「松ぼっくり」それはご先祖様のけっこう恥ずかしいシモネタ連想から生まれた名称でした でも古来から神聖・霊性の木とされてきた松 / 万葉集 いわしろの,はままつが えを,ひきむすび,まさきくあらば,また かえりみむ 有間皇子

まつぼっくりが あったとさ  高いおやまに あったとさ
ころころころころ あったとさ  おさるがひろって たべたとさ

昭和11年,当時、小学1年生の広田孝夫君の詩に、先生である小林つや江さんが曲を付けた童謡だそうです( d-score 楽譜 - 松ぼっくり .... 広田孝夫/小林つや江 ).

ドングリころころの歌(こちらは大正10年作)ほどではありませんが,多くの方が知っている曲.

松ぼっくりはドングリには及ばないかもしれませんが,子供たちにとって自然の中での大事な遊びアイテム.最近はクリスマスの飾り付けクラフトの材料としても人気ですね(例えば「松ぼっくり」のおしゃれアイデアまとめ おしゃれな松ぼっくりツリー作品&作り方iemo  ).

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落ちている松ぼっくりはたくさん見ていましたが,木になっている姿をしっかり見た記憶があまりありませんでした.ネット上の写真で確認してみると----

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松ぼっくり(松かさ)とは? horti http://file.hannouhangyo.blog.shinobi.jp/a9d7250e.jpg

http://www.sendai-web.com/sinrin/syokujyu/index.htm

Aの写真は下から見上げた時.このくらいは見たことがあります.でもこの松ぼっくりは二年目のものだそうで---.

Bのように新しい雌花(てっぺん)雄花(真ん中)の下に前年受粉してできた松ぼっくり.これが更に成長して成熟したものになる.松ぼっくりって二年がかりで出来るんだそうです.種をとばしたあとのものを含め三世代同居の姿も見ることが出来るとか.

ところで「松ぼっくりは植物の果実」マルかバツか? どことなくしっくりこないけど間違いではないような---.厳密に言えば答は×.松は「裸子植物」なので,「果実=種子を包む子房が成長したもの」ではないとのこと.

松ぼっくりは,種子を飛散しないようにとどめておく「球果」が正式名のようです( 親しみも深い「松ぼっくり ]朝日新聞出版 ).

松ぼっくりの隙間に写真Cのような種子が.種子には羽がついています.成熟し乾燥すると松ぼっくりがひらいて風に乗って飛んでいくことができます(開閉式で雨に濡れればしぼみます).黒い部分は松の実って呼んでもいいようですが,日本に多いクロマツのものは残念ながら食べるには小さすぎますね.料理に使う松の実はイタリアカサマツやチョウセンゴヨウなど羽がついていないタイプだそうです( 松の実とは? horti ).

知らないことばかりです.知らないといえば,松ぼっくりの語源!

「まつふぐり」が語源.以下,⇒まつぼくり⇒まつぼっくり だそうです.どの読み方に対しても「松毬」がよく使われる漢字ですが,松陰嚢でもOK日本国語大辞典 小学館オオイヌノフグリと同じ連想とは!

秋の季語であり、親しみも深い「松ぼっくり」〈tenki.jp〉|dot.ドット 朝日新聞出版の記事では,

「ぼっくりというかわいい語感でだまされてしまいますが、またもや先人の、けっこう恥ずかしいシモネタ連想でした。---ご先祖様はどれだけふぐりがすきなのでしょうか。
でもこんな俳句を聞くと、なかなかふくらみのあるいい語感の呼び名だなという気が--
涼しさや ほたりほたりと 松ふぐり (正岡子規)
関西地方では松毬と書いて「ちちり」「ちちりん」なんていう名前も。これもなかなかかわいらしい呼び名ですね。
パイナップルも、本来は松ぼっくりをさしていました。松ぼっくりに似ている果物がパイナップルと呼ばれ、それがいつの間にか名称を取られてしまったわけです」

 

少し「まつぼっくり」にのめり込みすぎました.

 山田卓三先生の「万葉植物つれづれ(大悠社)」によると

 松と言えばふつうはクロマツアカマツをさし,万葉集には松を詠んだ歌が80首近くあります.海岸や松原を詠んだものはすべてクロマツです.----

松は常緑で,炎暑や風雪にも耐えて一年中その濃い緑色を保つので,古代から神聖・霊性の木,すなわち神の憑り代(依り代 よりしろ 祭りにあたって神霊が依りつくもの)とされてきており,現在の門松もこの意味で飾られます.また,長寿,普遍,節操の象徴にもなっています.なお,クロマツを雄松オマツ,アカマツを雌松メマツと言いますが,これはその性状からつけられたもので,いずれも雌雄同株です.

