鯖(2) 鯖にまつわる若狭〜京都の食文化と人々の暮らしを丁寧に描いたNHKBS「新日本風土記」鯖街道.▽鯖街道を走る ▽そば屋の嫁入り ▽七衛門とお地蔵さん.中でも私が最もステキだと思ったのは“鯖街道の恋”:「たまりませんよ.見たら.あんな,いつもきれいな格好で,京都やら大阪,神戸のデパートやらを回ってた人が.この辺でこないなって」「皆の前で言うてある.友だちの前で.私はもう,今度,次の代でも主人と結婚する言うて」

鯖といえば庶民の魚.

しかし,現在の鯖の漁獲量は,最盛期の約1/5にまで減少し,値段も高値に.

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http://abchan.fra.go.jp/digests27/documents/2705slide.pdf http://abchan.fra.go.jp/digests27/documents/2706slide.pdf

とはいえ,いまでも漁獲量はトップを争い,大衆魚の代表として各地の食文化を支えています.

 

鯖文化で特に有名なのが,京都.

NHKBS「新日本風土記鯖街道は,鯖にまつわる若狭〜京都の食文化と人々の暮らしを丁寧に描いた好番組でした.(初回放映 2013年10月11日 ,再放送2017年6月8日)

http://www.nhk.or.jp/fudoki/131011broadcast1.html

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www.nhk.or.jp

風の中に,土の匂いに,もう一度ニッポンを見つける.私を見つける.

新日本風土記

 

「満月です.今日が勝負やわ」「若狭湾日本海の真ん中だから,脂ののりがちょうどええねん」

若狭湾.四月.若い漁師たち.

 

若狭の魚は旅する魚.かつて値段の安いさばは,山間の村で何よりのごちそうでした.

「鯖好きやもんな」

女たちは,鯖をどっさり担ぎ,村々を売り歩きました.

「籠を2つほど重ねて,鯖を負うて,背中に.冬は嵐の中なあ,よう行ったなと思う.自分でも涙出る.夏は炎天下ね.今でももっと元気やったら歩きたいと思う」(熊川よろず屋 尾中一枝さん85才)

 

若狭の海で獲れた鯖は山を越え遠く京の都へ.

その道は「鯖街道」と呼ばれるようになりました.

 

道沿いには古(いにしえ)の旅人が心を休めた風景が,今も広がります.

 

若狭でたっぷり塩を利かせて京都まで72キロを1日で踏破.ちょうど良い塩梅になった鯖は華やかに姿を変えていきます.

コクのあるあぶらのうま味が広がります.

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ついに明日!鯖街道ウルトラマラソン!!/うちの宿自慢特集-じゃらんnet http://souda-kyoto.jp/travel/eat/sabasushi.html

 

一方若狭で人気なのは,シンプルに焼き鯖.

鯖街道の恵み.

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「おいしい」「おいしい?」

頂きます.

 

以上が松たか子さんのナレーションで始まる番組冒頭の再録.

番組で取りあげられたオムニバス項目の幾つかの抜粋は,番組ホームページに紹介されています.

例えば

鯖街道を走る ~全行程76キロ、標高800メートルの山を三つの峰を越えるハードなマラソン。特別な想いを持ちながら走るランナーたちの挑戦

▽おっさんたちのロマン ~かつて清流で知られた宿場町熊川。その恵み「蛍」を再び、と願う地域の人々の熱い思い

▽そば屋の嫁入り ~福島県から滋賀の山里にあるそば屋に嫁いだ女性の奮闘

▽七衛門とお地蔵さん ~京都の山里、広河原にかつて魚を売りに来ていた行商 七衛門と地元の人達との物語

 

初めのオムニバス項目「鯖街道の恋」を再録させてもらいます.

小浜の人気焼き鯖店の跡取り娘と先代当主のステキな恋物語

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鯖街道の恋

13代続く焼き鯖の朽木商店現当主の母 益田文子さん(86).

200年以上続くこの店に生まれ育ちました.

文子さんの夫隆三さんは26年前に亡くなっています.

京都出身の隆三さんは,もともと鯖とは無縁の人生.デパートで働いていました.京都で学生だった文子さんと出会い,結婚を誓い合うまでになりました.

ところが文子さんが18才のとき,店を継ぐはずだった兄が戦死.

文子さんは家のため泣く泣く隆三さんと別れました.

「自分は家を継がなければならないから結婚はできないと,別れて(小浜に)帰って来たんです」

「そして小浜のお祭りのときに,ひょこっと,(彼が)遊びに来たんですわ」

隆三さんは文子さんの父に思いがけない言葉を伝えます.

“京都の暮らしを捨てても,文子さんと一緒になりたい”

「(父が)『あかん』言うて.なんで,父は『あかんねん』と.京都で色々やりたいことがあるのに,魚いろうた(扱った)ことがないのに,かわいそうや言うて.

主人は,かまへん.いらう(扱う)言うたんですよ.はは」

昭和24年結婚.魚に触ったことさえなかった隆三さんは,店の裏で一人小アジをさばく練習から始めました.

「たまりませんよ.見たら.あんな,いつもきれいな格好で,京都やら大阪,神戸のデパートやらを回ってた人が.この辺でこないなって」

取材者「息子さん,重なりますか?」

「そうやね,重なるね.鉢巻きあない締めて,ようやってましたもんね.自分は頑張ってやると言うて.まあ,あの言葉にやっぱり嘘偽りはなかったですね」

「皆の前で言うてある.友だちの前で.私はもう,今度,次の代でも主人と結婚する言うて」

 

「はい,焼き鯖やで」

子どもたち「やった〜.焼き鯖や」

 

文子さんが隆三さんと築いた家族.今は4世代.

孫9人.ひ孫12人.

ひ孫「おいしい」「おいしい?」「誰が焼いた?」「じいじ」「そりゃそうや」

取材者「次に継ぐのは?」

「どの子やろな」「15代目誰や?」

 

 

鯖街道とは.

「若狭から京都へ至る多数の街道や峠道には,本来それぞれ固有の呼び名がありますが,近年,運ばれた物資の中で『鯖』が特に注目され有名になったことから,これらの道を総称して『鯖街道』と呼ぶようになりました.

その内,最も盛んに利用された道は,小浜から熊川を経由して滋賀県の朽木を通り,京都の出町柳に至る「若狭街道」です」

若狭鯖街道熊川宿

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この地図を見て,「ずいぶん長い距離」と感じてしまうのは,私が関東住まいのせいでしょう.実際の距離は72キロだとか.しかも,これは京都の中心部までの距離.

“広河原松上げ”で有名な広河原は「京都市左京区」.

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広河原松上げ | 動画で見るニッポンみちしる~新日本風土記アーカイブス~

地図の一部を京都府の区分図をみると,京都市ってずいぶん縦長.そして,先の地図と重ねると,若狭湾・小浜から一山越えれば京都市(のようにみえます).

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京都府の地図 若狭鯖街道熊川宿