相模原事件後も止まらない「命の選別」 作家の雨宮処凛さんがこの流れに対抗するために実践していることとは?  医療の世界の「自己決定」と「自己責任論」//刷り込まれてきた「障害=不幸」「高齢者=お荷物」という図式.そんな刷り込みをどの段階でも修正することができない//複雑な議論を飛ばしてなぜか「統治者目線」//「本音」を言う統治者と一体化する人々//生きることは何かを成し遂げた人の報酬じゃない//「かわいそう」だと思ったら,そこから助ければいい BuzzFeed岩永直子

相模原殺傷事件から4年の7月26日にあわせ,「命の選別」に関わる優れたインタビュー記事がBuzzFeedに掲載されています.

 

インタビューアーは,新型コロナウイルスでタイムリーな記事を発信し続けているBuzzFeed岩永直子さん.優生思想に関わる問題にも積極的に発言を続けてきました.

 

インタビューを受けたのは次のお二方.

詩人/岩崎 航(いわさき・わたる)さん.

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/sagamihara-iwasaki-2020

作家・活動家/雨宮処凛(あまみや・かりん)さん.

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/sagamihara-amamiya-2020-1

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/sagamihara-amamiya-2020-2

 

どちらも,問題の本質に関わる好記事.

今日は雨宮さんへのインタビュー(前後編)より,その一部を掲載させていただきます.ぜひ全文をお読み下さい.

 

Buzz 2020年7月26日

相模原事件後も止まらない「命の選別」 医療の世界の「自己決定」と「自己責任論」

 相模原事件から4年.命を選別する思想はその後も繰り返し現れ,ALSの女性が医師二人に薬を投与されて死亡する事件まで起きた.相模原事件の裁判を傍聴し続けてきた作家の雨宮処凛さんがこの流れに対抗するために実践していることとは?

by Naoko Iwanaga

岩永直子 BuzzFeed News Editor, Japan

 

f:id:yachikusakusaki:20200729234414j:plain

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/sagamihara-amamiya-2020-1
 

相模原市知的障害者入所施設「津久井やまゆり園」で,元施設職員の植松聖死刑囚が2016年7月26日未明,入所者19人を刺殺し,職員を含む26人に重軽傷を負わせた「相模原事件」から4年が経った.

今年3月には死刑判決が確定し,事件としては一区切りしたように見える.

しかし,事件後も命を選別する思想の蔓延は止まらない.

----(中略)

こうした状況に危機感を抱き,無条件で生きるための草の根の運動を続ける作家の雨宮処凛さんは植松死刑囚の裁判もずっと傍聴し『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(太田出版)を出した.

ALS女性の嘱託殺人事件が明るみになった翌日の7月24日,お話を伺った.

 

医療の世界の「自己決定」と「自己責任論」

ーーALSの女性の依頼に応じて医師二人が薬で死なせたとされる事件は衝撃でした.(中略)

相模原事件と重なって驚きました.

 

断片的にしか見ていないのですが,植松死刑囚の言い分と近くて驚きでした.

植松死刑囚は日本の財政難を勝手に憂いて,「日本はもたない」とか,こんなに大変な人がたくさんいるのだから障害者を生かしておく場合ではないとか,こんなに無駄に税金が使われていると言っていました.

そういう話を,本来命を救うべき医師がそのまましています.

一定数の医師がそのような考えを持っていることは漠然とは知っていました.7月22日には公立福生病院の人工透析中止事件で遺族が病院を訴えた裁判の第一回口頭弁論に行き,報告集会にも行きました.

あの事件も医師が透析中止を提案し,それに違法性がないかが争点になっています.集会では被告側の「自己決定権」という言葉についても触れらましたが,医療の世界の自己決定は,一般の世界で言う「自己責任論」に近い印象を受けました.

色々な選択肢と十分な情報が与えられて,自分の自由意志で選べる状態が担保されていて自己決定と言えると思うのですが,それらが担保されている人はごく一部です.

