相反する2つの思い
ノンフィクションライター 渡辺一史さん
読売新聞 3月17日朝刊 湘南版
死刑判決を聞いて,私の胸中は2つの思いに引き裂かれる気がした.
一つは「死刑は当然だ」という思いだ.
過去の判例に照らすまでもなく,この事件で奪われた生命の数は類を見ない.この一事をもって最高刑以外の選択はありえないだろう.
仮にそうではないとしたら,それこそ植松被告の主張する「心失者(意思疎通のとれない障害者)は人ではない」を肯定したとも受け取れかねない.それゆえ,死刑は当然だとの思いがある.
しかい,同時に真逆の思いも抱くのである.
今なお植松被告は「心失者はいらない」との主張を変えていない.その被告に対して,「いや,お前こそいらない」という判決を突きつけたのが今回の死刑である.
まさに被告と同じ論理で被告を社会から排除することになる.
それが果たして本質的な解決といえるのだろうか.
植松被告が自らの主張を見つめ直すきっかけを与えることは本当に不可能なのか.
これら二つの思いが,まったく等量の重みでのしかかってくる.
もう一つは,「ネット空間」が植松被告に与えた影響についてである.
彼がヤフーニュースなどのコメント欄に差別的な書き込みをしたり,動画配信サイトに犯行予告めいた動画を繰り返し投稿していたりしていたことは知られている.
しかし,裁判でこの側面が深く議論されることはなかった.
植松被告が,その世界観をイルミナティカード(*)などに乗っ取られるかのようにゆがませていったのもネット空間かもしれない.ここには,現代社会の普遍的な深い問題が横たわっている.
事件の真相究明は,まだ始まったばかりだ,という思いさえ抱くのである.
*カードゲーム.各プレイヤーが、他のプレイヤーと争いながら自分の支配組織(自分の場札)に小組織(カード)を取り込んでいき,一定数を支配したら勝ち,というもの.ウィキペディア
読売新聞 3月17日朝刊 湘南版
読売新聞 3月17日朝刊湘南版