「そういえば,最近,柳を見ていないな〜」
と思ったのは,“古今短歌歳時記”(鳥居正博著 教育社)で「短歌に詠まれている3月の植物」の項目を読み始めたとき.
行動範囲がとみに狭まったせいかと思います.
目にしている植物だけではなく,より広い植物と短歌を今後取り上げていくために,新たなシリーズ「短歌に詠まれた植物」をはじめたいと思います.今までも「写すだけ万葉集」など,同様のブログを数多くアップしてきましたが,その続編とも言えますね.
今日のシリーズ「短歌に詠まれた植物」第一回は「柳」を取り上げます.
「短歌に詠まれた植物」1
柳 (1)
柳と聞いて思い浮かべるのは,シダレヤナギ(枝垂れ柳)でしょう.
現在では「ヤナギ科ヤナギ亜科ヤナギ属の植物の総称」が「柳」の定義になっていますが.
ヤナギは,中国で,そして日本でもとても古くから利用されていたことが知られ,福井県鳥浜貝塚から縄文前期の石斧(せきふ)の柄(え)などに使われたヤナギが出土しています(ニッポニカ ヤナギとは - コトバンク ).
万葉集には,柳を詠んだ歌が数多くあり,楽しい万葉集では26首をピックアップ( たのしい万葉集: 柳(やなぎ)を詠んだ歌 ).
用例はシダレヤナギの場合が多く,早春の景物として梅の花や鶯(うぐいす)と配合され,「青柳」「春柳」とよばれています.また、漢語の「柳糸(りゅうし)」「柳眉(りゅうび)」に倣って「糸」「眉」によそえられるとのことです.
実際の使われ方を反映した歌もあり,ニッポニカによれば,ヤナギとは - コトバンク
▽「青楊(あおやぎ)の枝伐(き)りおろし湯種蒔(ゆだねま)き……」(巻15)
とあるのは,豊穣(ほうじょう)を祈って斎(い)み清めた種籾(たねもみ)=湯種を播くときに,柳を切って供えた風習があったためと考えられています.
▽ヤナギを蘰(かずら)にしたことが
「青柳の上(ほ)つ枝(え)よぢとりかずらくは君が屋戸(やど)にし千年(ちとせ)寿(ほ)くとぞ」(巻19)
などと詠まれています.
▽中国で運河の堤防に使われた利用法が日本にも伝わり,『万葉集』では
巻14に「小山田(をやまだ)の池の堤にさす柳……」,
巻19に「春の日に萌(は)れる柳を取り持ちて見れば京(みやこ)の大路(おおち)思ほゆ」(大伴家持)
と歌われています.
以下は,今までの「写すだけ万葉集」形式で,斎藤茂吉「万葉秀歌」から.
春霞(はるがすみ)ながるるなべに青柳(あをやぎ)の枝(えだ)くひもちて鶯(うぐひす)鳴(な)くも 〔巻十・一八二一〕 作者不詳
春霞ながるるなべに青柳の枝くひもちて鶯鳴くも 〔巻十・一八二一〕 作者不詳
春霞が棚引きわたるにつれて,鶯が青柳の枝をくわえながら鳴いているというので,春の霞と,萌えそめる青柳と,鶯の声とであるが,鶯が青柳をくわえるように感じて,その儘こうあらわしたものであろうが,まことに好い感じで,細かい詮議の立入る必要の無いほどな歌である.
併し,少し詮議するなら,はやく萌(も)えそめた柳を鶯が保持している感じである.
柳の萌えに親しんで所有する感じであるが,鶯だから啄(ついば)んで持つといったので,「くひもつ」は鶯にかかるので,「鳴く」にかかるのではない.
また,ただ鶯といわずに,青柳の枝を啄(くわ)えている鶯というのだから,写象もその方が複雑で気持がよい.その鶯がうれしくて鳴くというのである.
詮議すればそうだが,それを単純化してかく表わすのが万葉の歌の一つの特色でもあり,佳作の一つと謂(い)うべきである.
この歌と一しょに,「うち靡(なび)く春立ちぬらし吾が門の柳の末(うれ)に鶯鳴きつ」(巻十・一八一九)があるが,平凡で取れない.
また,「うち靡く春さり来れば小竹(しぬ)の末(うれ)にをは尾羽うちふ触りて鶯鳴くも」(同・一八三〇)というのもあり,これも鶯の行為をこまかく云っている.鶯に親しむため,「尾羽うち触り」などというので,「枝くひもちて」というのと同じ心理に本づくのであろう.