風が立ち,浪が騒ぎ,無限のまへに腕を振る.中原中也「極めて個人的な体験である一人の女性との別離が,その個人の悲しみを超えて,八十年以上も経った今,東日本大震災後の人々の悲しみにもつながっていく.中也の言葉にはそのような普遍的な力があると思います」太田治子 NHKテキスト「100分de名著 中原中也詩集」(3)

学生の頃,親しい友がランボー中原中也を深く愛していました.一方の私は----,中也どころか詩そのものに全く触れることもなく,時々友人の話を聞くだけ.

あれから何十年も経った今,たまたまテレビドラマで中也の朗読を聞きました.

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深く心に沁みました.

青春の時に読むべき詩でしょう.若い時にもっと読み学んでおくべきだったと後悔します.でも,今出会ったことを大切にしていこうとも思っています.

そして,ドラマと平行した番組「100分de名著 中原中也詩集」を視聴.

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/02/07/001924

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/02/14/000511

太田治子さんの書かれたNHKテキストは,中也への並々ならぬ思いと共感がにじみ出たものでした.

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その冒頭の部分を引用します

 

心に届く「詩」のことば

みなさんはふだん,「詩」を読まれますか?

いや,子供の頃に教科書で読んだきり.大人になってからは,自分から詩に接することは少ない.そんな方が多いかもしれません.

それでも,ふとした折に「詩のことば」が胸を貫く.あるいは,無性に詩を読んだり書いたりしたくなる.そんな瞬間は誰にでも訪れるものだと思います.

私たちはどんなときに詩を読み,詩を書きたいと思うのか.それは,心が寂しいとき,だと私は思います.たまらなく自分の心が寂しいとき,悲しいとき,自然に詩を求める心が湧いてくるのではないでしょうか.

中原中也はどこまでも,寂しさ,悲しさを歌った詩人でした.彼は自分のなかに大きな寂しさを抱えていて,それゆえつねに人を恋うる人でした.人間へのラブコールが非常に強かった.その強さが,彼に詩を書かせていたのではないかと思います.

 

汚れちまった悲しみに

今日も小雪の降るかかる

汚れちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる

 

中也のもっともよく知られた詩のひとつ,「汚れちまった悲しみに------」の冒頭です.この書き出しを読んでもわかるように,中也の歌う悲しみは,私たちの心に直接届いてきます.難しい言葉はなく,読み手の心にまっすぐ届くのです.

中也はその生涯を通じて,ダダイズムの詩人高橋新吉の影響を受けたり,十九世紀末のフランス象徴派の詩の影響を受けるなど,詩をつくる技術について非常に熱心に勉強をしました.しかし,彼は決して技巧の人ではありません.例えるなら,『新古今和歌集』ではなく『万葉集』の人.私はそんなふうに感じます.新古今集』の撰者の一人で,自作も多く選ばれている藤原定家の歌などはたしかに美しいものですが,しかし,正直な感想を言えば「お上手ですね」という部分が先にたってしまい,私にとっては心に沁みてくるという歌ではありません.一方『万葉集』には,技巧を尽くすことよりも思いを素直に歌った歌が多い.中也の詩は,やはりこちらに近い気がするのです.

実感が言葉となってほとばしり出る詩です.

たしかに中也は詩を書くためにものすごく勉強しましたし,素朴に書き散らすのではなく努力して詩を書いた部分は大いにある.けれども,そうした技術や努力を超えて届く真実をしっかり持っていた人だったと思います.

彼にとってはやはり,詩をつくること=生きることだったのです.

 

「詩」とは何か

「詩」とは何か—.

この問いを考えるとき,私は,若い頃の中也と親交のあった作家の大岡昇平が,第二次世界大戦に出征されたときのエピソードを思い出します.

中也の二歳年下だった大岡さんは,中也らと同人誌を創刊するものの,それにかける思いの温度差などから次第に中也と距離を置くようになり,大学卒業後は生活のために会社員となられました.その後,三十五歳のときに招集を受け,フィリピンに出征されます.大岡さんの奥様は,当然ご主人に生きて戦地から帰ってきてほしいと思われるわけですから,お守りである千人針を仕上げ,多の兵士の身内と同じように手渡されました.

しかし,大岡さんはそれを,マニラに向かう輸送船の上から,ポンと海に捨てたのです.これはとても勇気のいることです.軍の上官に見つかったらどんなことになるかわかりません.でも,死を覚悟していた大岡さんは,千人針を身につけて戦地に赴くのはおいやだったといいます.

千人針の代わりに彼が持っていたのは,中也の詩集でした.そして,悲惨きわまる戦地で,頭に浮かんできたのは,中也の詩だったといいます.

これはどういうことでしょうか.

大岡さんと中也の関係は,画家のゴーギャンゴッホの関係に似ているところがあると私は思います.

株式仲買人を辞めて絵に専念するようになったゴーギャンは,一時期ゴッホと共同生活を送っていましたが,このまま彼といたら自滅してしまうと思い,ゴッホから逃げました.大岡さんも中也にたまらなく惹かれる一方,議論をふっかけてきては,友達をやりこめる,あまりに我の強い中也の影響から「逃げ出したい」という気持ちもあったといいます.

