写すだけ万葉集をこのブログではじめたときにも書いたように,和歌に全く疎い私です.それでも,万葉集の中には知っている歌,そして思い出に残る歌もあります.
その中に,額田王と大海人皇子の贈答歌があります.どなたもがご存じかと思いますが---.
額田王には憬れました.思春期に出会ったためとも思いましたが,額田王 - Wikipedia によると,額田王はつぎのような小説,漫画,舞台でも多く取りあげられているそうです.まさに万葉の時代のヒロインですね.(里中満智子さんによれば,これは男性目線による決めつけかもしれません.「強い女性が歴史を動かす」 里中満智子さん|WOMAN SMART|NIKKEI STYLE )
額田王を扱った作品額田王 - Wikipedia
『額田女王』 井上靖の歴史小説.1980年に朝日放送でドラマ化.新潮文庫また「井上靖全集」第19巻(新潮社)
『茜に燃ゆ 小説額田王』 黒岩重吾 中央公論社のち中公文庫 各上下巻
『篁破幻草子』 結城光流の小説.
『天の果て地の限り』 大和和紀の漫画.「大和和紀自選集」第2巻(講談社)所収.1984年、松竹歌劇団によって「NUKATA 愛の嵐」の題名で舞台化された.
里中満智子作『天上の虹』持統天皇物語中の額田王の章はOSK日本歌劇団によって舞台化された.
そして,ムラサキという植物,紫根染めにも思いをはせるように.
紫根が生薬としても有用ということはかなり後から知ったこと.血中の熱を除去する作用を持ち,消炎、解毒、解熱などに効果があるとされています.
ムラサキ - Wikipedia 紫根について|新日本製薬 シコン(紫根) タケダの生薬・漢方薬事典 | タケダ健康サイト
ムラサキはムラサキ科 Boraginaceae,ムラサキ属 Lithospermum,ムラサキ L. erythrorhizon.
根から採られる色素は日本三大色素の一つとの記載もありました(どこまで一般的にいわれているのかは不明です).後の二つは紅花と藍.
ほかにも多くの染料植物があり(双子葉類ではキハダ,クチナシ,アカネなど),江戸時代までの染め物の中心を担ってきました.日本の染織工芸 - Wikipedia
APG体系 - Wikipedia キク類 - Wikipedia バラ類 - Wikipedia
しかし,染色に使われなくなった明治期以降,ムラサキは急速に減少し,絶滅危惧種レッドデータブックIBにランクされ,伝統的なムラサキは保存活動の対象に.現在,紫根としてセイヨウムラサキを使うこともあるそうです.ムラサキ - Wikipedia 万葉の花とみどり_ムラサキ保存活動
山田卓三先生の「万葉植物つれづれ(大悠社)」によると
ムラサキは全国に分布し,日当たりのよい草原に生える多年草です.花は白く小型で,植物自体は地味で目立ちませんが,古くからの代表的な染料植物で,染め物の美しさに注目されています.
しかし,知名度のわりに実際に見たことのないという人の方が多い植物です.
とのこと.
紫草(むらさき)1 / 万葉集
あかねさす,むらさきのいき,しめのいき,のもりはみずや,きみがそでふる
茜(あかね)さす,紫野(むらさきの)行き,標野(しめの)行き,野守(のもり)は見ずや,君が袖(そで)振る 額田王(ぬかたのおおきみ) (第一巻 20)
茜さす,紫野行き,標野行き,野守は見ずや,君が袖振る
▽斎藤茂吉 万葉秀歌
天智天皇が近江の蒲生野(がもうの)に遊猟(薬猟)したもうた時(天皇七年五月五日),皇太子(大皇弟,大海人皇子 おおあまのみこ)諸王・内臣・群臣が皆従った.その時,額田王が皇太子にさしあげた歌である.額田王ははじめ大海皇子に婚い(みあい),十市皇女(といちのひめみこ)を生んだが,後天智天皇に召されて宮中に侍していた.この歌は,そういう関係にある時のものである.「あかねさす」は紫の枕詞.「紫野」は染色の原料として紫草(むらさき)を栽培している野.「紫野」は御料地として濫りに(みだりに)人の出入を禁じた野で即ち蒲生野を指す.「野守」はその御料地の守部即ち番人である.
