宝石とか月のかけらとか--そんな別の存在感を持ち始める“落とされたボタン”:月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた(月夜の浜辺 より) / 「悲しみ」と「さみしさ」をつむぐ 「中原中也詩集」第3回 NHK Eテレ100分de名著「中原中也詩集」(1) 

NHKドラマ「朗読屋」は,陰の主役は中原中也の詩といってもよいストーリーで,全編を通して九編の詩が効果的に配されていました

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このドラマとほぼ平行して配信されていたNHK Eテレ100分de名著.

中原中也詩集を取りあげていました.録画してあったものを,再生してみると---.その第三回では「朗読屋」でかなり重要な画面で朗読された「月夜の浜辺」「サーカス」「骨」が取りあげられていました.

特に「月夜の浜辺」は私がとても気に入った詩.

ドラマの中でも一番重要な役を与えられた詩この詩をマモルが朗読してまもなく,老婦人は穏やかな死を迎える.マモルが読んだのは詩集ではなく,去った妻の残した青い手帳.彼女が写し書きした詩でした.夜間図書館で老婦人の死を聞いた主人公マモルは,既に妻を捜して改めて向き合う気持ちになっている---.

 

100分de名著中原中也詩集は,詩にほとんど接してこなかった私にとって,絶好の番組でした.(「月夜の浜辺」が「朗読屋」で果たす役割も改めて良く理解できました.)

指南役は太田治子さん

(『明るい方へ』『時こそ今は』『夢さめみれば-日本近代洋画の父・浅井忠』『星はらはらと-二葉亭四迷の明治』で知られる作家)

ゲストとして穂村弘さん

(歌集「シンジケート」「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」で知られる歌人

100分de 名著の番組中では歌人穂村弘さんが「月夜の浜辺」を特に好きな詩と言われていて,ちょっぴり嬉しい思いも.

 

その第三回の半分:「月夜の浜辺」までを,再録します.

名著61 「中原中也詩集」:100分 de 名著

(アクセスすると,太田治子さんの朗読を聞く事ができます.第四回で取りあげられる「また来ん春」.涙が出そうになる朗読です)

第3回 1月23日放送

「悲しみ」と「さみしさ」をつむぐ

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喪失感の中で詩を書き続けた詩人,中原中也

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇の闇

      夜は劫々(ごうごう)と更けまする」

誰もが自分の感情を託したくなる寂しさや悲しみが織り込まれた詩(うた)の数々.

第三回は中也の詩に隠された秘密をゲストも交えて読みといていきます.

磯野「前回は中也が恋をして,さらに失恋を経験する中で生まれた詩について読み解いてきました」伊集院「その天才的な才能の塊みたいな人の,結果的には短かった人生の中で一つの恋愛というのがものすごい,本人はつらかったと思うんですよ,つらかったと思うんですけど,また,詩に力を与えてる,詩にバリエーションを与えてるというか」

磯野「今回も,その中也の人生を絡めて読み解いていきましょう.指南役は作家の太田治子さんです.今回もよろしくお願いします.」

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磯野今日のテーマは,“悲しみ”と“さみしさ”.これまで読んできただけでも,中也のさみしさを読んだ詩というのは,とても響いてきましたよね」太田「はい,胸にね,しんと,しみてきてますね」伊集院「別に中也自体は,『俺,悲しい,悲しい』って言っているわけでもないんですよね」太田「そうなんです」伊集院「選んだ言葉が,こっちの中にある“悲しさ”や“さみしさ”に共鳴しちゃう,っていうか引っ張り出されちゃう」

太田「揺り動かされる.今まで,ちょっと通り過ぎていった悲しみが,急に,ふつふつとよみがえってくると」

磯野「それでは,森山未來さんによる朗読でお聞き下さい」

 中也が東京に出て5年がたとうとしていました.その間,大学の予科に入学するも半年で退学.相変わらず何物でもなかった中也は,世間体から,父親の葬儀にも出ることがかないません.思うようにならない日々の中,中也は自分の人生を振り返ります.