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クロマツ(黒松) - 庭木図鑑 植木ペディア 名木ガイド(岸澤邸のアカマツ)/東松山市ホームページ

 

松 / 万葉集1

いわしろの,はままつが えを,ひきむすび,まさきくあらば,また かえりみむ

磐白(いはしろ)の,浜松が枝(え)を,引き結び,ま幸(さき)くあらば,また帰り見む 

有間皇子  (第二巻-141)

磐白の,浜松が枝を,引き結び,ま幸くあらば,また帰り見む

 

有間皇子孝徳天皇皇子)が斉明天皇の四月十一日,蘇我赤兄に欺かれ,天皇紀伊の温泉(今の湯崎温泉)行幸をすすめ奉り,その留守に乗じて不軌を企てたが,事露見して十一月五日却って(かえって)赤兄のために捉えられ,九日紀の温湯(ゆ)の行宮に送られて其処で皇太子中大兄の訊問に(じんもん)にあった(斉明紀).この歌は行宮に送られる途中磐代(今の紀伊日高郡南部町岩代)海岸を通過せられた時の歌である.皇子は十一日に行宮から護送され,藤白坂で絞(こう)に処せられた.

御年十九.万葉集の詞書には「有間皇子自ら傷(かな)しみて松が枝を結べる歌二首」とあるのは,以上のような御事情だからであった.

一首の意は

自分はかかる身の上で磐代まで来たが,いま浜の松の枝を結んで幸を祈って行く.幸いに無事であることが出来たら,二たびこの結び松をかえりみよう.

という歌である.松枝を結ぶのは,草木を結んで幸福をねがう信仰があった.

無事であることが出来たらというのは,皇太子の訊問に対して言い開きが出来たらというので,皇子は恐らくそれを信じて居られたのかも知れない.「天と赤兄と知る(斉明紀)」という御一語は悲痛であった.けれども此の歌はもっと哀切であるこういう万一の場合にのぞんでも,ただ主観の語を吐き出すというようなことをせず,ご自分をその儘(まま)素直にいいあらわされて,そして結句に,「またかへり見む」という感慨の語を据えてある.これはおのずからの写生で,叙情詩としての短歌の態度はこれ以外ないと謂っていいほどである.作者はただ有りの儘に写生したのであるが,後代の吾等がその技法を吟味すると種々のことが云われる.例えば第三句で,「引き結び」と云って置いて,「まさきくあらば」と続けているが,そのあいだに幾分の休止あること,「豊旗雲に入り日さし」といって,「こよひの月夜」と続け,そのあいだに幾分の休止あるのと似ているごときである.こういうことが自然に実行せられているために,歌調が,後生の歌のような常識的平俗に堕る(おちる)ことが無いのである.斎藤茂吉 万葉秀歌)

シイ(椎) / いへに あれば,けにもる いひを,くさまくら,たびにしあれば,しひの はに もる 有間皇子 - yachikusakusaki's blog へ

 

◎磐白(いはしろ)の浜の松の枝を結んで,幸いにも無事だったら,またここに戻ってきて見よう.

有間皇子(ありまのみこ)が謀反(むほん)の罪で捕らえられ,紀の湯に連行される途中で詠んだ歌です.磐白(いはしろ)は現在の和歌山県日高郡南部町(みなべちょう)です.( 楽しい万葉集 (0141): 磐白の浜松が枝を引き結び

 

松 / 万葉集2

まきむくの,ひはらもいまだ,くも ゐねば,こまつが うれゆ,あわゆき ながる

巻向(まきむく)の,檜原(ひはら)もいまだ,雲居(くもゐ)ねば,小松(こまつ)が末(うれ)ゆ,沫雪(あわゆき)流(なが)る   柿本人麻呂歌集 (第十巻-2314)

巻向の,檜原もいまだ,雲居ねば,小松が末ゆ,沫雪流る

 

◎巻向の檜林は既に出た泊瀬(はつせ)の檜林のように,広大で且つ有名であった.

その檜原に未だ雨雲が掛かっていないのに,近くの松の梢にもう雪が降ってくる,

という歌で,「うれゆ」の「ゆ」は「ながる」という流動の動詞に続けたから,現象の移動をあらわすために「ゆ」と使った.消え易いだろうが,勢いづいて降ってくる沫雪の光景が,四三調の結句でよくあらわされている.この歌は人麿歌集出の歌だから,恐らく人麿自身の作であろう.(斎藤茂吉 万葉秀歌)