紫陽花を詠んだ歌  万葉集に既に歌に詠まれていたことはよく知られています.しかし,古歌には余り詠まれず,その傾向は近世まで続きます.よく取り上げられるようになつたのは近代になつてから. あじさいの八重咲く如く弥(や)つ代にいませわが背子見つつ偲はぬ  橘諸兄   まかがよふ光りのなかに紫陽花の玉のむらさきひややかに澄む 太田水穂   紫陽花のふふむ雨滴を揺りこぼす言はば言葉がすべてとならむ 河野裕子

日本で古来より生育し,また栽培されてきた紫陽花.

 

アジサイの語源は,特定はできていませんが---

あじ(あぢ)」は「あつ」で集まること,「さい」は真藍(さあい)の約で青い花がかたまって咲く様子から名付けられたと思われる.(日本国語大辞典

とのこと.

漢字「紫陽花」は,もともとは紫陽花を意味していませんでした.「不明な花」に対する白居易の造語を借りてきた漢字とか.植物の漢字表記    湯浅浩史   俳句で植物名を表すのは

 

特に,ハイドランジアとして逆輸入されて以来,様々な花姿,色彩で楽しませてくれるようになっています.

アジサイ(ハイドランジア)とは - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸 NHK出版 

 

今日は,紫陽花を詠んだ歌を,古今和歌歳時記(鳥居正博 教育社)から紹介したいと思います.

 

 

アジサイ万葉集に既に歌に詠まれていたことは,よく知られています.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/05/14/000751

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/05/31/001424

 

あじさいの 八重咲く如く 弥(や)つ代に いませわが背子 見つつ偲はぬ  橘諸兄 (万葉集巻二十 四四四八)

あじさいが幾重にも咲くように,いついつまでもいらっしゃいませ,あなた.あじさいのようにお顔を見ながら,お慕い申しておりましょう. 折口信夫 万葉集

 

言(こと)問わぬ 木すらあじさい 諸弟(もろえ)らが 練(ねり)の村戸にあざむかえけり   大伴家持 (万葉集巻四 七七三)

(ものを言わない木でさえ,紫陽花(あじさい)のように色鮮やかに見せてくれますね.それ以上に言葉をあやつる諸弟たちの上手い言葉にすっかりだまされてしまったことですよ. 楽しい万葉集

 

ところが----

万葉集には詠まれているものの---

古今集以下の勅撰二十一代集(八代集と十三代集とを合わせた、「古今和歌集」から「新続古今和歌集」までの、二一代の勅撰和歌集の総称)には詠われず,

また源氏物語枕草子にも取り上げられていないとのこと.それほど人気がなかったと言うことでしょう.その傾向は近世にいたるまで続いていたようです.

 

ただ,勅撰集には見られないものの,藤原定家藤原俊成といった有名な歌人に取り上げられています.

 

紫陽花の萎れて後に咲く花のたぞ一えだよ秋の風まで  藤原定家(拾遺愚草員外・雑 一四六)

 

夏もなほ心はつきぬ紫陽花の四ひらの露に月も澄みけり  藤原俊成(夫朴賞・夏三・三二五〇)

 

 


神戸市立森林植物園あじさい情報センター | Hydrangea Information Center

 

近代になると,多くの歌人が歌題とするようになります.

 

すれすれに夕紫陽花に来て触(さや)る揚羽蝶(あげは)の髭(ひげ)大いなる  北原白秋 (雀の卵)

 

あじさゐの蕾ほぐれず 粒だちて、うてなの上に みち充ちにけり  釈迢空 (海やまのあひだ)

 

まかがよふ光りのなかに紫陽花の玉のむらさきひややかに澄む  太田水穂  (螺鈿) 

 

紫陽花のうちたふれつつ花咲くは苦しからむと夜半にさめをり  青柳節子 (四季の森)

 

森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめむとするに紫陽花くらし  寺山修司 (空には本)

 

紫陽花のふふむ雨滴を揺りこぼす言はば言葉がすべてとならむ  河野裕子 (はやりを)

 

 

http://sizen-tenpaku.com/topikkusu/ajisai/

 

 

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/05/21/005104

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/05/22/013035