大林宣彦監督 生きる覚悟
「密着2年・大林宣彦ガン闘病・平和の願い未来に生きる若者へ」
2019年11月28日(木)
出演者
満島真之介さん (俳優)
武田真一 (キャスター)
ガンで余命宣告を受けた人が,残りの人生を,どう生きるのか.
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81歳の映画作家,大林宣彦さんが,この問いと向き合い続けています.
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4360/index.html
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先月44本目となる,新作を作り上げました.
広島)大林宣彦監督、広島国際映画祭で「平和」を語る:朝日新聞デジタル
独自の映像美で若者たちをみずみずしく描き,世界を魅了してきた大林さん.
新作の舞台にしたのは,ふるさと尾道.
ここで,心の澱(おり)となってきた戦争と向き合い,自らの責任を果たそうとしていました.
横たわる大林監督「あの戦争の記録は映画で変えることはできないが,芸術と映画をもってすれば,(未来を)変えることができるかも知れない.いや,変えられるものであると,自分がいちばん良いと信じることをやるのが,表現者の,責務であります」
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命を刻みこむかのように,映画と向き合う大林宣彦さん.
その日々を記録しました.
大林さんにがんが見つかったのは,3年前のことでした.
3年前,舞台あいさつする大林監督「がんになりました.私.ちまたでいうと,あと半年か1年という宣言になります」
ステージ4の肺がん.余命は半年と告げられていました.
取材者「失礼します」
妻恭子さん「おあそびですが,撮ってって」
2年前,私たちは新作の構想を練っていた大林さんの取材を始めました.
大林監督「お忍びの所に,カメラが入り込むなんてないことだから---」
大林監督「がんの薬はこれだけ」
抗がん剤による治療をつづけていました.
妻恭子さん「でも,すごいわよね.一錠で退治してるんだから」
大林監督「これだけで,余命3ヶ月をおさえているんだからね」妻恭子さん「すごいわよね」
〈映像 近くを散歩する大林監督〉
脚本執筆の合間に,散歩に出た大林さん.日常の風景が違って見えるようになったと言います.
WEB特集 がんと闘う映画監督 大林宣彦の「遺言」(前編) | NHKニュース
大林監督「これは,ぼくたちは草だと認識しているんだけど,命に見えてきたのね.みんな,命なんですよね.当たり前のことだけど,僕たちは人間語を使うから,人間語ではこれは命ではなく,草なんですよ.しかも雑草なんですよ.踏みつけてもいいんだけども,自然界の言葉を僕は持っちゃったんでしょうね.そうすると,これは命に見えちゃうし,横にアリがいるぞ,こいつ,がんじゃないかな,元気かな,なんて思っちゃうしね」
取材者「そういうのは,以前はなかった感覚なんでしょうか?」
大林監督「なかったとは言えないけど,それほど自覚してなかったですよね.アリを踏まないんじゃなくて,今は命を踏んじゃいけないっていうね.そう思いましたかね」
〈映像 『海辺の映画館—キネマの玉手箱』より〉
「映画は夢,幸せにおなり」「はい」
がんと闘いながら,先月,完成させた新作映画.
映画館を訪れた現代の若者3人がタイムスリップし,明治以降,日本が経験した戦争を追体験する物語です.
〈映像 『海辺の映画館—キネマの玉手箱』大日本帝国の戦場 中国・満州 1945AD/5月の終わり/満月の夜〉
「まだ,追うてきよる」「のりこちゃん.僕のヒロインなのに」
理不尽な戦争に巻き込まれて,死んでいく人たちを救おうとあがく主人公たち.
〈映像 広島〉
「明日,みんなで,朝一番の汽車で広島を出ましょう」「何,言ってるの?」
「広島が危険なんじゃ.広島に落ちる」
しかし,奮闘むなしく,広島に原爆が投下.
「ぴかっ」
多くの命が失われます.
「戦争なんかに殺されないで私,生き抜いて見せます」
大林さんは,この映画を世に送り出すことが,自分にとっての責務だったと言います.
大林監督「人の命に限りがあるとするならば,遺されたものは遺されたものでの,役割があるだろうとね.
ジジイの繰り言みたいな映画でも,温故知新の役には立つかも知れんということでね.生きてる限り頑固ジジイとして,僕らの時代の僕らの実体をフィルムに預けてみようかなと.
邪魔だと思う人には,長生きしてごめんねと言うしかないけどね.死なないよ」
川崎敬也カメラマン「私は,この二年間,大林監督を取材しながら,自らの生き方を考え続けてきました.
がんと闘いながら,映画制作に情熱を燃やし続けるのは,何故なのか?
私は6年前から,網膜の難病をかかえ,視野が次第に失われてきています.大林監督に私の病について打ち明けると,『今の君にできることがあるはずだ』と語りかけてくれました」
大林監督「カメラマンの視力が衰えていくというのは,苦労だけでなく,未体験のことゆえ,大いなる恐怖でもあるだろうし,目を失ったカメラマンが何かやるというのは,個人にとっっては大変な苦労だろうね.僕には分からない苦労です.僕は僕なりに失うものはない.
必ずそれを活かして,自分らしく,一生懸命,ウソをつかずあるんだ,と.
だから,あなたには,一緒に生きようね,頑張ってと,握手を送るしか今はないわけだけどね」
川崎敬也カメラマン「新作を携えて,広島の映画祭に参加するという大林監督.ふるさとに一緒に行かないかと誘われ,同行することになりました」
広島に着いた大林さんが,真っ先に向かった場所.それは,原爆ドームを望む慰霊碑でした.大林さんは,これまで,広島に戻るたびに,静かに手を合わせてきました.
ところが,映画祭のプログラムの一環として行われた献花.