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『生い立ちの歌』

幼 年 時   

私の上に降る雪は

真綿(まわた)のようでありました

 少 年 時   

私の上に降る雪は

霙(みぞれ)のようでありました

十七〜十九   

私の上に降る雪は

霰(あられ)のように散りました

二十〜二十二   

私の上に降る雪は

雹(ひょう)であるかと思われた

二十三   

私の上に降る雪は

ひどい吹雪(ふぶき)とみえました

二十四   

私の上に降る雪は

いとしめやかになりました……

 

伊集院「雪って何だとか,悲しみって何だ,みたいなところを,上手にふりまわされる感じがする--」

太田「ええ,雨と違って,雪に託す事によって思いが通り過ぎてゆかないという,だから,悲しみが雪とともに,ずっとね,たまっていくという効果があるんですね」

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磯野「振り返りながら見ていきましょうか」

磯野「『幼年時は真綿のようでと』いうことで」太田「中也さん,待望の男の子でしたので,男の子でしたので,お父さんお母さんに大切に大切に育てられて,真綿にくるまれるように,幸せだったという事だったと思いますね.それが,少年時になって,霙(みぞれ)になり,霰(あられ)になり,雹(ひょう)になり,吹雪にね,どんどんひどくなっていって」伊集院「霙,霰あたりは,ほんとに自分が浴びてる辛さのことが,すごくクローズアップされるんだけれど」太田「そうですね」伊集院「『二十四』急に,この雪はしめやかであるという」太田「そうですね」伊集院「急に達観するというか,自分の悲しみに対して.依然として雪だから冷たいんだけど,寂しいんだけど,寒いんだけど,でも,ちょっと達観してるかなという」

太田「数えの23で,もう,あまりにもいろんな事を,彼は経験しすぎましたよね」伊集院「はい」

太田「絶望の果てに自分の悲しみを達観できるようになったんでしょうね」

磯野「こちらの『生い立ちの記』というのは,同人誌『白痴群』に発表されました.仲間たち9人と創刊した同人誌なんですが,ほとんどが中也一人で書いていたそうなんですよ」

昭和4年,9人の仲間(大岡昇平,安原喜弘,古谷綱武,河上徹太郎ら)と創刊した『白痴群』.中也は精力的に詩を書き,代表作となる作品も多く発表されています.しかし,わずか一年後,廃刊となります.

太田「最後の時には,もう本当に,中也さんもとてもショック.みんなが去っていくということが寂しかったと思いますね」伊集院「みんな,去ってったんですか?」

太田「去って行った.例えば大岡さんは京都の大学に行きましたし,その他の友人も---結局,中也さんはね,人を大好きすぎて,人恋しくて,人懐こくて.だから,好きとなると毎日押しかけるんです.おうちに.それは,お友達にしてみればね,いくら中也さんの詩を敬愛していても嫌ですよね.毎日毎日押しかけてこられたら」伊集院「さすがに」

太田「でも,そこに中也は本当に全身全霊,心を傾けて,そこに詩を発表するということを,すごく考えていたわけですから,それがもう廃刊になりましたと.大変なショックで.寂しくて」伊集院「過剰な人なんですね.ほんとに,才能から,何から何まで.やっぱり過剰な人なんだな」「お話聞いてると,泰子(やすこ)との別れから仲間に離れられていったり,つらい時期が続いていますね」

太田「ご自身,その事をね,後年『雌伏の時』と言っていた.じっと,こう,我慢の時だったんじゃないですか.東京で満身創痍(まんしんそうい)になっていた,そういう中也が浮かんできますよね」

 

磯野「実はですね,今回,中也の詩を読み解くために,もう一方,ゲストをお呼びしています.歌人穂村弘さんです」

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一同「よろしくお願いします」

現在を代表する歌人であり,詩作も手がける穂村弘さん.中也の詩の極端な純度の高さに,作り手として興味を持って来ました.

