「生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店」より
相模原事件の根底にあるもの(2)
鬼塚留美子 障害者家族,かしはらホーム(福岡県福岡市)親の会
さらに問題なのは容疑者の優生思想である.何故このような考え方に共鳴したのだろうか.,--- 鬼塚留美子さん(1) 障害者家族 - yachikusakusaki's blog
障害者を子どもにもつ親たちは声高に言わなくとも,一人ひとりと話すと皆一様に,他人よりも身内による悲しい差別に遭っている.葬式に連れてくるな,結婚式に連れてくるな等,子どもの存在を否定される言葉を親兄弟,身内から言われたという話を聞くとやりきれない思いになる.なかには「わが家の家系にはこんな子どもは生まれない」とあからさまに言われ,生涯傷ついた心を背負って生きなければならない親もいる.
一〇年前カナダを旅行したとき驚いたことがある.この国は多民族国家であり,障害者が社会にとけ込んでいることだった.日本のようにぶしつけな視線を浴びせる人はいない.この犯罪は日本でこそ起こるべきものだったのかもしれない.
私どもの息子は,生まれながらの知的障害と視力障害の重複障害者である.息子の障害がわかったとき,夫はもうひとつの名前である「お宝」を命名した.わが家に降りかかる災難を,この子が一身に引き受けて生まれてきてくれたのだという思いからである.幼いときからお宝と呼ばれ,どこにでも連れ回し,おかげで外出とお買い物が大好きな大人に育った.暑い陽射しも雨も構わない.外には彼自身が満たされる世界があり,町の喧噪(けんそう)やさまざまな音を楽しんでいるのだ.
息子は家を一歩出ると子どもたちの視線を浴びることになる.なかには息子の顔を覗(のぞ)きこむ子どももいる.このとき,差別をする子どもの親も,差別を受ける子どもの親も,覗き込む子どもに教育(しつけ)をすることができない.これが日本における人権教育の中身である.
日本は国境のない島国であり,歴史を見れば鎖国を経験した.自分と違うものを受け入れるには,まだまだ長い時間がかかるからであろうか.
事件後,中学生になる脳性まひの娘を育てている近所の若い母親は,「これからは娘の外出も考えねば」と言っている.「障害者は税金の無駄遣い」という容疑者の主張に同調する世間の声もあるからだ.私たちの息子も,新たな世間の厳しい視線を受けることになるのだろうか.
日本は経済大国としてもてはやされ,豊かな国のイメージを持たれているが,一方で心はまだまだ発展途上国の貧しい国なのである.