新米の美味しい時期になりました.お米の味にこれほどこだわるのは日本人だけかもしれません.
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田んぼでお米を作ることは,日本の伝統的な農業の基本.
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「水田稲作が導入されることによって,日本は本格的な農業社会になった.それは日本人の食の歴史における,最大の出来事であった.
日本人が食物についていだく価値観の中心に,米が位置するようになる.米は他にくらべて,ずっと重要な意義をもつ特別な食物とみなされるようになったのである」
と記しています.
そして,稲は「日本の社会経済の中心となる作物」「優れた主食作物」であるばかりか,「霊力を宿す作物」ともみなされてきたようです.
「新しく即位した天皇が最初に挙行する稲の収穫祭『大嘗祭(だいじょうさい,おおにえのまつり)』は,天皇に神聖な力を付加する不滅の霊力を,新しい天皇に移し替える儀礼である.----
---- この稲粒に宿ると信じられているイネの精霊に不適な行為をすると,その米を食べても栄養にならず人はやせ衰え,種子として蒔いても不毛になるという信仰が,東南アジアと日本に共通する(日本の食文化史)」
さらに,日本の景観に果たす役割も.
いつから始まるの?新米の定義と出荷時期 | 日南市 ふるさと納税特設サイト
「里山」という言葉が,日本の原風景を表す言葉として使われています.高槻成紀さんによると,
里山とは「田畑,茅場,雜木林,人工林,それに池や川など,『伝統的な農業』を行うために必要となった土地の全体」(唱歌「ふるさと」の生態学 ヤマケイ新書)
『伝統的な農業』の基本は田んぼでお米を作ること.
日本の原風景を思い浮かべるときにも,「田」「稲」は欠かせないものですね.「秋の田の稲穂」の美しさ!
稲・穂・田/万葉集1
あきのたの,ほのへに きらう,あさがすみ,いつへの かたに,わがこひ やまむ
秋の田の,穂の上に 霧らふ,朝霞,何処辺の方に,わが恋ひ止まむ 磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)(巻2-88)
秋の田の,穂の上(へ)に霧(き)らふ,朝霞(あさかすみ),何処辺(いつへ いづへ いつべ)の方(かた)に,わが恋ひ止まむ
◎ 秋の田に実った稲穂の上に,ぼうと懸かっている朝霧が,いずこかへ消えてなくなるように,自分の慕う心も,どちらへでも消散させたいが,到底,何方へも散らすわけにはいかない.(折口信夫 口訳万葉集)
◎仁徳天皇の磐姫(いわのひめ)皇后が,天皇を慕うて作りませる歌というのが,万葉巻第二の巻頭に四首載っている.此歌はその四番目である.四首はどういうときの御作か,仁徳天皇の後妃八田皇女との三角関係が伝えられているから,感情の強く豊かな御方であらせられたのであろう.
一首は
秋の田の稲穂の上にかかっている朝霧がいずこともなく消え去るごとく(以上序詞 じょことば)私の切ない恋がどちらの方に消え去ることが出来るでしょう,それが叶(かなあ)わずに苦しんでおるのでございます,
ということだろう.「霧(き)らふ朝霞(あさかすみ)」は,朝かかっている秋霧のことだが,当時は霞といっている.キラフ・アサガスミという語はやはり重厚で平凡でない.第三句まで序詞だが,具体的に言っているので,象徴的として受け取ることが出来る.「わが恋やまむ」といういいあらわしは切実なので,万葉にも,「大船のたゆたう海に碇おろしいかにせばかもわが恋やまむ」(巻11-2738),「人の見て言(こと)とがめせぬ夢(いめ)にだにやまず見えこそわが恋やまむ」(巻12-2958)の如き例がある.
この歌は,磐姫(いわのひめ)皇后の御歌とすると,もっと古調なるべきであるが,恋歌としては,読人不知の民謡歌に近いところがある.しかし,万葉編輯(へんしゅう)当時は皇后の御歌という言伝えを素直に受納して疑わなかったのであろう.そこで自分は恋愛歌の古い一種としてこれを選んで吟唱するのである.他の三種も皆佳作で棄てがたい.(斎藤茂吉 万葉秀歌)
稲・穂・田/万葉集2
あきのたの,ほむきの よする,かたよりに,きみに よりなな,こち たかりとも
秋の田の,穂向きのよする片寄りに,君に寄りなな,言痛かりとも 但馬皇女 たじまのひめみこ (巻2-114)
秋の田の,穂向きのよする片寄りに,君に寄りなな,言(こち)痛(た)かりとも
◎よしや,人が彼此(ひし あれこれ)やかましくいうても,私は稔(みの)り田の穂の向きが向いている様に,片一方へ偏して(へんして:かたよって),あなたの方へばかり,お頼り申していましょう.(折口信夫 口訳万葉集)
◎上の句は序詞(じょことば)があって,技巧も功だが,「君に寄りな」の句は強く純粋で,また語気も女性らしいところが出ていてよいものである.(斎藤茂吉 万葉秀歌)
立冬 この日より暦の上の冬.日あしも目立って短くなる