選択肢も情報もないのに,「自己決定なのだから,仕方ない」という言い方はすごく危険だなと思います.

 

ーー要は実質一つの選択肢しかなくて,そこに誘導されるような状態での「自己決定」を迫られるということですね.

 

そうです.人工透析の中止事件でも,あの件を擁護する医者の中では「医療費が莫大にかかる」という問題意識があるということを聞いていました.でも,現場の医療者がそういうことを言ったらアウトでは,と思います.

そうしているうちに,新型コロナが流行し,「トリアージ(緊急度や重症度に応じて治療の優先順位をつけること)」「人工呼吸器を誰に優先的につけるんだ」という議論が出てきました.非常時の中で,露骨に命の選別がなされるようになってきたと感じます.

どうやって呼吸器を増やすか,病院のベッド数を増やすかという議論にはならず,「誰を優先して生かすか」という議論には非常に違和感があります.

その中で今回,ALSの事件が明らかになりました.ああ,本当に行き着くところまできてしまったのだなと思いました.

----中略

 

刷り込まれてきた「障害=不幸」「高齢者=お荷物」という図式

ーー家族から厄介者に思われている高齢者を医療に紛れて殺して,罪に問われない方法などを電子書籍で出していたり,「自殺幇助がなんで罪になるのかがよくわからん」などTwitterでつぶやいたりもしていました.この事件を受けて,大阪市長ら一部の政治家が「尊厳死の議論を始めよう」と呼びかけているのも的外れではないかと感じます.

 

しかし,それを的外れと思う人も今の日本では少ないのかもしれません.

本人も「こんな姿で生きたくない」と書いていますね.

本人がALSになるまでにそういう感覚を持っていたのであれば,なおさら辛いのはわかります.

でも,様々な形で自立生活をして自分らしく生きるALSの人や障害者運動をしている人たちの生きる姿を見ていたら,「こんな風に豊かに生きられるんだ」と思えたかもしれない.知っていたら,そんな気持ちにはならなかったかもしれません.

寝たきりだったり,チューブがたくさんついたりする状況になってまで自分は生きたくないと言う人がおそらく多数派でしょうし,「無駄な延命で本人を苦しめているのではないか」と善意で言っている人も多い.

でもそれは,いろんな種類の病気や老いの問題をごちゃ混ぜにしている雑な議論だと思います.チューブだらけになって,胃ろうをして,呼吸器をつけて,そういう治療をして治る人が大勢いる.実際,コロナになって呼吸器をつけて回復している人はたくさんいます.

でも,コロナの感染拡大期じゃなかったら? 呼吸器に「つながれた」その一瞬の姿だけを見て「残酷」と思い,「無駄な延命」と思うかもしれない.治療の一瞬を切り取ったものを素人が見て,勝手に「かわいそう」などと決めるのはあまりにも雑です.

病気の種類によっても違うのに,寝たきりで,食事ができない,自力で排泄できないことイコール不幸,のような考えが広がっています.あまりにも雑に考えている.

 

私自身も以前は詳しく知らずに「チューブに高齢者を繋ぐのは残酷」という単純化されたものの見方に乗っかっていました.

自分が物心ついた1980年代から,少子高齢化で自分たちの世代は損をしながら上の世代を養っていかなければいけないと植えつけられてきました.幼い頃からある意味で世代間対立を煽られ,「お荷物になる高齢者を自分たち世代がいろんなものを犠牲にしながら面倒を見なければいけない」と刷り込まれてきた.

学校教育でも言われてきたし,メディアも散々煽ってきた.そういうやり方も間違っていたのだと思います.でも,普通に生きていたら,そんな刷り込みをどの段階でも修正することができない.

 

私はたまたまいとこが障害者だったり,障害者運動を知ったりしたことで,そんな考え方が間違っていることに気づきました.

