相模原施設殺傷事件から 親の思い(2)
宮崎裕美子(みやざきゆみこ)
福祉労働153
相模原施設殺傷事件から 親の思い(1)
宮崎裕美子(みやざきゆみこ)
容疑者が優生思想に至る前に,気づかせてくれる出会いがなかったのは残念でなりません.出会いとは特別なことではなく,身近な当たり前の日常生活の中にあります.息子には多くの出会いの場を提供したいと思います.施設を必要としない社会,親や家族だけが責任を負わずにすむ社会の実現を目指すことこそ親の努めではないかと思います.
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「出会い」—いつ,誰と,どんな出会いをするかで人生は変わる
「出会い」のもつ力は大きいと痛感しています.もし事件の容疑者に障害児や障害者たちとの違う出会いがあったなら,今とは,全く異なる人生であったかもしれないと思います.
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中略
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福祉の仕事に従事している友人は,次のようなコメントをくれました.「地域の中には,重度の障害者が存在していることすら気づかない人がほとんどなのかもしれない.その事実と現実を,もっと直視しないと行けない」.「容疑者が殺人を犯してしまったのは,社会が障害者を排除して,障害者はいないような日々が動いていく.そんな中で,ひとところに集められた重い障害のある人たちをお世話する仕事をしていたことと無関係ではないような気がする」.「歪んだ優生思想に共感していった感性は彼だけの責任ではない」と.
歪んだ優生思想に至る前に,それに気づかせてくれる出会いがなかったのは真に残念でなりません.出会いとは,何も特別なことではなく,身近な,ごく当たり前の日常生活の中にあります.
(以上の続きです)
障害のある人たちとの出会いも,ごく自然な形で出会えるのが一番ではあるのですが,小さい頃から分けられた場所でしか生きてこなかった私たちは,出会う機会がないまま大人になって初めて出会うこととなります.
果たしてそれでいいのでしょうか?
もっと小さいときに出会っていれば,地域で当たり前に暮らす障害者に出会っていれば,私たちは,もっとシンプルにもっと自然に関わることができたはずです.
なぜ,そのことに気づかないのでしょうか.
誰もが「ともに生きる」というけれど
今回の事件のあった障害者施設は,神奈川県にあります.事件を受けて神奈川県では,憲章として,次のように定めています.
「ともに生きる社会かながわ憲章」を定めます.
一 私たちは,あたたかい心をもって,すべての人のいのちを大切にします
一 私たちは,誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します
一 私たちは,障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁,いかなる偏見や差別も排除します
一 私たちは,この憲章の実現に向けて,県民総ぐるみで取り組みます
この憲章を読みながら,「本当ですか?」と問いかけてみたくなりました.
今,全国では,少ない子どもを,更に分けるための教育が推進されています.
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中略
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親亡き後も地域で生きる—そのために,今,親ができることは何か
親亡き後も,地域で自立した生活を送りたい.
私と息子の夢です.
今現在通所している全ての事業所のグループホームは空きがなく,身体障害ならともかく,重度の知的障害者の受け容れは難色を示されました.介助者を入れての一人暮らし(自立生活)に至っては,しないほうがいいとまで言われてしまいました.
そんな時,障害者の地域生活を障害者自身がサポートする自立生活センター(CIL)が青森にもあると,小林さん(本誌編集部)から紹介していただきました.
CIL青森に連絡を取って,事務局長さんとお話ししましたところ,「今はまだ活動拠点が青森市のみで,身体と精神の障害が主な支援対象となっていますが,今後,知的障害も手掛けられるようにしたい.また八戸や弘前にも事業展開していきたい」と語っておられました.
県内には,同じ志をもった人たちも各地に点在しており,点と点がつながり,やがては太い線となり輪となっていけるよう,重度知的障害の方へのサービス提供の実績のある首都圏の自立生活センターにききながら,いずれはこの地にも開設できることを期待し,まずは繋がることから始めようと思っています.
重度知的障害をもちながら,久しく自立生活をしている千葉のNH 君のお母さんに,「地域の普通学校で共に過ごしてよかったことは何ですか」と聞いたことがあります.
ごまめの歯ぎしりばかりしている私に,お母さんは即座に,「人を信じられるようになったこと」と答えて下さいました.
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後略