オウィディウスMetamorphosesに描かれた「アキスとガレテアの恋物語」
〈田中秀央・前田敬作訳 / オウィディウス 転身物語 / 人文書院 より〉
1. オウィディウス「アキスとガレテアの恋物語」の前章には,英雄アエネアスの航海が描かれていきます.
上陸したシチリア島:「この島の右側にはスキュラがのさばり,---」「スキュラは,かつてはほんとうにひとりの乙女であった」「多くの求婚者たちが言い寄ったが,かの女は,それをことごとくはねつけて,かわいがってくれる海の妖精たちのところへ逃げていき----」
スキュラが逃げていった先の「海の妖精たち」ネーレイデス. その一人として,ガラテア(ガラテイア)が登場します.
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2. 本章
「アキスとガラテアの恋物」は,ガラテアがスキュラに語る身の上話の形ですすめられることになります.
この物語の登場人物は3名.
この中で,最も長いセリフを用意されているのは,なんと,キュクロプス(キュクロープス)のポリュペムス(ポリュペーモス).
人文書院版「転身物語」では,7ページ弱の物語で,3ページ以上におよびます.ガラテアへの愛の告白と贈り物,自らの自慢,憐憫をさそうような言葉,アキスへの嫉妬と脅し---.
一方,アキスのセリフは,殺されそうになって助けを求める言葉のみ.転身(変身)するのはアキス.しかも美しい河への転身ですから,ガラテアとともに主人公となる条件は揃っています.
しかし,内容を読むと,圧倒的な存在感をもっているのはポリュペムス.ストーカー的ではありますが.
というより,現代のストーカーの条件をすべて備えている?
Cyclopes - Wikipedia キュクロープス - Wikipedia
ガラテアGalatea(ガラテイアGalateia):
50人いるといわれるネーレイデス(ネーレーイデス,ネレイデス,ネレイド;ネーレウスとドーリスの娘たち)の一人で静かな海のニンフ(ニュンペー)/女神.
ガラテアは「乳白の女」の意.
アキスacis(アーキスĀkis):
河神シュマイトスの娘(ニンフ)と牧神パーン(ローマ神話のファウヌス)との子で狩人.物語の最後で,祖父と同じく河神として同名の河に転身.
ポリュペムスPolyphemus(ポリュペーモスPolyphēmos):
人を喰うキュクロプス(キュクロープス).1つ眼の巨人で,ポルキュス(ガイアとポントスの子)の娘トオーサとポセイドーンの子とされる.ガラテアの恋物語の他,オデュッセウスが語る航海譚に登場し,オデュッセウス(ラテン語名 ウリッセス/ウリクセス)に眼をつぶされてしまう.
アキスとガラテアの恋物語(抜粋)
〈田中秀央・前田敬作訳 / オウィディウス 転身物語 / 人文書院 より〉
「ファウヌス(牧神パーンと同一視される半神)を父として,シュマエトゥスの流れ(シチリア島の河)に棲む水の精から生まれたアキスは,その両親にとって大切なよろこびでしたが,わたしにとってはさらに大切な人でした.というのは,アキスこそ,わたしのこころをとらえたただひとりの人だったのですもの.
かれは,十六歳になったばかりの,うっとりとなるような美少年で,やさしい頬には,やわらかいうぶ毛がかすかにはえていました.わたしは,たえずかれのあとについてまわり,そのあとをまたキュクロプスがつけまわしていました.このキュクロプスをきらう気持ちとアキスに対する愛のどちらが強かったかと問われたら,わたしはどちらとも答えられないでしょう.どちらもおなじぐらいだったのです.
けれども,やさしいウェヌス(アプロディーテー)さま,あなたのお力はなんと強いことでしょう!だって,森でさえ怖れ,どんな他国の人でもかれに会ったら最後二度と生きて帰れないといわれた男,あの偉大なオリュムプスの山をもそこに住む神々をも軽蔑していた男,こういう札つきの乱暴者ですら,愛のなんたるかを感じ,はげしい情熱のとりこになり,自分の家畜の群や洞穴のこともわすれはてて,ただもう胸の炎をもやしつくしたのですから.
ポリュペムスよ,いまではおまえは,身なりに気をつかうようになり,なんとかしてわたしの気に入られようと,熊手でごわごわとした髪をとくやら,ざらざらのひげをけんめいに鎌で刈るやら,おそろしい顔を水鏡にうつしてお化粧をするやら,それこそやっきになりました.
そのために,人殺しや狼藉や底しれぬ吸血欲はおさまり,ここをとおる船は,何の危険もなく去っていくことができました.
----中略
わたしは,とある岩かげにかくれて,アキスの膝のあいだにもたれていましたが,遠くからかれ(ポリュペムス)の言葉がきこえてきました.
その言葉は,今でも覚えています.それは,こう言うのです.