磯野「穂村さんから見て,中原中也はどんな詩人ですか?」

穂村「詩人のイメージの原型みたいな感じがして.小柄で,目がきれいで,早熟の天才で,生き急ぐように,破滅的に生きて,早く死んでしまって.生きているとき,迷惑をかけられた友人たちが,彼が死んだ後は,『すごいやつだったんだ』とか言って褒めるという.そんな詩人のイメージって,何かあるような気がして.それって,でも,中也だよねって思いますね」

磯野「The 詩人」

穂村「僕の中では,そんなイメージがありますね.そして,後年の我々からすると,何か,歌謡曲のサビのフレーズみたいだな,と思うような,すごい,『忘れられないフレーズ』や『殺し文句』が必ず出てくる」

 

「月夜の浜辺」

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

なぜだかそれを捨てるに忍びず

僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

  月に向ってそれは抛(ほう)れず

  浪に向ってそれは抛れず

僕はそれを、袂に入れた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

指先に沁(し)み、心に沁みた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?

 

伊集院「朗読を担当されている森山未來さんに共鳴しているのがすごくよく分かるというか,やっぱり演じ手として,中原中也に刺激されてるんだと思うんですね」穂村「ええ」磯野「これは穂村さんがお好きな詩と言うことですが」穂村「はい」磯野「どんなところがお好きですか」

穂村「ボタンって洋服にないと,役に立たないですよね.それがいきなり月夜の海辺に落ちているって---.ボタンにとってアウェーな状態で,そこにいるかぎりボタンとしての役割が,全然果たせないわけですね.だけど,それが逆に不思議な魅力につながっていて,ここ(服をさわって)にない,全く孤独な場所に落とされたボタンって,宝石とか月のかけらとか,そんな,別の存在感を今度は持ち始めるような気がします」

太田「やはり,誰にでも捨てられないボタンがあるということなんでしょうか.誰にでもあると思います.そうすると,自分にとってのボタンは何だったのかなというふうに,『僕』として書かれていることが,私事(わたしごと)として受け取られてくる.それが魅力的ですね」

伊集院「僕はね,ちょっとお二人とも違うところに行きましてね.どこかに,このボタンを無くした人がいるんだという事が,ちょっと面白くて,また,これが浜辺に,波打ち際にあるというのも,良くできていて」(全員頷く)磯野「流れ着いてきたボタン」「流れてくる事もありますね」伊集院「彼の捨て難いボタンを,もう諦めている人がいるのか,僕の中では,ちょっと面白いしワクワクするし.とにかく深いですね.1000分de名著でもいけそう」

 

(以下続く 予定)

 

付録: NHKテキスト「100分de 名著 中原中也詩集 太田治子」から「月夜の浜辺」について書かれた部分を以下に再録します.

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これは中也の第二詩集『在りし日の歌』に収められた詩です.

石川啄木

「いたく錆びし ピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて 掘り当てしに」

という歌があります.砂を掘ったらピストルが出てきたというのですが,中也の場合はピストルではなくボタンが出てきた.ボタンとは何ともやさしいイメージです.

少し話はそれますが,私は中学校の頃,石原裕次郎の「錆びたナイフ」という歌の歌詞が大変素晴らしいと思っていました.

「砂山の砂を 指で掘ってたら まっかに錆びた ジャックナイフが出てきたよ どこのどいつが 埋めたのか 胸にじんとくる小島の秋だ」

という詞です.ところが,のちに石川啄木の歌集を読んだところ,このようなよく似た光景が出てきて驚きました.それがさきほどの歌です.

ピストルにしても錆びたナイフにしても,それは誰かがかつて抱いた激しい思いの象徴でしょう.誰かを刺すのか,あるいは自分の心を刺すのかわかりませんが,それを砂浜に埋めるということは,その激しい心をそこに捨てたということだと考えられます.

中也の詩では,誰かがボタンを捨てたのではなく,落としたのでしょう.自分がそれを拾う.するとなぜか感情が揺さぶられ,ボタンが捨てられなくなる.浜辺で一人ボタンを握りしめる,寂しく孤独は人物の姿が感じられます.

 

しかし,こんなふうにも言えるのではないでしょうか.ボタンは見ず知らずの他者が落としたものではあるけれど,それは何か,他者と自分の心のつながりを象徴するものである.自分がボタンを拾うことで,ある意味,他者の悲しみを自分は共有できるのだ—.

人間は,他者と悲しみを分かち合う事ができる.この「月夜の浜辺」は,そんなことを歌った詩でもあると私は思うのです.それは,友達付き合いがしばしばうまくいかなかった中也の願いだったかもしれません.

 

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