日本社会のあり方を根本から問い,犠牲者に報いるために. 藤井克徳 ( 5 )
(生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店)より
影響少なくない新自由主義の潮流
二つめに,冒頭で「この事件は現代社会の投影である」と述べたように,容疑者の言動をみていくとき,現代の日本社会のありようが深く影響していると思います.
全てを社会に帰結させるのはどうかと思いますが,しかし間違いなく容疑者は日本社会の中にいたわけですから,社会の現実にふれないわけにはいきません.
その現実とは何かといえば,度を過ぎた格差社会であり,あるいは不寛容社会といわれるような現状です.
生産性,経済性,効率,速度といったものが,いつからか人間の価値を計るバロメーターになってしまいました.そこにはおのずと強い者と強くない者,物をたくさん作れる人と作らない人といった序列が生じてしまいます.グローバリゼーションの急進と相まって,多様性が損なわれ,ひとつの大きな土俵に入れられているのです.
その中での競争を通じて人びとの序列化が図られ,無意識のうちに優劣が決まっていくのです.このところ,こうした考え方や価値観がすっかり社会に浸透しています.
そのなかで障害者に向けられるまなざしとはどのようなものか.彼の障害者観は,そうした価値観に少なからず影響を受けているように思います.
同時に,現代の日本の障害者政策のもとでは,とくに障害者自立支援法(2006年施行)以降,たとえば施設に対する公的支援が日払い計算方式になりました.
通ってきた障害者の人数の分だけお金をあげましょう.いわば成果主義です.そうすると,経営者は毎日通ってきやすい人を優先し,重い障害のある人は避けることになるのではないでしょうか.
また,規制緩和策として,常勤換算という,一定の公費(自立支援給付)の枠内で常勤・非常勤の組み合わせをある程度自由にしました.そうすると,経営者はどんどん非常勤を増やしていきます.おのずと職員集団のコミュニケーション力は弱まり,教育作用も弱まって,すさまじいスピードで専門性の劣化が起こっています.
明らかに,市場原理主義,競争原理が.障害者政策に表れています.こうしたことも事件の温床や遠因にあるのではないでしょうか.やまゆり園の責任者からも.そういった趣旨の発言があると伝えられています.