一首の意は,お慕わしいあなたが紫草(むらさき)の群生する蒲生のこの御料地をあちこちとお歩きになって,私にお袖を振り遊ばすのを,森の番人から見られはしないでしょうか.それが不安心でございます,というのである.
この「野守」につき,或いは天智天皇を申し奉るといい,或いは諸臣のことだといい,皇太子の御思い人だといい,種々の取り沙汰があるが,それらのことは奥に潜めて,野守は野守として大体を味わう方が好い.また,「野守は見ずや君が袖ふる」をば,「立派なあなた(皇太子)の御姿を野守等よ見ないか」とうながすように解する説もある.「袖ふるとは,男にまれ女にまれ,立ありくにも道など行くも,そのすがたの,なよなよとをかしげなるをいふ」(攷證こうしょう).「わが愛する皇太子がかの野をか行きかく行き袖ふりたまふ姿をば人々は見ずや.われは見るからにゑましきにとなり」(講義)等である.しかし,袖振るとは,「わが振る袖を妹見つらむか」(人麻呂)というので分かるように,ただの客観的な姿ではなく,恋愛心表出のための一つの行為と解すべきである.
この歌は,額田王が皇太子大海人皇子にむかい,対詠的に(相手を想像して?)いっているので,濃やか(こまやか)な情緒に伴う、媚態(びたい)をも感じうるのである.「野守は見ずや」と強く云った(いった)のは,一般的に云って(いって)いるようで,寧ろ(むしろ)皇太子にうったえているのだと解してよい.そういう強い句であるから,その句を先に云って(いって),「君が袖振る」の方を後に置いた.しかしその倒句は単にそれのみではなく,結句としての声調に,「袖振る」と止めた方が適切であり,また女性の語気としてもその方に直接性があるとおもうほど微妙にあらわれているからである.甘美な媚態云々(うんぬん)というのには,「紫野行き標野行き」と対手(あいて)の行動を細かく云い(いい)現して,語を繰り返しているところにもあらわれている.
一首は平板で直線的でなく,立体的波動的であるがために,重厚な奥深い響きを持つようになった.
先進の注釈書中,この歌に,大海人皇子に他の恋人があるので嫉ましい(ねたましい)と解したり,戯れに諭すような分子があると解いたのがあるのは,一首の甘美な訴えに触れたためであろう.
紫草(むらさき)2 / 万葉集
むらさきの,にほへるいもをにくくあらば,ひとづまゆゑに,われこひめやも
紫の,匂(にほ)へる妹(いも)を憎くあらば,人妻ゆゑに,我れ恋ひめやも 大海人皇子 (第一巻 21)
紫の,匂へる妹を憎くあらば,人妻ゆゑに,我れ恋ひめやも
▽斎藤茂吉 万葉秀歌
右(上 20)の額田王の歌に対して皇太子(大海人皇子 天武天皇)の答えられた御歌である.
一首の意は,紫の色の美しく匂うように美しい妹(いも:おまえ)が,もしも憎いのなら,もはや他人の妻であるおまえに,かほどまでに恋するはずはないではないか.そういうあぶないことをするのも,おまえが可哀い(かあいい かわいい)からである,というのである.
---中略----
この御歌の方が,額田王の歌に比して,直接でかつ強い.これはやがて女性と男性との感情表出の差別ということになるとおもうが,恋人をば,高貴で鮮麗な紫の色にたぐえたりしながら,しかもこれだけの複雑な御心持を,直接に力強く現し得たのは驚くべきである.そしてその根本は心の集注と純粋ということに帰着するのであろうか.自分はこれを万葉集中の傑作の一つに評価している.
---後略