ゴーギャンはその後,野蛮人になると宣言して,妻とも別れるという悲壮な決意でフランスを離れ,タヒチに向かいます.

そしてタヒチで貧乏と孤独の際に立たされたとき,ゴッホのことを考えました.自分は今不幸である.しかし,この世には自分よりもっと不幸な人がいた.自分はゴッホから逃げたけれど,いよいよ孤独のただ中に立たされたとき,思い出したのは彼のことだったというのです.

 

これは,戦地という極限状況の中で,中也の詩がそれまで以上に響いてきたという大岡さんの体験と共通するところがあると思います.

「詩」とは,自分の力ではどうにもならない絶望の中に立たされたとき,人が必要とするもの.そんなふうにも言えるかもしれません.

 

東日本大震災と中也の詩

二〇一一年の秋,朝日新聞の夕刊に「無限の前に腕を振る 中也の詩 3・11後の心救う」という記事が出ました.それは,東日本大震災の大変厳しく哀しい現実を目の当たりにした詩人たちにとって,あのおそろしい光景を前にして自然に心に浮かんでくるのが中原中也の詩であった,という白石明彦記者の書いた記事です.震災のあと,宮城県気仙沼市地盤沈下したままの惨状をご覧になった詩人の佐々木幹郎さんは,この光景を前に中也の詩以上の言葉はない,と感じられたといいます.私も全くその通りだと思いました.

そこで取りあげられていたのが,「盲目の秋」という詩です.中也の第一詩集『山羊の歌』に収められている作品ですが,長い詩ですので,冒頭だけ引用してみたいと思います.

 

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間〈かん〉

小さな紅〈くれなゐ〉の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷薄な嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華〈ひがんばな〉と夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛〈たた〉へ、
  去りゆく女が最後にくれる笑〈ゑま〉ひのやうに、

〈おごそ〉かで、ゆたかで、それでゐて佗〈わび〉しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

 

「風が立ち,浪が騒ぎ」という,東日本大震災の現実を先取りしたかのような言葉にまず驚かされます.そこが中也のすごさです.そして,そんな「無限」の絶望の中でも腕を振り続けたいと中也は言う.何をすればいいかわからない.でもとにかく腕を振ろう.この「腕を振る」ということの中に,微かな希望があるわけです.

詩の後半では,「サンタ・マリア」と呼ばれる女性との別れが描かれます.これは,中也が実際に愛した女性との別れを歌ったものだと明らかに考えられる一方,今日の私たちが読むと,地震原発事故によって引き起こされる無数の別れや,その悲しみともつながるように感じられてくるのです極めて個人的な体験である一人の女性との別離が,その個人の悲しみを超えて,八十年以上も経った今,東日本大震災後の人々の悲しみにもつながっていく.中也の言葉にはそのような普遍的な力があると思います.

人間は自己愛の動物で,誰よりも自分がかわいいものです.その自己愛を他者への愛にどうやって振り向けていくかということに,大きな悩みが出てくると思います.中也がこの詩を書いたのは二十二歳頃と推定されています.その若さで,自己愛を超越した非常に大いなる愛を持ち,また自己の悲しみをそれだけ深く思っていたのです.

中也は三十年という短い生涯の中で,弟,父,幼い息子と,次々と身近な死に遭遇しました.人間の死,特に一番身近な人の死というものは,自分も一緒に死んでしまいたいと思うことであって,これはもうエゴを超越した深い悲しみです.

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太田治子「中也はやっぱり生きたいと思っているという.そこに,やっぱりどんな絶望していても,」「中原中也詩集」(4) - yachikusakusaki's blog

『夏の夜の博覧会はかなしからずや』 NHK Eテレ100分de名著「中原中也詩集」(2) -yachikusakusaki's blog

月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちていた NHK Eテレ100分de名著「中原中也詩集」(1) - yachikusakusaki's blog

 

盲目の秋 (全文)

   I

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間〈かん〉、小さな紅〈くれなゐ〉の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷薄な嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華〈ひがんばな〉と夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛〈たた〉へ、
  去りゆく女が最後にくれる笑〈ゑま〉ひのやうに、

厳〈おごそ〉かで、ゆたかで、それでゐて佗〈わび〉しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

   II

これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

人には自恃〈じじ〉があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。

平気で、陽気で、藁束のやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填〈つ〉めて、跳起きられればよい!

   III

私の聖母〈サンタ・マリヤ〉!
  とにかく私は血を吐いた!……
おまへが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまゐつてしまつた……

それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
  それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
  おまへもわたしを愛してゐたのだが……

おゝ! 私の聖母〈サンタ・マリヤ〉!
  いまさらどうしやうもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい ――

ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。

   IIII
   
せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披〈ひら〉いてくれるでせうか。
  その時は白粧〈おしろい〉をつけてゐてはいや、
  その時は白粧をつけてゐてはいや。

ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に副射してゐて下さい。
  何にも考へてくれてはいや、
  たとへ私のために考へてくれるのでもいや。

ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、

いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土〈よみぢ〉の径を昇りゆく。