上野千鶴子さん語録2 「相模原事件の加害者は,自分が弱者になることに想像力を持たなかったのだろうか?自分がケアする側から,ケアされる側に廻る可能性を.----自分自身が呼び掛けられても反応できなくなったとしても,安心して生かしてもらえることを期待しなかったのだろうか?」 横塚晃一さん語録2「(子殺しの母は)『この子はなおらない.こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ』と思ったという.なおるかなおらないか,働けるか否かによって決めようとする,この人間に対する価値観が問題なのである」

''上野千鶴子 障害者と高齢者の狭間から(現代思想 緊急特集相模原障害者殺傷事件)''より 

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上野千鶴子 (@ueno_wan) | Twitte

弱者への想像力

相模原事件の衝撃は,加害者の残忍さや大量殺人の規模だけでなく,この社会が臭いものにフタ,で押し隠してきた障害者差別のホンネを,公然とさらしたところにあるだろう.2000年代以降,公論の世界ではタテマエとして通用してきた正義や倫理に対して,ネット界ではらちもないホンネが浮上するようになった.もともとウラ・メディアであったネット界の言論が,オモテにオーヴァーフローしてくるようになった.その中に,女性差別,民族差別,障害者差別----等々がある.

男が女に変わる気遣いはない.日本人が在日に変わる可能性もない.健常者が障害者に変わる可能性は------よほどのことがない限りない,と思い込んでいられた.これまでは.だが,超高齢社会では,すべての人が生命の階段をゆっくり降りていく社会だ.この下り階段はなかなか終わらず,その過程で誰もが要介護になる可能性を持つ.誰もが弱者になる社会------だからこそ,わたしは,超高齢社会を「恵み」と呼んだのだ.

相模原事件の加害者は,自分が弱者になることに想像力を持たなかったのだろうか?自分がケアする側から,ケアされる側に廻る可能性を.犯人は「呼び掛けて反応がない相手を殺した」と言うが,自分自身が呼び掛けられても反応できなくなったとしても,安心して生かしてもらえることを期待しなかったのだろうか?

-----(中略)

ケアにかかわる講演会で,こんな質問を受けたことがある.

健康で溌剌とした高齢者が,大きな声で「八十歳以上の重度介護を必要とする老人を処分することは出来ないのか」と発言した.そのひとはたしかに「処分」と言った.限られた国の予算を効率的に配分するためにも,もう死ぬことがわかっている重度要介護者に資源配分するのはムダだ,と.七十歳代とおぼしきその男性ーーこういう発言をするのは,決まって男性だーーは,自分が八十代になることも,重度の要介護者になることも想像していないのか,と,わたしは彼の顔をまじまじ見つめた.

こんなこともあった.経営者を中心とした講演会のあとの懇親会で,初老の男性が近づいてきて,わたしにささやいた.脳梗塞で倒れたあと,必死でリハビリしてようやくここまで来ました.あの時,家族が救急車を呼ばずにいてくれたら,と何度恨んだか知れません」後遺障害を負ってまで生きていたくない,いっそあの時,あのまま死なせてくれていたら----と.家族はどんな状態でも生きて欲しい,と願っただろうに,本人が障害者になった自分を受け入れられないのだろう.この男性が肩に背負った「役に立ってこそ男」という効率原理の重さを感じて,この気の弱そうな男性の顔を,やはりまじまじと見て,「生きててよかったでしょう-----」と言ったのだ.

 

  

''横塚晃一 母親の殺意こそーー重症児殺害事件の判決を終わって(「母よ殺すな」 生活書房)''より

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なぜ彼女(子殺しの母*)が殺意を持ったのだろうか.この殺意こそがこの問題を論ずる場合の全ての起点とならなければならない.彼女も述べているとおり「この子はなおらない.こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ」と思ったという.なおるかなおらないか,働けるか否かによって決めようとする,この人間に対する価値観が問題なのである.この働かざる者人に非ずという価値観によって,障害者は本来あってはならない存在とされ,日夜抑圧され続けている.

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「可哀そうなお母さんを罰するべきではない.君たちのやっていることはこのお母さんを罪に突き落とすことだ,母親に同情しなくてもよいのか」等の意見があったが,これは全くこの''殺意の起点''を忘れた感情論であり,我々障害者に対する偏見と差別意識の現われといわなければなるまい.これが差別意識だということはピンとこないかもしれないが,それはこの差別意識現代社会において余りにも常識化しているからである.

子殺しの母*:1970年横浜で二人の重症脳性マヒ児をかかえた母親が,当時二歳になる下の子を絞殺した.