「臥猪の床」として平安時代以降,和歌などに取り上げられたイノシシ.“恐ろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。”(徒然草) しかし,古代においては,タンパク源であると同時に厄介で獰猛な獣としての位置づけでした.古事記では,クヌギに登って獲物を待っていたカゴサカ(応神天皇と異腹の御子)を食い殺す場面が描かれます.“そのクヌギの根元を掘って木を倒し,木の上にいたカゴサカを食い殺してしもうた”(三浦祐介訳 口語訳古事記)

江戸時代,絵画さらには花札に「臥猪の床」として描かれた猪.

 

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2021/10/08/235311

f:id:yachikusakusaki:20211009011833j:plain

有形文化財 – 近世絵画コレクション - 千總文化研究所 / Institute for Chiso Arts and Culture

 

f:id:yachikusakusaki:20211009001220j:plain

 

 

もともとは平安時代以降の和歌に取り上げられ,兼好法師が次のように書き記したことはよく知られています.

 

兼好法師 徒然草

 和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、恐ろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。

(和歌は、やはり趣深いものだ。身分の低い下民・木こりのような賤しい者のやる事も、和歌に詠めば情緒があり、おそろしい猪も「ふす猪の床」と言えば、優雅になる。

徒然草 現代語訳つき朗読|第十四段 和歌こそ、なほをかしきものなれ )

 

万葉集にも,「しし」「鹿猪(しし)」が取り上げられていますが,

「ふつう食用獣をさすとするが,カモシカ説も有力である」(鳥居正博 古今和歌歳時記)とのこと.

 

万葉集

478 -----朝狩りに鹿猪踏み起し,夕狩りに鳥踏み立て,----(長歌

 

3428 安達太良の 嶺に伏す鹿猪(しし)の ありつつも 我れは至らむ 寝処な去りそね

安達太良山の鹿猪がそのまま寝床を変えないように、私はいつもの寝床に行く。だからそのまま寝床を変えないでほしい。

万葉集 第14巻 3428番歌/作者・原文・時代・歌・訳 | 万葉集ナビ )

 

 

猪は,古代において,人間生活と多様な関わりを持っていましたが,

「畑作農耕においては厄介視される一方,冬場のタンパク源たる貴重な獲物」(精選日本民俗学辞典 吉川弘文館という位置づけ.

信仰の対象,慈しむ対象ではなかったようです.

 

古事記においても,猪は,時に山の神の化身になることはあっても,獰猛な獣として描かれています.

例えば,人代篇,其の四では,オキナガタラシヒメ(神功皇后)から生まれた御子(後の応神天皇)を亡きものにしようと待ち構えていたカゴサカ(応神天皇と異腹の御子).

戦の勝利を祈った狩(ウケヒ狩り 狩りの獲物が有るか無いかによって神意を聞こうとする行為)で,クヌギの木に登って獲物を待っていると,猪に襲われ命を落としてしまいます.

 

しかし,クヌギはドングリの木.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2021/10/06/235317

この木に登って獲物を待つという行為自体,世継ぎとしての資質を疑わせる描写ですね.

 

三浦祐介訳・注 口語訳古事記 文藝春秋より

f:id:yachikusakusaki:20190220172338p:plain

 この御子たち(カゴサカとオシクマ)は,オキナガタラシヒメに異腹の御子が生まれたと聞いての,待ち受けて殺そうと思うて,前もって斗賀野(とがの)に出かけて行き,戦さの勝ちを祈ってウケヒ狩りをしたのじゃ.

そうして,カゴサカがクヌギの木に登って獲物を待っておると,大きな暴れイノシシがやってきての,そのクヌギの根元を掘って木を倒し,木の上にいたカゴサカを食い殺してしもうた.