植物をたどって古事記を読む
ノビル 野蒜
古事記には「ノビル」が2箇所に登場します.
初めの場面は,ヤマトタケルが東征から帰途につく途中,足柄の坂で,坂の神が姿を変えた白鹿に向けて投げつけた「食い残しの“ヒル” 」として.
2カ所目は,ホムダワケ(応神天皇)が歌った歌の中で.御子のオホサザキ(後の仁徳天皇)にカミナガヒメを譲ったのちの秋の実りを言祝(ほ)ぐ宴で歌われたものです.
ノビルは古来から春先の重要な野草菜で,縄文遺跡からも出土しているとのこと.
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ノビル のびる / 野蒜
[学] Allium macrostemon Bunge,Allium grayi Regel
文化史
縄文時代すでに食用にされ,東京都八王子市宮下遺跡の勝坂(かっさか)式深鉢形土器の中から,炭化したノビルの鱗茎(りんけい)が出土した.
古代にも春先の重要な野草菜であったとみえ,『古事記』に応神(おうじん)天皇の歌として,「いざ子ども野びる摘みに,ひる摘みに……」が載る.
『万葉集』には調味料の一つとして「醤酢(ひしほす)に蒜搗(ひるつ)き合(か)てて鯛願ふ我にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)」(長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ),巻16)と詠まれる.
古事記 人代篇 其の三 (口語訳古事記 三浦祐介 文藝春秋)
(ヤマトタケルは)
そこからなおも奥に分け入り,行き遭(あ)うごとに荒ぶる蝦夷どもを言向け(服従させ),また,山や河の荒ぶる神どもを平らげ和らげ,ようやく東の果てをきわめての,踵(きびす)を返して都へと帰り上る道中(みちなか)のことじゃった.
足柄の坂本に到り,食(お)し物を口に運んでおった時に,その坂の神が白い鹿に姿を変えてヤマトタケルの前に来立ったのじゃ.
それで,すぐさまその食い残しのヒルの片割れを,狙いすまして投げつけると,白い鹿の目にあたっての.鹿はころされてしもうた.
古事記 人代篇 其の五 (口語訳古事記 三浦祐介 文藝春秋)
すぐさまタケウチノスクネが大君(ホムダワケ 応神天皇)に頼んでくれての,そのお蔭で,大君はカミナガヒメをオホサザキ(後の仁徳天皇)に賜ることを許したのじゃ.
その賜(たも)うたさまはというと,大君が秋の実りを言祝(ほ)ぐ宴を催した日に,柏の葉に盛った祝いの酒をカミナガヒメに持たせての,それを御子(オホサザキ)に捧げさせ,与えたのじゃった.
その折りに,大君は歌を歌うた.
いざ子ども のびるつみに
ひるつみに わがゆく道の
かぐわし はなたちばなは
ほつえは とりゐがらし
しづえは ひと取りがらし
みつぐりの なかづえの
ほつもり あからをとめを
いざささば よらしな
さあいとしい子 ノビルを摘みに
ヒルを摘みにと われが行く道のほとり
かぐわしく咲く ハナタチバナは
上の枝は 鳥が咋(く)い散らし
下の枝は 人が摘んで枯らし
三つ並ぶ栗の実の その中ほどあたりの枝の
色づいたつぼみのごと 美しく輝くおとめを
ああ,刺せれば いかにうれしかろう