相模原障害者殺傷事件から3年
直視しない二つの事実 渡辺一史(ノンフィクションライター*)
東京新聞 6月26日夕刊
2016年に相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件から26日で3年になる.
筋ジストロフィーの男性を追った「こんな夜更けにバナナかよ」の著者で,ノンフィクションライターの渡辺一史さん(51)は今年から,植松聖被告(27)と面会を続けてきた.対話する中で見えてきたこととは─
殺人罪などで起訴され,現在,横浜の拘置所にいる植松聖被告と,これまで私は九回の接見を重ねてきた.
私が植松被告に直接会って話をしたいと思ったのは,昨年出版した『なぜ人と人は支え合うのか』の中で,この事件を論じたからだ.
3年前の七月二十六日,植松被告は,『意思疎通のとれない重度障害者は安楽死させるべき』との主張から,元の職場であった知的障害者施設に忍び込み,四十人以上を殺傷するという衝撃的な事件を巻き起こした.
私は20年近く障害や介護の分野を取材してきた.その体験を通じ,一見「意思疎通がとれない人」でも,言葉を超えて「通じ合う」のは可能なことや,また,その体験が,時に人生を一変させうるほどの気づきをもたらすことを身をもって学んできた.
それを,いわば被告への手紙に綴るつもりで本に書いたのだ.
実際に会った植松被告は,実に礼儀正しく,言葉づかいも丁寧な二十代の青年だった.接見のたびに「今日はわざわざありがとうございます」と深々とおじぎをして迎えてくれるなど,およそ事件の凄惨(せいさん)さとは異なった印象を抱かせる.
しかし,対話によって問題を掘り下げようとすると,一転していら立ちをみせ,
「渡辺さんのいうことはすべて屁理屈(へりくつ).まるで問題を解決しようとしていない」
と感情をあらわにする.
彼は,意思疎通のとれない障害者を「心失者」という独自の造語で呼び,それが日本の財政難をはじめ,さまざまな問題の根源であると説く.
自分は殺人者ではなく,社会を「心失者」から解放した「救世主」であるとの確信は,ある種の信仰のように強固だ.
しかし実際,どれほどのお金が障害者福祉サービスにかかっているのかというと,国の社会保障関係費全体からすると4%台にすぎない.たとえそれらを節約できたとしても,財政難が解決するわけではない.
それ以前に,財政も国のあり方も,実は私たちの望む方向にいくらでも変えられるはずで,「ムダ遣いの犯人」と思える人を探しては,バッシングを浴びせる姿勢が本当の英知とはとうてい思えない----.
そう語りかけようとする時の彼のいら立ちはいっそう激しく
「頭おかしいんじゃねえのか.そういうことをいってるやつらは」と声を荒げて対話を断ち切ろうとする.
もう一つ,彼が向き合おうとしない事実がある.
植松被告と接見の経験があり,今も彼と手紙のやりとりを続ける哲学者の最首悟さんが最初に指摘したことだが,「彼は『安楽死』という言葉を間違えて使っている」という点である.
現在,オランダやスイスなど,いくつかの国で安楽死が容認されているが,本来,安楽死とは本人の明確な意思に基づいて行われるもので,植松被告のいうように,「意思疎通のとれない人」を一律に,一方的に「安楽死させる」ことなどできない.
それだとナチス・ドイツが行っていた「虐殺」と変わりないことになる.
最首さんの主張をいち早く紹介した月刊誌『創』編集長の篠田博之さんが,接見の場でその点を何度も指摘したこともあり,今では植松被告は,
「安楽死にならなかったことは申し訳なかった.他のやり方では相手にされないと思った.問題提起としてやった」と一部反省の意を表すようになった.
ただ,「心失者」をどうにかして「安楽死させるべき」という彼の主張自体は変えようとしていない.
初公判は来年一月,裁判員裁判により審理させる.植松被告は,果たしてそこで何を語るのか.
私は今度もこの事件と植松被告の行く末を見届けたいと思う.
*わたなべ・かずふみ
ノンフィクションライター.1968年名古屋生まれ.北海道大学中退.
『こんな夜更けにバナナかよ』で大宅賞.講談社ノンフィクション賞.「北の無人駅から」でサントリー学芸賞など.札幌市在住.