歌人たちは,古来より,カエデやイチョウ以外の紅葉/黃葉も歌に詠んできました.そのような歌を取り上げています.
昨日の「柞もみじ」に続き,今日は「桜もみじ」.
さくらもみじ(桜紅葉)
さくらもみじ(桜紅葉)は,辞書にも載っている言葉.私が知ったのは最近ですが,広く使われていてご存じの方も多い言葉かと思います.
さくら‐もみじ‥もみぢ【桜紅葉】 日本国語大辞典
〘名〙 晩秋に桜の葉が紅葉すること。また、その葉。《季・秋》 〔俳諧・毛吹草(1638)〕
ネット上の国語辞典で上位に位置するgoo国語辞典もほぼ同様の解説を記していて,加藤楸邨の句も併記してありました.古歌にはあまり見られないとのことですので,俳句で広まった言葉なのかなとも思います.
汝 (なんぢ) なき桜紅葉に還りける/楸邨
最もきれいな年の1枚の葉だけ取り出せば,カエデにも負けない美しさ.
ただし,年によってまちまちで,また同じ木でもきれいに色づいているものと,哀れな姿のものが入り交じっているという印象があります.
なお,桜に比べると,梅の木の紅葉は,ほとんど目立ちません.近縁ですが不思議な気もします.それに対し,隣家の花桃の葉は、かなり美しく色づいていした。
わが家のご近所のサクラの老木.今年は,まあまあの色づき.
鎌倉八幡通の段葛の桜.木によってばらつきはありますが,美しく紅葉している枝もチラホラ.
さくらもみじ(桜紅葉)を詠った短歌
古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)から抜粋
いつのまにもみぢしぬらむ山ざくら昨日か花の散るを惜しみし 具平親王 新古今集
しろたへの滝浴(たきあび)衣掛けて干す樹々の桜は紅葉しにけり 長塚節 長塚節歌集
黄に明き桜もみぢはしばらくは池水の面にありて沈まむ 中島哀浪 堤防
人いまだ行かぬこの路うつくしう桜もみじの散れるこの朝 若山牧水 黒松
箒目の波うちなせる庭の面に散りてさやけき桜の黄葉 若山喜志子 筑摩野
雨にぬれし桜紅葉が庭のうへに朝日をあびて風わずかに吹く 結城哀草果 まほら
枝低く桜紅葉のかがよへりしづかにぞ踏む散りて照る上 窪田章一郎 初夏の風