今週の本棚
中島岳志・評
(ころから・1728円)
毎日新聞2017年12月3日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20171203/ddm/015/070/017000c
「日本人ファースト」の危うさ
今年,ずっと私の心に棘(とげ)となって刺さり続けている出来事がある.3月の大阪場所での稀勢の里の優勝である.
----(中略)
まともに相撲がとれる状態ではなかったが,それでも千秋楽の土俵に立った.
----(中略)
本割(ほんわり)と優勝決定戦に連勝し,優勝をもぎ取った.館内は熱狂と歓声に包まれた.大けがをした新横綱の逆転優勝に,賞賛の声が押し寄せた.
----(中略)
結局,次の場所以降,稀勢の里は休場を繰り返し,本来の相撲を全くとることができなくなっている.本当にあれでよかったのか.稀勢の里を追い詰めたものがあるとすれば,何なのか.
星野は近年の国技館の偏った雰囲気に注目する.
そこではモンゴル人力士への差別的な罵声が相次ぎ,「日本人ファースト」の空気が醸成されている.
声援の多寡を決めるのは「日本人力士」であること.ただし,「日本人力士」という表現には問題が含まれる.2016年初場所で,当時大関の琴奨菊が優勝し,10年ぶりの「日本人力士の優勝」として沸き立ったが,これは事実に反する.12年に優勝したモンゴル出身の旭天鵬は,日本国籍を持つ「日本人力士」だ.そこで苦し紛れにひねり出されたのが「日本出身力士」という表現である.モンゴル出身者とどうしても線引きしたいという欲望が反映されているのだろう.
----(中略)
稀勢の里には「期待に応えたいという使命感」と「横綱にふさわしいことを証明したいという気持ち」があったのだろう.彼は優勝の代償として,深い傷を背負うことになる.
「もうこんなことは起こらないでほしい」と,星野は言う.けがを押して出場することが美談になることは,玉砕を礼賛するメンタリティにつながる.「日本人ファースト」の空気が力士を追い込んでいく.
近年の新しい現象に,会場での手拍子がある.15年ごろから顕著になったものだが,モンゴル人力士にはまず起こらない.「日本出身」の人気力士や地元力士,モンゴル人力士と対戦する日本の力士に向けられる.国籍や民族によって応援される/されないが左右されるのだ.
外国人力士を「敵」のようにみなす応援や差別的な声が飛ぶと,ほとんどの他の観客は,咎(とが)めるのではなく,一緒になって笑ったり,盛り上がったりする.そこで生じる一体感は,暴力への荷担に他ならない.
----(中略)
星野は言う.国技館の偏った雰囲気は,「多くの人の心の奥底でくすぶっているネガティブな感覚が,それは表に出してよいのだという空気のもと,標準化されたものだ」.
これは,ほどなく日常化される.差別的な態度が普通のものになっていく.「スポーツの場で起こることは,やがてこの社会を覆っていくのです」
----(中略)
「日本人ファースト」の危うさを,いかに乗り越えるべきか.
星野は,近年拡大する「スー女」(相撲好きの女子)の存在に注目する.彼女らは国籍や民族という属性で力士を線引きする発想がない.モンゴル出身の横綱・鶴竜が,可愛さの象徴として人気を誇っている.その風通しのよい楽しみ方に,新しい相撲ファンのあり方を見いだす.
現在,相撲界は大変な騒ぎの中にある.この騒動には,モンゴル人力士に対するネガティブな姿勢が,多分に反映されている.本当の相撲人気が定着するかどうかは,大相撲協会の改革と共に,観衆の側が「日本人ファースト」という意識を乗り越えられるかに懸かっているだろう.
いまこそ読まれるべき必読の書である.
最後の
“ 本当の相撲人気が定着するかどうかは,大相撲協会の改革と共に,観衆の側が「日本人ファースト」という意識を乗り越えられるかに懸かっているだろう.”
は,とても大切な視点.しかし,どこまで観客の側に伝わっているか?
大相撲における今回の「大変な騒ぎ」.名前があがっている日馬富士,貴乃花,そして白鵬.皆歴史に残る横綱であり,私が大好きな力士たち.悲しい事態です.
マスコミ・ウェブの論調は,ますます「日本人ファースト」を煽り,白鵬バッシングの様相を見せているとか.
その状況を,同じ中島岳志氏が東京新聞論壇時評「相撲とナショナリズム」2017年12月26日で論じています.合わせてお読み下さい.現在まだ有料会員以外はウェブ上では読むことができないようですが.