NHKドキュメンタリー - ETV特集 アンコール▽ホロコーストのリハーサル~障害者虐殺70年目の真実 より[3]
2016年10月1日(土) 午前0時00分(60分) 再放送
参照 「20万人の大虐殺はなぜ起きたのか」 NHK福祉ポータル ハートネット
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第二次世界大戦中,ユダヤ人より前に障害者が殺されていた.そのつらい過去とじかに向き合いたい.とガス室のある現場を訪ねた一人の日本人がいました.藤井克典さん.長年障害者の人権問題に取り組んできた,第一人者です.藤井さん自身,目が見えません.
(ハダマー精神病院の映像)
ここはドイツ中西部にある精神科病院.この階段を降りた地下に,ガス室がありました.
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シャワー室に見せかけた12平方メートルほどのこの部屋が,ガス室でした.一度に50人が押し込まれ殺されました.その多くが自分の意志を主張しづらい精神障害者や知的障害者だったといいます.
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藤井さん「多いときには1日どれぐらいの人を殺害したんでしょうか?」案内者「1日で120人,しかも毎日」
なぜ人々は殺されなければならなかったのか.藤井さんが訪れたのはドイツ南部の町ギーンゲン,
バーデルさん「今日は藤井さん,お会いできて嬉しいです.」ヘルムート・バーデルさん(81歳).
戦時中障害者の父を殺された遺族です.父親のマーティンさんは脳神経系の難病パーキンソン病でした.その治療のために入院中,ガス室に送られ,殺されました.ヘルムートさんが子供の頃,父親と一緒に住んでいた家を案内してくれました.バーデルさん「とてもシンプルな家ですが.一階にはとても大きな部屋があります.靴職人だった父の作業場がありました」藤井さん「お父さんともこの辺で遊んだんですね.きっと」バーデルさん「父の作業場に小さなテーブルがありました.私はいつもそこに座って,ハンマーで釘を打つまねをしていたんですよ」
手足の震えが止まらず,仕事も手につかなくなったのは,ヘルムートさんが5歳の時.バーデルさん「この写真を見ると,父が既にパーキンソン病であったことが分かります.体が前に傾いて,片腕を背中の後ろに隠しています.表情もよくありません」
1938年,マーティンさんは家から遠く離れた大きな州立病院に入院します(州立シュッセンリード精神科病院).
それはかかりつけの医師に半ば強要された入院だったといいます.入院中マーティンさんは家族と手紙のやりとりを続けていました.ヘルムートさんの母親はこれらの手紙をずっと大切に保管していました.
バーデルさん「父は常に治療が終われば家に帰って自分の仕事に戻れると思っていました」
入院が長引く中,第二次世界大戦が始まりました.マーティンさんは家に帰れない悔しさを記していました.
「男たちは皆戦争へ行き,やらねばならないことが山ほどあるのに.私はここでじっとしているしかない.私の一番の心配事はあなたたちを養えないこと.
この手紙を知人の所へ持って行って何か仕事がないか聞いてみて下さい(1939年9月の手紙)」
しかしこの手紙には医師の注釈が加えられていました.「マーティンさんは退院したら働けると思い込んでいるようだが,うまくいくわけがない」といった内容でした.
バーデルさん「この手紙には涙の後がいっぱいあります」通訳「ここです.このあたりにシミがあります」
バーデルさん「そしてこれが父の最後の手紙です」毎月のようにやりとりしていた手紙が途絶えたのは,1940年3月.「私はどうしても40歳の誕生日は家で祝いたい(1940年3月の手紙 )」
バーデルさん「しかし父は40歳にはなれませんでした」
3ヶ月後,入院していたはずの病院ではなく,別の施設
(註 グラーフェネック:ハダマー精神病院より以前,マーティンさんの死亡通知が届く5か月前から,ここではガス室を使っての殺害が始まっていた.マーティンさんは移動後すぐに殺されたと考えられる「20万人の大虐殺はなぜ起きたのか」 NHK福祉ポータル ハートネット)
から一通の手紙が届きます.それはマーティンさんの死亡を知らせる通知でした.死因は脳卒中と書かれていました.
