太宰と中也
礒野アナ「太田さんは,作家太宰治の娘さんなんですね」
伊集院「この番組で斜陽を取りあげさせていただいたんですけれども,その時いろいろ勉強しまして,まあ,モデルといいますか,主人公と言いますか,その原案と言いますか,その流れをくむ---」
太田治子「はい」
礒野アナ「太宰と中也は交流があったんですか?」
太田治子「そのようですね.太宰の方が中也さんより二つ年下なんですけれど,共通のお友達もいて,一緒に飲み屋さんで顔を合わせて,中也さんの方が,お酒の,絡み酒というか,それで,太宰さんの方は,それを絡まれて,オタオタ,オロオロするという,そういう役割で」
伊集院「すごくリアルな伝説ですね.嬉しいですね」
NHK Eテレ100分de 名著 中原中也詩集第1回 「 ““詩人” の誕生」 1月30日放送
第1回 「 ““詩人” の誕生」 1月30日放送
指南役 太田治子さん ゲスト(録画)佐々木幹郎 朗読 森山未來さん
詩を自由に読む
伊集院「---『間違えなんじゃないか』,(詩の)正解の読み方というのが必ずあって,僕の感想が間違いだったらどうしようと思っちゃうんですけど,詩に対する感想は自由でいいんですかね?」
太田治子「もう,私は自由で,私も自由に勝手に読ませていただいているし,こういうふうに読まなくてはいけないと言われると,とても苦しくなりますね.
だから,詩は自由な精神で書くものですから,読む方も自由な気持ちで読んでいいものだと思います」
そもそも,詩っていうのは,私たち,どんなときに求められるもの?
太田治子「今お話に出たように,そういうやっぱりつらかったり,こう,やっぱり人生そんな甘くないなとか,いろいろと思うことが多いですよね.
そういう時って,人はね、本当の言葉を求めるんじゃないかなって思いますね.-----心にパッと入ってくる.詩ですよ.詩の言葉です」
「少年時」 中原中也
黝〈あをぐろ〉い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)ってゐた。
地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆〈きざし〉のやうだつた。
麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
翔〈と〉びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面〈も〉を過ぎる、昔の巨人の姿 ――
夏の日の午〈ひる〉過ぎ時刻
誰彼の午睡〈ひるね〉するとき、
私は野原を走つて行つた……
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫〈ああ〉、生きてゐた、私は生きてゐた!
第1回 「 ““詩人” の誕生」 1月30日放送
指南役 太田治子さん ゲスト(録画)佐々木幹郎 朗読 森山未來さん
佐々木幹郎さん
(詩人,中也研究者:中也にとって少年期がいかに大切だったかに注目)
詩を書く人間にとって,幼年期から少年期あるいは少女期という,そういう幼い時代っていうのは,とっても大切なもので,
そういう小さいときの体験した事や記憶が,ずーっと大人になっても残り続ける人間しか、僕は詩人にはなれないと思ってるんですね.
「夏の日の午過ぎ」誰もが昼寝している時刻.たった一人で私は野原を走っていたという.連が進むにつれて強調されていってるのは,中也の孤独です.
少年期における孤独感.たった一人の私がいる.
そしてものすごく重要なのは,
「私は希望を唇に噛みつぶして.私はギロギロする目で諦めてゐた-----」
“少年時代から自分は希望などというものを噛みつぶしていた”という,ここが中也独特の個性だと思います.
この詩の中には,中也の詩人としての原型が見えてる.単に思い出とかそんなんではなくて,誰もわかってもらわなくたって,俺は生きていく.「噫(ああ),生きてゐた,私は生きていた!」
中原中也の,“詩人として,あるいは一人の人間としての全てを諦めてても,私は生きていく”という,これはもう宣言に近い思いです.
礒野アナ「中也は早くふるさとを離れて都会に出ていますけれども,こうした作品には小さかった頃の自分というのが色濃く反映されているんですね」
太田治子「京都での一人暮らしは,もう万歳と意気軒昂(けんこう)たるものであった.
その一方ですごい寂しがり屋で,実はふるさと大好きだし,胸の内でいつも二つの気持ちが両方とも強い深い人ですから,少年時代の寂しさが,実は少年時代のものだけではなく,彼はずっと続いていた.
でも,そこを『生きていた,生きていた』と二度リフレイン,繰り返すことで,自分自身を励まそうと,その時の自分を励まそうという意味で繰り返した.自分への呼びかけなんだと思いますね」
伊集院「そこを,オーバーラップさせられるという,大人になった自分の孤独みたいなものと,でも言われてみれば,あの日,田んぼで大きな影を見たあの日だって,それなりに孤独で,でもあの時,僕,生きてたじゃないか,走ってたじゃないかということを言うことで,今の自分も生きてる,そして,生きてく」
太田治子「そうなんですね.
だから常に過去が今でもあるわけですけどね,彼にとっては.過去が過去として切り離しているのではなくて---.過去を書きながら“今の自分”を描いている.
私はそこが,太宰と中原中也の大きな違いは,太宰はいつも死のうと思っていた.中也さんは生きようとしてた人なんです.だから私は中也さんの方がうんと好きですね」
(礒野アナ,伊集院 笑い)
礒野アナ「娘さんでも」
太田治子「中也はやっぱり生きたいと思っているという.そこに,やっぱりどんな絶望していても,そこから生きようとしている,その強さ,弱さの中の強さに私は,とても惹かれるんですよね」
▽「汚れっちまった悲しみに……」について
太田治子「それ(何を悲しんでいるか)がはっきりと---茫漠としてわからない.具体的にその悲しみの内容が書かれているわけではないですものね.
でも,それだけに何か悲しみの根源的なものが伝わってくる気がする.淡々としたこの繰り返し,リフレインが続くことで,より深いね,悲しみというものが,こう,ひたひたとこの胸の中にしみてくる感じがするんですよね.
本当は中也さんは,中也さんの個人的な悲しみがあったと思うんですが,しかし,何も具体的には描かれていない.逆に言うとそれはそのまま,つまり,誰もが自分の悲しみをこの詩に重ねられるという,そういう広やかさになっていってると思うんですね.これが中也の詩のすごさだと思うんですが」
汚れっちまった悲しみに……
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
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