江戸時代,絵画さらには花札に「臥猪の床」として描かれた猪.
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有形文化財 – 近世絵画コレクション - 千總文化研究所 / Institute for Chiso Arts and Culture
もともとは平安時代以降の和歌に取り上げられ,兼好法師が次のように書き記したことはよく知られています.
和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、恐ろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。
(和歌は、やはり趣深いものだ。身分の低い下民・木こりのような賤しい者のやる事も、和歌に詠めば情緒があり、おそろしい猪も「ふす猪の床」と言えば、優雅になる。
徒然草 現代語訳つき朗読|第十四段 和歌こそ、なほをかしきものなれ )
万葉集にも,「しし」「鹿猪(しし)」が取り上げられていますが,
「ふつう食用獣をさすとするが,カモシカ説も有力である」(鳥居正博 古今和歌歳時記)とのこと.
478 -----朝狩りに鹿猪踏み起し,夕狩りに鳥踏み立て,----(長歌)
3428 安達太良の 嶺に伏す鹿猪(しし)の ありつつも 我れは至らむ 寝処な去りそね
(安達太良山の鹿猪がそのまま寝床を変えないように、私はいつもの寝床に行く。だからそのまま寝床を変えないでほしい。
万葉集 第14巻 3428番歌/作者・原文・時代・歌・訳 | 万葉集ナビ )
猪は,古代において,人間生活と多様な関わりを持っていましたが,
「畑作農耕においては厄介視される一方,冬場のタンパク源たる貴重な獲物」(精選日本民俗学辞典 吉川弘文館)という位置づけ.
信仰の対象,慈しむ対象ではなかったようです.
古事記においても,猪は,時に山の神の化身になることはあっても,獰猛な獣として描かれています.
例えば,人代篇,其の四では,オキナガタラシヒメ(神功皇后)から生まれた御子(後の応神天皇)を亡きものにしようと待ち構えていたカゴサカ(応神天皇と異腹の御子).
戦の勝利を祈った狩(ウケヒ狩り 狩りの獲物が有るか無いかによって神意を聞こうとする行為)で,クヌギの木に登って獲物を待っていると,猪に襲われ命を落としてしまいます.
しかし,クヌギはドングリの木.
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この木に登って獲物を待つという行為自体,世継ぎとしての資質を疑わせる描写ですね.
この御子たち(カゴサカとオシクマ)は,オキナガタラシヒメに異腹の御子が生まれたと聞いての,待ち受けて殺そうと思うて,前もって斗賀野(とがの)に出かけて行き,戦さの勝ちを祈ってウケヒ狩りをしたのじゃ.
そうして,カゴサカがクヌギの木に登って獲物を待っておると,大きな暴れイノシシがやってきての,そのクヌギの根元を掘って木を倒し,木の上にいたカゴサカを食い殺してしもうた.