スーパーの青果売り場で「千寿葱」というブランドの葱を発見.産地は埼玉県.
このブログで埼玉深谷ねぎを取り上げたばかりだったので---
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2021/02/19/215956
なんだろう?と調べてみると---
▽千寿葱
“浅草近くの千住という町に日本で唯一 長ねぎだけしか扱わない市場があります。
この千住葱市場に毎朝専門の農家がねぎを運んできます。 と言ってもごく普通の葱と言うわけではなく、 各農家が自分の畑で収穫された最も出来の良いもの、 つまりは「おらが畑の一等賞」の葱だけ持ち寄りまして 出来を競い合います。
この葱や産地に委託した葱等の中から 葱茂が選別したトップクラスの葱を「千寿葱」と呼びます。”
とのこと.
販売店の「葱茂」(足立区千住)のブランド名ということになりますね.美味しそうな葱でしたが,目一杯買い物した後だったので,買わずじまい.
同様の根深葱ブランドは,他にも見つかります.例えば
▽江戸千住葱
“江戸千住葱は、現在市場に出回っている普通のネギとは種が違います。
江戸千住葱の種は、江戸時代から受け継がれてきた貴重な「固定種」の種を使用しています。固定種のネギは、現在の普通のネギの種(F1種と呼ばれる栽培に適した種)よりも栽培が難しく、専門的な技術を必要とします。そしてその難しさゆえに近年栽培されることがほとんどなくなりました。
このまぼろしとなりかけた、江戸から伝わる固定種のネギの栽培方法を復活させ、その味を現代に伝えているのが、葱善オリジナルブランド「江戸千住葱」なのです。”
こちらの販売店は「葱善」(台東区千束).店の所在地は千住ではありませんが,こちらはブランド名に千住が使われています.売りは「江戸時代から伝わる固定種」.
千住ネギは,ネット上で調べるかぎりでは,きちんと定義されている名前ではなさそうです.
信頼できそうな解説が,足立区”江戸東京伝統野菜「千住ネギ」栽培授業”のページにあったので,転載します.
▽「千住ネギ」とは??
“天正年間(1573年から1593年)に大坂からの入植者が砂村(江東区)で栽培したのが江戸のネギ栽培の始まりです。
当時のネギは青い部分を食する葉ネギでしたが、江戸の気候が関西に比べて寒く霜枯れするため、土に埋まっている白い部分を食するようになり、さらに白い部分を長くするため土寄せして、現在の根深ネギの形態になりました。
これが隅田川を遡り、江戸北方(足立や葛飾)で栽培され、「千住ネギ」と称されるようになりました。
一般に千住ネギは、軟白部分が長くて締まりも良く煮くずれしない、熱を加えると甘みが出ることから、鍋物に好んで使われました。
一方、「千寿葱」と漢字で表記されるネギも存在します。これは、千住にある葱専門の市場で取り引きされる、白ネギのブランドのことです。かつては千住ネギも市場で扱われていましたが、現在は近県で栽培されたネギが取引されています。
区内では、かつて栽培されていた「千住ネギ」の種を入手することは困難です。そのため、江戸東京伝統野菜「千住ネギ」栽培授業では,平成27年に「国立研究開発法人農業生物資源研究所」のジーンバンクからいただいた固定種「千住一本太」の種を使用しています。”
整理すると:
本来の「千住ネギ」は,江戸北方(足立や葛飾)で栽培された根深ネギ.
現在,足立や葛飾ではほとんど葱は栽培されていないので,本来の「千住ネギ」は市場に出回ってこないという事になりますね.
私がスーパーで見かけた「千寿葱」やネット上で見た「江戸千住葱」は,ブランド名.
そして,「千住一本太」はネギの品種の名前.
かつて,「千住葱」は,少なくとも関東一円では絶対的なブランド名だったのでしょう.
しかし現在の東京千住にはネギ市場が残っているだけ.生産は行われていないため,「千住葱」として売られている商品はなくなってしまい,ブランド名,品種名にその名をとどめているということでしょうか.
ネギの品種群「千住群」
なお,このブログでかつてネギを扱った時に品種群として「千住群」があると記載しました.
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/12/14/035427
yachikusakusaki.hatenablog.com
そのときの引用先が現在なくなっているため,改めて,タキイのサイトを引用転載します.
https://www.takii.co.jp/tsk/hinmoku/ane/p1_bdy.html
ネギの品種分類
・千住群
明治初年には、金町村(現東京葛飾区)の特産として、白根の長い根深ネギとして栽培されていました。当初は、分けつ性のあるものが一本ネギに改良され、大正に入ってからは、赤柄・黒柄・合柄に分かれました。
・九条群
約1,000年前から栽培され、明治に至るまで京都府紀伊郡東九条村(現京都市下京区)を中心に栽培されていました。元来分けつ性の葉ネギで、白根の部分は短いものです。
・加賀群
寒地系で冬季休眠するので、越年ネギとして利用されてきました。岩槻は分けつ性が強く、下仁田は非分けつ性で、軟白部は極めて短く太いネギです。