 

----後略

 

 

Buzz 2020年7月27日

「かわいそうだと思うなら,助ければいい」 雨宮処凛さんが「死なせる」ことが解決と考える人に訴えたいこと

 https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/sagamihara-amamiya-2020-2?bfsource=relatedmanual

相模原事件から4年経ち,「ますます命を大事にしない状況は進んでいる」と話す作家の雨宮処凛さん.障害者や難病者,高齢者を「かわいそうだ」と見下げる人たちに届けたい言葉を伺いました.

by Naoko Iwanaga

岩永直子 BuzzFeed News Editor, Japan

 

相模原市知的障害者入所施設で,元施設職員の植松聖死刑囚が2016年7月26日未明,入所者19人を刺殺し,職員を含む26人に重軽傷を負わせた「相模原事件」から4年.

植松死刑囚の裁判を傍聴し続け,『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(太田出版)を出版した作家の雨宮処凛さんは,この国が植松死刑囚を生み出すべくして生み出したという思いを強めてきた.

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

相模原事件以降,ますます進んでいるという命を大事にしない社会の空気はなぜ醸成されてきたのか.そして,第二の植松死刑囚を生まないために,何ができるのか.

 

複雑な議論を飛ばしてなぜか「統治者目線」

ーー何かの問題意識を持ってから,一気に短絡的な結論に向かってしまうという「ショートカットの思想」は,SNSなどの議論でもよく見られます.この本でも現代社会では「これさえやれば全ての問題が解決する」という議論がされがちと書かれていましたが,植松死刑囚もそういう議論の仕方に影響を受けていたと思われますか?

 

彼の場合は,障害者を殺せば,戦争もなくせるし,難民問題も解決できると法廷で繰り返した.障害者さえいなくなれば世界はバラ色,のようなめちゃくちゃなショートカットをして,でも,その思考は今時っぽいなとも思います.

さらに,常に統治者目線,王様の目線で見ているところがまさに今時っぽいと思いました.

なぜ一施設の職員が,国家の財政をあれほど憂いて自分の力で解決しなければならないと思ったのか.一労働者の目線ではなく,統治者目線で俯瞰して,「予算がないから障害者はいらないんだ」と言う.

少なくない若い世代に広く蔓延する「経営者マインド」のような視点はどこから来るのだろうと思うのです.

植松は30歳ですが,私より10歳ぐらい下の世代にはそういうマインドを強く感じます.例えば,時給を上げろというデモを見た若者が,「いや,中小企業が潰れるだろ.現実を見ろ」と言ったりする光景はよくあります.

自分が時給1000円くらいで働いてるのに,なぜか経営者目線.こういう作法はいつから生まれたのでしょうか.

 

同時に,「これさえなくなれば全て解決する」というあり得ない考え方もこの10年ほどでよく見ますね.格差社会が深刻化していることによる思考停止の問題とすごく関係あるような気がします.

 

ーー植松死刑囚も事件直前には精神病院に措置入院させられたりして,自分の方が排除されるかもしれないという危うい立場に置かれました.一方,本の副題にもなっていますが,植松被告は「国や世界のため」と犯行予告を衆議院議長に送り「社会に役に立つ人間になりたい」という強烈な願望を持っていました.これは,不安の裏返しでしょうか?

 

不安の裏返しもあるし,私たちの世代や上の世代がこの20年ぐらいの格差の問題を色々解決しようとしてきたけれども,結局良くなっていないじゃないかという責める気持ちをぶつけていることも多々ある気がします.

なんとなく,「何をやってもダメだったじゃないか」という怒りや諦めがあったのだと思います.上の世代は無能だし,社会に文句を言ったり,変えようとしたりしても無駄なんだという,ものすごい諦めを感じるんですね.

思考停止やショートカットがここまで蔓延するのは,何一つ解決しなかったじゃないかという無力感もあるのだと思います.

それより,「〇〇が悪い」と言った方がスカッとする.考えて,分析して,構造を紐解いても,それが何になるの?という.アカデミックな議論や社会活動家の行動に対して,「無駄」だとバカにしているし,何のリスペクトもないですよね.

