩穴で待ち構えていた土雲ヤソタケルには,饗(あえ)の物を与え,宴のさなかを襲って皆殺しに.
その後,トミビコを撃とうとしたときに歌ったのが,歌詞にニラが入った歌,並びにハジカミが入れられた歌.
みつみつし くめの子らが
あわふには からみひともと
そねがもと そねめつなぎて
うちてしやまむ
力にあふれる 久米の子たちが
アワ畑に生えた ニラがひと本(もと)
その根元から その根も芽も繫(つな)いで根こそぎに
みな撃ってこそ止めようぞ
つみつし くめの子らが
かきもとに うゑしはじかみ
くちひひく われは忘れじ
うちてしやまむ
力にあふれる 久米の子たちが
垣根のわきに 植えたハジカミ
口がひりひり 忘れはしないぞ
みな撃ってこそ止めようぞ