バーデルさん「あの日のことはよく覚えています.急に母の大きな叫び声が聞こえました.すぐに駆けつけたら母から『お父さんが亡くなった』と知らされたのです.母は『突然なくなるのはおかしい.何かが起きたに違いない』と市長に言いに行きました.しかし市長は『そんなことは言わない方が良い.あなたの身が危険にさらされますよ』と言ったのです.それが父の最期でした」
藤井さん「お手紙を読ませてもらって,とっても家族思いだったなってことがひしひし伝わってきました.ああいう死に追いやる本当の理由がね,ますます分かりづらくなった.というのが率直な今日の印象でした」
戦後70年積極的に過去と向き合ってきたドイツ.しかしユダヤ人大虐殺に比べて障害者の虐殺はあまり注目されてきませんでした.
その理由の一つは,殺害に荷担した医療者が沈黙してきたことでした.5年前ドイツの精神医学会は始めて自分達が組織的に関与してきたことを認め謝罪しました.
フランク・シュナイダー医学博士 ドイツ精神医学精神療法神経学会会長(当時)「この学会の歴史の重要な部分がこんなにも長く闇に葬られていました.これはとても恥ずべきことだと思います.社会を『(障害者たちの)世話の負担』から解放することや『よい遺伝子』を残すことを目指しました.『人類を苦しみから救うこと』を医学の進歩とし,多くの人を虐殺したのです」
学会は過去にあったことを伝えるため,世界中を巡回する移動展覧会を行ってきました.今年(2015年)6月には日本精神神経学会総会にも出向き,精神科医たちに向けて反省を込めて伝えました.
学会参加者「我々医師が,殺戮に荷担している医療者が.こんなことがあったんだと思って---」学会参加者「自分達があの時代であれば同じように巻き込まれたかもしれない」
第三者による調査委員会の報告書はこの秋(2015年)まとまりました.
明らかになったのは医師たちがナチスに強制されたわけではなかったという事実でした.
ハンス=ヴァルター・シュムール教授 第三者調査委員会委員 歴史家「これまで学会は数十年にわたり起きたことを遺憾としながらも,自分達は関係がないと言い続けてきました.しかし患者殺害の動機は政治側からの要請ではなく医師や学者からのものだったのです」
なぜ命を救うはずの医師たちが殺害を実行してしまったのでしょうか.
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ヘルムート・バーデルさんは頻繁に父親のお墓を訪れています.遺体は死亡通知を受け取った後母親が取り寄せました.本当に父親のものか分かりませんが,大切に守っています.
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障害者たちの断種から始まりだれも止めることなくエスカレートしていった虐殺の歴史.70年以上の時を経て,今,私たちに何を問いかけているのでしょうか?
藤井さん「どんな問題にも,どんな戦争にも,どんな悪行にもね,必ず最初があるわけですね.あるいは前触れがあるわけです.その段階で気づく力,ここが一つ問われてくるのと,やはり社会的に弱い立場,私ら障害者,ここにやはり問題が表れやすい.これが前触れの警鐘であるということ,これをやはり捉えていくことが大事じゃないかな,そんなことを感じましたね」
ハンス=ヴァルター・シュムール教授「命の価値を尊重しなくなると人を殺せてしまう.これは過去の歴史ではなく,現在にもつながっています.私たちは人間を改良しようとすべきではありません.社会の中に病,障害,苦悩,死が存在することを受け入れる,こういった意見が少なすぎます.命に関する問題に直面したとき,他人の価値観に振り回されていないか,それがもたらす結果まで想像できているかと自分に問う必要があるでしょう」
フォン・ガーレン司教の説教 相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月 NHKETV特集 アンコール放映より[ 2 ]