〈映像 献花台の前の大林さん.車椅子にのっている〉
大林監督「やらないよ.俺が思ってたことと違う」
自分に注目が集まる状況に,いらだちをあらわにします.
〈映像 車椅子の補助者.そのまま車椅子を押して,献花台の前へ.
献花はせず,頭に手をやり,頭を垂れる(頭を抱える?)大林監督〉
大林監督「後ろの人の邪魔になっている.頼むよ,早く俺をどかしてくれ」
補助者「あっ,そうですか.ちょっと横にしますかね.センター外して」
〈映像 記念撮影に並んだ関係者.中央に車椅子の大林監督.怒りは収まらない〉
大林監督「俺は,ここの主役でもなんでもない.主役はここで殺された人たちだぜ.頼むから.映画の恥だぞ.原子爆弾で死んだ人たちへの恥だよ」
〈映像 大林監督のアップ.撮影態勢には全く入っていない〉
進行係「ありがとうございます.よろしいでしょうか」
大林監督「よろしくない!」
進行係「よろしくない!?」
撮影者「すいません.一枚,こちらお願いします.ではまいりま〜す.はい,ポーズ」
〈映像 うつむいて,帽子しか見えない大林監督.同じく車椅子の妻・恭子さん.よりそって大林監督の腕を抱えてている.うつむいたまま,一瞬,戦没者に祈るのか,カメラマンに謝るか,手を合わせる大林監督〉
人目をはばからず見せたはげしい憤り.それは,今回の映画にかける,並々ならぬ覚悟があったからでした.
尾美としのりに向かって「どうか,こっちの顔だけ見ていて〉
大林さんの名を世に知らしめたのは,尾道三部作.
アイドルを起用した青春映画として大ヒットになりました.
しかし,その蔭で,心にしこりを抱え続けていました.
黒澤明監督と30年前に交わした約束を果たせずにいたのです.
大林監督「あの戦争の,いかがわしさを直接知った僕たちの世代が,ものを言わんといかんだろうと.そのことをクロさんも期待をしていましてね.
そのあとをね.僕たちが戦争抜きで描いているわけだから.そのおかげでいえば,うかつな映画人生であったと」
転機となったのは,東日本大震災.
生き方を見直す機運が高まる中,映画監督としてのあり方を見つめ直したといいます.
大林監督「政治や経済をつかさどっている,世の中を動かしている人たちが,みなさん,戦争体験のない,僕よりもうんと若い世代の人になってしまった.
あの戦争と同じ気配が,世界を覆うようになってきた.
ただ,戦争映画の難しいのは,楽しく見せすぎちゃうと,せっかくの反戦映画が,好戦映画になっちゃうというね」
新作で意識したのは,戦争を知らない世代.
出演者の常盤貴子さは,映画を通じて戦争を我がこととしてとらえるようになったといいます.
〈映像 「海辺の映画館 キネマの玉手箱」アルミの水筒を手に列車内で国民服姿の男優たちを語る常盤貴子〉
常盤さんが演じたのは,実在した移動演劇隊・桜隊のメンバー「でも,こんな世の中だからこそ,芝居を楽しみに待っているお客さんをがっかりさせたくないんです」
〈映像 舞台あいさつでマイクを握る常盤貴子〉
常盤貴子さん「けさ,桜隊の『殉教の碑』が大通り沿いにあるんですね,そこにお参りに行ってきまして,その人たちが存在していたことが,もう,今も泣けてくるんですね.(涙ぐむ)なんか,今の時代,平和だから,映画が見られていること,お芝居ができているということ,ありがたさを,すごくかみしめることができて----泣いて,-----」
戦争がない未来を作るのは若者たちだ.
大林さんは,語りかけてきました.
あるシーンで,その思いを強くしたといいます.
〈映像 『海辺の映画館—キネマの玉手箱』より,軍服姿の満島真之介.バックに沖縄民謡〉
草を手に取る,わずか3秒ほどのシーン.
WEB特集 がんと闘う映画監督 大林宣彦の「遺言」(前編) | NHKニュース
演じる満島に語りかける大林監督.
大林監督「すべて,命の仲間です.戦争なんて,バカなことをしちゃいけない.草を慈しみましょう.見つめながら,人間を見ながら.
ハイ.OK.はい,いいです.はい,ありがとう」
沖縄県出身の満島さん.
実は,この撮影の前に,祖父がアメリカ兵だったことを知りました.
満島さん「監督がたった一言.どういう人種の中にも,どこの兵隊たちにも,草にも,空にも,海にも,全てに命が宿っている.これはもうね,それ以上ないわけですよ.おじいちゃんが沖縄の米兵の方だったということも,やっと今年,いろんなことがわかってきたりしてるので,そういうことも,全部,監督には話してるわけです」
大林監督「彼は,そういうことが表現できる.沖縄の米軍の子ですからね.痛みが歴史の痛みを,彼自身がとても感じるところがあるから.痛みを感じる心を持つ人間は,優しくすることもできる」
〈映像 満島さん.役を終えて,監督のもとへ来て,ハグする〉
満島さん「ありがとうございます」
大林さんは,観客もまた,傍観者ではいられないと訴えています.
映画を見に来て,戦争の時代にタイムスリップした主人公の3人.
クライマックスでこう叫びます.
WEB特集 がんと闘う映画監督 大林宣彦の「遺言」(前編) | NHKニュース
「観客が高みの見物じゃ,世の中,変わりゃせんで」
「しっかり,胸が痛いぜ」
「歴史は変えられんけど,歴史の未来は変えられるんだ」
「それを,ハッピーエンドにするのが,われら観客じゃ」
今,ふるさとを見ておきたい.
広島での映画祭を終えた今週,月曜日.
大林さんは,生まれ育った尾道に向かいました.
以下 略
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