そうなると,俺や私がガス抜きさえできればいいんだ,と思ってしまう.「根本解決なんて求めていないから放っておいてくれ」と突き放す姿勢を感じます.

 

----中略

 

「本音」を言う統治者と一体化する人々

ーー相模原事件後,優生思想や命の選別に基づく発信や事件がたくさんありました.裁判をして,死刑判決となりましたが何か解決したとか,再発防止策が取られたような気がしません.

 

30年以上かけて作られてきた「少子高齢化だから何もかも足りません」という刷り込みたるや,物心ついた時から常に日本ではホットな話題であって,この時限爆弾はいつか爆発するとずっと脅されてきました.

植松は障害者を殺せば税金が浮く,色々解決されると主張していましたが,障害者福祉の予算は日本の一般会計の1%程度にしか過ぎない.そういうことを言い続けるしかない.

少子高齢化で大変だ」「高齢者が増えて肩車式の財政になる」というのを国をあげて宣伝してきたことの結果が,相模原事件であり,人工透析中止事件であり,ALS患者の嘱託殺人であり,長谷川豊氏の主張であるということです.

その人が幸せなのか,勝手に人の人生の質を誰かがジャッジすることが許され,それが常に財源論とセットで出てくる.日本の貧しさが極まっているのがこのあたりの話だと思うのです.

誰かの生活の質が高い,低いを決める権利は誰にもない.だからこそ命の選別はだめなわけです.全て,「あなたは神様なんですか?」という質問で跳ね返したい.

そして,もっとも苦しいはずの人たちが,弱者として声をあげるのではなく,トップや経営者のマインドで議論してしまう.強い者と一体化すると楽ですが,一体化するとその価値観になってしまう.

「いらないやつは殺せ」「切り捨てろ」という価値観だけど,自分がその対象になることを考えない.

 

ーートランプ大統領を支持していた植松死刑囚が,その影響について「真実をこれからは言ってもいいんだと思いました」というのも印象的でした.「俺は現実も見て,綺麗事ではなくあえて本音を言う」という態度が賛美されるのは日本でも見られることですね.

 

政治家なのに建前を言わない,本音を言っているとして,魅力的だと評価される.そういうことで,石原慎太郎麻生太郎の発言は許されてきましたよね.いくら二人が命の選別発言をしようとも,「石原節」(⇒*)「麻生節」としてしまったメディアの責任は大きいです.

トランプも「トランプ節」ですが,その言葉が流通して,植松を極端な形で動かしてしまっても誰も責任は取れません.そういう雑な議論,言葉がどれほど危険かは自覚しないといけないと思います.

 

生きることは何かを成し遂げた人の報酬じゃない

ーーそうした本音トーク,命の選別を「仕方のないこと」とする言葉,流れに対抗するのはとても大変そうです.

 

言っても綺麗事,お前は偽善者だ,お花畑だ,現実をわかっていないと100パーセント言い返されます.

建前や綺麗事の復活も考えなくてはいけません.それがないならみんな死ね,役に立たない奴は死んでしまえという社会でいいのか考えてほしいです.

相模原事件が起きた4年前より確実に日本社会は酷くなっています.確実に,社会のあらゆるところにその芽が出ています.

 

ーー対抗するために,私はこうやっていくという雨宮さんの戦う手段があったら教えてください.

 

こういう社会になっている一番の原因は,多数派の人が自分の生存に自信を持てていないことかもしれません.自分は生きていてはいけないと結構な数の人が思いこまされている.自分は役に立たなくなった瞬間に自殺しないといけないとまで無意識に思っている人が相当多いと思います.

だから高齢者や障害者は生きる意味ないと言ってしまうのかなと思います.

自分が生きていることに一切疑いがない状態だったら,こういう言説は出てこないと思うのです.

私自身は命を大切にする実践をしていきたいと思っています.だから新型コロナで生活が困窮している人の支援もしています.現場に行けば行くほど,この社会がどれほど命を踏みにじっているかを突きつけられます.