『おお,ガラテアよ,ゆきのようないぼたの木の花びら(白色の比喩)よりも白く,牧場よりもはなやかで,高いはんの木よりもすらりとし,水晶よりもかがやかしく,かわいい仔山羊よりも剽軽(ひょうきん)なガラテア,
-----中略
しかし,もしわしというものをよく知ったならば,おまえは,きっとわしから逃げまわったことを後悔し,わしをこばんだことをすまないとおもい,わしをひきとめようと努めるようになるだろう.
わしは,山の中腹に,自然の岩を天井とした洞穴をもっている.そこでは真夏の太陽のはげしい暑さも,冬のきびしい寒さもしらずに暮らせる.枝もたわわにみのった果物もあれば,ながい蔓のさきにぶらさがった黄金いろや紫紅のぶどうもある.これもみな,おまえにやるためにとっておいたのだ.
----中略
また,ここにいる羊の群は,みんなわしのものだ.
----中略
さあ,ガラテアや,青い海から美しい顔をだして,ここや来ておくれ.わしの贈物をいやがらないでおくれ.
わしは,自分をよく知っている.このあいだも,きれいな水にわが身をうつしてみたが,その姿は,わしの眼に気に入った.ごらん,わしのからだは,こんなに大きくて,りっぱだ.天にいるユピテル(ゼウス)とやらも,こんな大きな身体はしていまい.
----中略
なるほど,わしは,顔の真中にひとつの眼しかない.しかし,それは大きな盾のようなものだ.しかも,ひとつ眼ではいけないのだそうか.あの太陽は,大空から全世界を見おろしている.しかし,太陽は,ひとつしか眼がないではないか.
それに,わしの父は,おまえが住んでいる海の王者(海神ネプトゥヌス ポセイドーン)だ.わしは,海の大神をおまえの舅にしてやろうというのだ.
どうか,わしを不憫におもって,切なる願いをきいておくれ.わしがこんなに腰を低くするのは,おまえにむかってだけだ.
おおネレウスの娘や,ユピテルも天井もすべてをうち砕く雷電をも見下すわしが,おまえだけはこわくてならぬのだ.おまえの怒りは,雷光よりもおそろしい.
おまえがすべての男たちを寄せつけないというのなら,このような冷たい仕打ちをされても,まだ我慢ができよう.しかし,なぜこのキュクロプスをきらって,アキスを愛するのだ.なぜ,わしの抱擁よりもアキスの方をえらぶのだ.
だが,アキスのやつは,せいぜい得意になっているがよい.そして,ガラテアや,わしはつらいことだが,おまえもせいぜいあの男に首ったけになっているがよい.しかし,あいつを見つけたら最後,わしはこの身体にふさわしい力があることを思い知らせてやるからな,生きながら腹わたをひきずりだし,手足をばらばらに引き裂き,野原やおまえの住む水のなかにまきちらしてやる.そうしておまえといちゃついているがいい.
わしの胸は,たぎりたち,傷つけられた恋の焔(ほのう)は,なおさらはげしく燃えあがっているのだ.まるでアエトナの火山がそのはげしい噴火の勢いでわしの胸のなかにとびこんできて,すのまま居すわってしまったような気持ちだ.それなのに,ガラテアや,おまえの仕打ちは,あいかわらず情(つれ)ない』
----中略
ところが,アキスとわたしは,まさか出くわさないだろうとたかをくくっていたところを,不意にこの怪物に見つかってしまいました.
すると,かれはさけびました.
『さあ,見つけたぞ.おまえたちの最後の逢いびきにしてやるからな』
----中略
わたしは,怖ろしさのあまりすぐ近くの海にとびこんでしまいましたが,シェマエトゥスの流れからうまれた若者は,背中をむけて逃げながら,『おお,ガラテア,どうか助けておくれ!おお,お父さん,お母さん,助けてください.あなたがたの国にかくまってください.でないと,殺されてしまいます』とさけびました.
キュクロプスは,そのあとを追っかけ,山から大きな岩を抜きとると,それを投げつけました.
そして,岩のほんの角っこがかすめただけだったのに,アキスはめちゃめちゃにくだかれてしまいました.
そこで,わたしたちは,運命がゆるしてくれるただひとつの手段をえらびました.つまり,アキスがその祖父(シュマエトゥスの河神)とおなじ力を持つようにしたのです.
かれを殺した大きな岩の下からは,まっ赤な血が流れていましたが,たちまちのうちにその赤い色は消えはじめました.
----中略
岩のくぼみから水が音たかく噴き出してきました.
と,突然,水のなかからひとりの若者が,腰のあたりまで姿をあらわしました.生えたばかりのその角(河神は牡牛の姿で想像された)は,編んだ葦で飾られていました.それは,体軀がずっと大きくて,顔の色が蒼いという点をのぞけば,アキスそっくりでした.でも,こんな姿をしていても,それはやっぱりアキスで,河になっただけなのでした.その河は,もとの名前をそのまま残しています.」