カワセミ: 鎌倉扇ガ谷の扇川の横を歩いていると,青いものがすっとすり抜けて,小さな流れの土手のコンクリートへ. 慌ててシャッターを切ったのですが,既にまた飛び去った後.と思ったら,飛ぶ直前の姿が捉えられていました.友人に確かめたところ,「カワセミ」.鎌倉の市街地にカワセミなんて思いもしませんでした.

今日も鎌倉は雨が降ったりやんだりの天気.昼過ぎに届け物があって,鎌倉扇ガ谷の奥へ行ったその帰り青いものがすっとすり抜けて,小さな流れの土手のコンクリートへ.

慌ててシャッターを切ったのですが,既にまた飛び去った後.ところが---

写した写真を見てみると,飛ぶ直前の姿が捉えられていました.ピントもずれ,頭部は動いていたのか,はっきりしませんでしたが---

友人に画像を送ったところ,「川にいたならカワセミでしょう.清流でなくてもやって来ますよ」とのこと.野外で動いている姿をはっきり見たのは初めて.かなり感激.

もう少し写真がはっきりしていればよかったのですが---

 

追加:iPhoneのカメラでLive撮影していたことを忘れていました.

改めて,Live撮影から画像を選択しました.解像度は悪いものの,カワセミの嘴も写った画像,そして,飛び立とうとする画像を選択して掲載します.

https://ja.wikipedia.org/wiki/カワセミ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ファイル:カワセミ_雌.jpg

小さな流れの名前は,扇川.一時ドブ川のようになっていましたが---

その前には,この上流には蛍がいたのですが,その後見かけなくなっていました.最近はかなり復活していて,魚も住むようになってきているとのこと.

https://kamakuratoday.com/suki/kaito/399.html

カワセミも常駐するようになるといいのですが--

カワセミに出会ったのは,すぐ近くには扇ガ谷上杉管領屋敷跡がある場所です.こんな市街地にカワセミ!思いもしませんでした.

扇谷上杉氏おうぎがやつうえすぎし(旺文社日本史事典 三訂版「扇谷上杉氏」の解説)

室町時代,鎌倉府の管領職を世襲した上杉氏の一流.室町時代に上杉氏は4流(扇谷・詫間 (たくま) ・犬懸 (いぬがけ) ・山内 (やまのうち) )に分かれたが,そのうち山内家と並び勢威を張った.永享の乱(1438〜39)に際し,持朝 (もちとも) は上杉憲実 (のりざね) (山内家)と結んで鎌倉公方足利持氏を滅ぼし関東の実権を握った.その後,山内家との間で内紛がおこり,しだいに衰え,朝定 (ともさだ) の代に河越の戦い(1545〜46)で北条氏康に敗れ,滅亡した

 

お向かいの英勝寺は太田道灌屋敷跡に建てられたと伝えられています.太田道灌は扇谷上杉の「家宰(家の仕事を、その長に代わってとりしきる人)」.

英勝寺山門近くの梅は,開花が進んでいました.今年は例年より早いと思います.

 

その隣の寿福寺

山門からの石畳がとても美しいお寺.格も高く,鎌倉五山第3位に位置づけられています.

北条政子が頼朝の死後、頼朝の父である義朝の旧邸跡に明庵栄西を招いて創建した寺で13世紀後半になって禅宗の寺院に.https://www.trip-kamakura.com/place/168.html

 

裏の墓地を取り囲む崖(上は源氏山公園への山道が通っています)には,「やぐら」(鎌倉~室町時代に鎌倉で主流となった横穴式の墓・供養塔)が沢山並んでいて,その中に,「政子の墓」「実朝の墓」とされています.

 

源氏山への道

 

沢山の「やぐら」が並んでいます.

 

政子の墓.

 

実朝の墓.