様々な楓の種 & 紅葉(もみじ/こうよう)を詠った短歌[1]  日本で最もよく見るカエデ属の植物は,イロハモミジ(いろは紅葉,伊呂波紅葉、学名:Acer palmatum).葉の切れ込みが鋭いのが特徴で,園芸品種も多数あります.ヤマモミジ,オオモミジは変種とされるようになっています.  秋山の黄葉を茂み迷はせる妹を求めむ山道知らずも 柿本人麻呂  経(たて)もなく緯(ぬき)も定めずをとめらが織れる黄葉(もみぢ)に霜な降りそね 大津皇子  見る人もなくて散りぬる奥山のもみぢは夜の錦なりけり 紀貫之  

秋の紅葉を代表する樹木,カエデ/カエデ属にはおよそ160種あるとされていますhttps://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Acer_species

一方,日本は,楓を代表とする秋の紅葉をとりわけ好む国民といえ,数多くの短歌の歌題とされてきました.

今日・明日は,「様々な楓の種」&「楓/紅葉(楓の紅葉に限らない)を詠った短歌」を取り上げます.

 

楓の品種(1)イロハモミジ

日本で最もよく見るカエデ属の植物は,イロハモミジ(いろは紅葉,伊呂波紅葉、学名:Acer palmatum).

私は樹木の識別がほとんどできませんが,特徴のある葉の形から,紅葉を楽しむカエデのほとんどはイロハモミジではないかと思われます.

幹囲5メートル以上の巨木も.http://www.hitozato-kyoboku.com/irohamomiji.htm

名前は「葉の裂片をイロハ順に数える遊びに由来」https://kotobank.jp/word/イロハモミジ-164490).

なお,ヤマモミジ,オオモミジは別種とされてきましたが,共にイロハモミジの変種とされたようです.

イロハモミジ Acer palmatum、ヤマモミジ Acer palmatum var.matsumurae、オオモミジ Acer palmatum var.amoenum.(葉のギザギザの付き方,種の付き方が異なるとのこと)

https://www.eco-plants.net/New/maple_p/maple

https://ja.wikipedia.org/wiki/イロハモミジ

多くの園芸品種も生み出され:赤地錦(青崖)・千染(ちしお)・織殿錦(おりどのにしき)・清姫(きよひめ)等々,

葉のバリエーションも多いようですが,葉の切れ込みが鋭い特徴は残っているようですね.https://ja.wikipedia.org/wiki/イロハモミジ

https://en.wikipedia.org/wiki/Acer_palmatum



「楓/紅葉/黃葉を詠った短歌」(1)

 

ま草刈る荒野にはあれど黄葉(もみぢば)の過ぎにし君が形見とぞ来し  柿本人麻呂 万葉集巻一 四七

(草を刈るしかないような荒野ではありますが、黄葉(もみちば)が散るようにお亡くなりになった君(草壁皇子:くさかべのみこ)の形見の地としてやってきました. 楽しい万葉集

 

 

 

秋山の黄葉を茂み迷はせる妹を求めむ山道知らずも  柿本人麻呂 万葉集巻二 二〇八

(一首は,自分の愛する妻が,秋山の黄葉の茂きがため,その中に迷い入ってしまった.その妻を尋ね求めんに道が分 からない,というのである.

 死んで葬られることを,秋山に迷い入って隠れた趣に歌っている.こういう云い方は,現世の生の連続として遠い処に行く趣にしてある.当時は未だそう信じていたものであっただろうし,そこで愛惜の心も強く附帯していることとなる.「迷はせる」は迷いなされたという具合に敬語にしている.これは死んだ者に対しては特に敬語を使ったらしく,この一首は亡妻を悲しむ心が極めて切実で,ただ一気に詠みくだしたように見えて, その実心の渦が中にこもっているのである.「求めむ」と云ってもただ尋ねようというよりも,もっと覚官的に人麿の 身に即したいい方であるだろう. 斎藤茂吉 万葉秀歌)

 

 

経(たて)もなく緯(ぬき)も定めずをとめらが織れる黄葉(もみぢ)に霜な降りそね  大津皇子 万葉集巻八 一五一二

(縦糸も横糸も決めずに,乙女たちが織る紅葉に,霜よ降らないで. 楽しい万葉集

 

 

秋山にもみつ木の葉の移りなばさらにや秋を見まく欲(ほ)りせむ  山部王(やまのべのおほきみ)  万葉集巻八 一五一二

(秋山の紅葉した木の葉が散ってしまったら,もっともっと秋を見たいと思うでしょうか.楽しい万葉集

 

 

我が宿にもみつ蝦手(かへるで)見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし  田村大嬢(たむらのおおいらつめ) 万葉集巻八 一六二三

(家の庭の紅葉した楓(かえで)を見るたびに,あなたのことを思って,恋しくないなんて日はありませんよ  楽しい万葉集

 

 

子持ち山若かへるでのもみつまで寝もと我(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思(も)ふ  作者不詳(東歌) 万葉集 巻一四 三四九四

(あの子持山の春の楓の若葉が,秋になって黃葉(もみじ)するまでも,お前と一しょに寝ようと思うが,お前はどう思う 斎藤茂吉 万葉秀歌)

 

 

見る人もなくて散りぬる奥山のもみぢは夜の錦なりけり  紀貫之 古今集 二九七

 

 

このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに  菅原道真 古今集 四二〇 (小倉百人一首

(今度の旅は急のことで,道祖神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした. 手向けの山の紅葉を捧げるので,神よ御心のままにお受け取りください.

https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/1087/

 

 

小倉山峰の紅葉ば心あらば今ひと度のみゆき待たなむ  藤原忠平 拾遺集 一一二八(小倉百人一首

(小倉山の峰の紅葉よ.お前に人間の情がわかる心があるなら,もう一度天皇がおいでになる(行幸される)まで,散らずに待っていてくれないか.

 https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/1092/

 

 

あらし吹くみむろの山のもみじ葉は龍田の川の錦なりけり  能因 後拾遺集 三六六(小倉百人一首

(山風が吹いている三室山(みむろやま)の紅葉(が吹き散らされて)で,竜田川の水面は錦のように絢爛たる美しさだ.https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/1337/