私自身は,「無条件の生存の肯定」というスローガンを掲げるプレカリアート運動(失業者・非正規雇用者などの生存運動)に31歳で出会ったことが大きかった.完全に呪縛から解放されました.

条件付きでなくても自分も他人も生きていていいという言葉をとにかく信じてみようと思いました.生存は条件付きでなくていい.生きることは,何かを成し遂げた人の報酬として与えられるものではないんだ,みたいな世界観です.

逆ギレして生きさせろという運動が掲げていたのが,無条件の生存の肯定だった.

この言葉には,魂レベルで救済されたかもしれません.

それまで自分は生きている価値がないと思っていたし,ある意味,優生思想的なところがあったと思います.でも,無条件に生存を肯定してしまえばいろんなものは解決することに気づきました.

子供の頃から「役に立つ」とか,「親や先生の気にいる子どもでいる」というなんらかの条件を満たさなければ,お前なんかいらないというメッセージしか受けてこなかった.日本で義務教育を受けた人のほとんどが自分も他人も肯定できないのではないかと思います.

子供の頃から競争させられ,足りない部分ばかりについて言われていると自分を肯定できない.役立たずは死ぬしかないという価値観になってしまいます.

 

 

「かわいそう」だと思ったら,そこから助ければいい

ALSになって,あんな状態になったらかわいそうという議論もありますが,私は運動に出会って,老いることも,病になることも,貧しくなることも,ALSも怖くなくなりました

ああ,こうすればいいのだというノウハウを知ったからです.

無一文になっても,ALSになっても,この団体に言えばいい,この制度を使えばいいといういろいろな方法があると知っているし,高齢の場合はこうだとか,色々と生きるための医療資源,社会資源を知っていったからです.

漠然と,老い,病が怖いということがなくなりました.

 

ーーそんな生きるための情報や資源にたどり着けていない人も多いのでしょうか.

私はALSや難病,障害があっても生き生きと生きている人たちとたくさん知り合って,自分がそうなったとしても生きられるんだと具体的にわかった.意に反して苦しい思いをさせられるのではない生き方や医療との関わり方はできるのです.

 

----(中略)

 

環境によって人や状況は変わる.たまたま劣悪な状況に置かれているのを見て,不幸だ,死んだほうがいい,殺した方がいいと思うより,かわいそうだと思うなら,そこから助けろよと思います.

少なくとも私はSOSを受けた生活困窮者に対してはそれを実践していますし,かわいそうな人をかわいそうじゃない状況にすることはできる.どんな分野でもそれを実践している先輩たちはたくさんいます.

「身内や自分の働いている医療施設や福祉施設でこんなかわいそうな状況があるから安楽死は否定できない」というなら,調べて改善しましょう,働きかけようよと思います.

理解し,支援してくれる人に会えば,一瞬で地獄から天国になることは山ほどある.高齢者施設でも障害者施設でもそうです.

「不幸だ不幸だ」といっている暇があるなら,不幸じゃないようにする努力をしてみませんか? あなたの電話一本,メール一本でガラッと変わるかもしれない.

私も含めた「期間限定の健常者」にできることは,かわいそうだという議論じゃなくて,改善するために動くことです.

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/sagamihara-amamiya-2020-1

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/sagamihara-amamiya-2020-2?bfsource=relatedmanual

 

(⇒*)

Buzz ·最後の更新 2020年7月28日. 公開 2020年7月27日

石原慎太郎都知事、また暴言「業病のALS」 当事者、支援者「呆れる」「恥ずかしい」

作家で元都知事、元国会議員の石原慎太郎氏が、ALSの嘱託殺人事件について、ALSを「業病」とした上で「武士道の切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳」などと医師らの行為を肯定するツイートをしました。

by Naoko Iwanaga

岩永直子 BuzzFeed News Editor, Japan

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/ishihara-bougen

 

関連記事

https://note.com/otsukishoten/n/n31296382d0c5

note.com