「障害のある人でいえば,無理に健常な人に合わせる必要はないのです:障害者権利条約第十七条『すべて障害者は,他の者との平等を基盤として,その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する』」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(7)   (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より

日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために. 藤井克徳 ( 7 )

(生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より

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「この事件は現代日本社会の投影であり,障害者問題の縮図」「これまで感じたことのない怖さ」「自分達(障害当事者)に刃先が向けられている感じ」「これでまた精神疾患者への偏見が増すのではないか」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(1) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog

「事件後の対応や関連する動きがあまりに不可解」「本質的な問題を内包しているように思います.あのような大事件で被害者の実名を伏せるということは,社会通念としてありえないのではないでしょうか」「こうしたあつかいは,死んでからも続く差別と言っていいのではないでしょうか」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(2) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog

「(事件に分け入って)まず第一に,この事件にかかわる問題として,優生思想の観点を挙げたい」」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(3) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog

「個々に理性が求められ,  社会的には法的な規範など,社会的なシステムとしてこれ(優生思想的発言)を抑制する仕組みがつくられているのです.  個々にも社会的にも,絶えず戒めあうことが重要です」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(4) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog

「生産性,経済性,効率,速度といったものが,いつからか人間の価値を計るバロメーターになってしまいました」「そのなかで障害者に向けられるまなざしとはどのようなものか.彼の障害者観は,そうした価値観に少なからず影響を受けているように思います藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(5) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog

「それ(=優生思想的な発想が生まれる土壌や,市場原理主義が生むさまざまな破綻といった事件の背景)を抜きに措置入院制度がどうとか,施設の防犯対策がどうということだけでは,少しも根本問題に入っていけません.」藤井克徳さん ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(6) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog

 

障害者権利条約を羅針盤

 2014年1月に日本政府は障害者権利条約(障害のある人の権利条約)を批准し,2016年6月末に第一回目の政府レポートを国連に提出しています.障害者を差別してはならないとする世界ルールを私たちの国は手にしました.また,この4月からは障害者差別解消法が施行されています.

 これらの中に,すでに答があります.端的に言うと,この社会のあり方を障害という視点から問い直すこと,それと同時に当面の障害者政策のあり方という,二つの面で考えていく必要があるでしょう.

 社会のあり方に関しては,すでに述べた通り,現在の社会全体が過剰な市場原理主義,競争原理主義に則った,すなわち屈強な男性中心の社会に傾斜していることを改めることです.綱引きの綱がピンと張っているとすると,真ん中の赤いリボンが強者の側にじわじわと寄っているわけですが,今回の事件を通して,また権利条約を羅針盤に,社会の標準値,中央値を見直していかなければなりません.その延長線の上で,こうした価値観に影響を受けている社会保障制度や社会福祉政策,障害者政策を正道に戻していく必要があります.

 かって,国連は,国際障害者年(1981年)に関連した決議文で,「障害者を閉め出す社会は危うく脆い(もろい)」と明言しました.残念ながら,今回の事件は日本社会が「弱く脆い」ことを露呈してしまいました.

(以上は ''日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために''(6) (生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より - yachikusakusaki's blog と重複)

 

それを改めていく上での羅針盤になるのが権利条約です.ごく一部になりますが,大切な条項をみていきたいと思います.

第十七条には,「すべて障害者は,他の者との平等を基盤として,その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」とあります.

非常に短い条文ですが深い意味を持ちます.日本国憲法十三条「全て国民は個人として尊重される」とも重なります.言わずもがなですが,個人の尊重という大原則を,あらためて私たちは見つめ直すべきです.

障害のある人でいえば,無理に健常な人に合わせる必要はないのです.

 

権利条約の第八条には,おもしろい言葉があります.「(締結国は)障害者に関する定型化された観念,偏見及び有害な慣行と戦う」とうたっています.批准した条約は一般法律よりも上位に座るとされ,そういう意味では政府みずからも,障害のある人への差別や偏見とたたかわなければなりません.

私たちの社会は権利条約から多くを学ぶ必要があります.誤った考え方を正し,本来の理念をうち立て直すべきだと思います.

 

その上で重要になるのが,財政の裏打ちです.財政の危機にあって,障害分野を含めて社会保障社会福祉の予算削減が声高に言われています.一見もっともらしく聞こえますが,そうではありません.

削減の前にすべきことは,GDPに占める社会保障社会福祉の予算の分配率がまともかどうかをはっきりさせることです.障害関連予算でいうと,この予算分配率はOECD(経済開発協力機構)諸国の低位に甘んじています.これを少なくとも平均ぐらいにもっていくべきです.これだけで大幅な予算増が見込めます.予算を決定する国会にあって,また予算案を作成する政府にあって,もっとこの点を考えてほしいと思います.

「施設から地域へ」「医療中心から地域生活へ」を加速していくためにも,こうした考え方のもとでの財政の裏打ちが大切になります

 

戦後史の中を見ても,この事件は国家的な重大事件と言っていいのではないでしょうか.国を挙げて考えていいと思います.たとえば国会での集中審議もそのひとつです.多様なメンバーで検証作業をおこなうのもいいと思います.

 

とてもつらい不幸な事件でしたが,この問題から社会のあり方を問い直し,障害関連政策を含む社会保障社会福祉の新たな方向をさぐっていければと思います.国会や政府がその先頭に立ってほしい.このことを具体化していくことが,十九人の御霊に報いる道ではないでしょうか.

 

 

今回で藤井克徳さんの稿を閉じます.

 

2月21日,「相模原殺傷事件の植松聖容疑者について,人格障害で善悪の判断ができる状態だったとの精神鑑定結果が出たことが,捜査関係者の取材でわかった」とテレビ・新聞各社のニュースが伝えています.

裁判が行われることは決まったようです.一方,事件後半年以上経っても,政府・与党はもとより,野党各党も,藤井さんの言うような行動を起こす気配は全くありません.裁判に全て委ねて収束を待っているように思われてなりません.

そして,裁判がなされようがなされまいが,犯行を全て一個人の特異な人格障害によると捉えてしまう構図は変わらない.そのように思うのは私だけでしょうか?「人格障害」について私はほとんど知りませんが,精神科の治療対象には掲げられているのでしょうから.

社会全体を覆う,そして,個人個人の中にも潜んでいるであろう優生思想的な考え方,起こるべくして起こったのかもしれない事件,こういった議論が公になされることなく裁判が終了し,障害者が置かれている状況が改善されないまま,事件そのものも忘れられていく---.それだけはないように,私たちは,私は,何をすべきなのでしょうか?

 

なお,「生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店」からの論考・主張は,今後も順次掲載していく予定です.

 

霞始靆(かすみはじめてたなびく)春霞がたなびき始める頃。