スベトラーナ・アレクシエービッチ1 ”私たちは何を目撃しているのか 海外の知性に聞く”NHKEテレ 「あまりにも恐ろしい映像です.年老いた女性たちの中に私の祖母を見てしまうのです」「21世紀の最も恐ろしい犯罪として歴史に残るでしょう」「普通の人が戦争を始めるのではありません.戦争を始めるのは政治家なのです.」「『僕たちはハリコフを爆撃している.ハリコフはがれきの山となってしまった』それに対して母親は何と答えたか.『あなたのおばさんがハリコフに住んでいるわ』」 

ウクライナ侵攻が変える世界 私たちは何を目撃しているのか 海外の知性に聞く」

NHK Eテレ 初回放送日: 2022年4月2日

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「ウクライナ侵攻が変える世界 私たちは何を目撃しているのか 海外の知性に聞く」 - ETV特集 - NHK

ウクライナ危機で揺らぐ国際秩序。世界は何に失敗し、どこへ向かうのか?国家に翻弄された旧ソビエト諸国の人を書いてきたノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチ、フランス歴代大統領の政策顧問を務めたジャック・アタリ、新たな冷戦の始まりを警告するアメリカの政治学者イアン・ブレマーらに道傳愛子がインタビュー。いま、私たちは何を目撃しているのか?ソビエト崩壊から30年、過去・現在・未来を深く読み解く。)

 

世界を大きく変えたロシアによるウクライナへの軍事侵攻.今私たちは何を目撃しているのか?

一体,何故,このような事態が引き起こされたのか?

私たちは手がかりを求めて,三人の知識人に緊急のインタビューを申し込みました.

 

1. スベトラーナ・アレクシエービッチ1

道傳愛子

「私がまず話を聞きたいと思ったのは,ウクライナにルーツを持つ,作家のスベトラーナ・アレクシエービッチさん(作家,ジャーナリスト).

今はドイツに暮らしています」

 

道傳「アレクシエービッチさんこんばんは.少し時間が早いですけれどよろしいですか?ご準備は」

 

ソビエトで起きた戦争や原発事故.そして連邦崩壊.苦難に見舞われた名も無き人びとの声を丹念に掘り起こしてきました.

その作品は,苦難と勇気の記念碑と評価され,ノーベル文学賞を受賞しています.

メディアにあふれる情勢分析ではなく,人びとにとってこの戦争とは何かを聞いてみたかったのです.

 

道傳「ロシアウクライナそして,ベラルーシという,三つの地域とつながりをお持ちでいらっしゃいまして,そこで暮らす人たちの気持ちを深く理解していらっしゃる方でいらっしゃいますので,今回の事態についてのお考えなど伺いたいと思いました.最近のご体調はいかがですか?お元気でお過ごしですか?」

アレクシエービッチ「私たちはウクライナの出来事と共に生きています.朝起きるとまずパソコンを開き,ウクライナの情勢を確認します.情報を見続けているため,深夜まで眠れません.目を離すことができないのです.私たち全員の心に残った映像があります.ロシアの巨大な戦車が何十台と連なってウクライナの村に入ってきたとき,住民は何も持っていませんでした.若い男性はいません.全員が前線で戦っていますから.年寄り,女性,子どもたちが全員走り寄ってきて,車の前に膝をつくのです.先に通すまいとして.これ以上は無理です.話していると私の心の中に涙があふれてきます.あまりにも恐ろしい映像です.年老いた女性たちの中にウクライナにいた私の祖母を見てしまうのです」

 

かつてウクライナは隣のベラルーシ(旧白ロシア)とともにソビエト連邦を構成する国の一つでした.1948年に生まれたアレクシエービッチさんは三歳までウクライナで育ちました.

一家は父親の故郷ベラルーシに移り住んでからも,度々ウクライナの祖母の家を訪れたといいます.

 

アレクシエービッチ「祖母は,いつも民族衣装のラウスを着て白いスカーフを巻いていました.あの戦争の映像と祖母を重ねてしまい,彼女の世界が大きく揺らいだのではないかと想像するのです.

21世紀,何が私たちをこれから待ち受けているか分かりませんが,ウクライナの戦争は,21世紀の最も恐ろしい犯罪として歴史に残るでしょう」

 

道傳「アレクシエービッチさんは三つ家があるとおっしゃっていましたけれど,」

アレクシエービッチ「父はベラルーシ人です.私は三歳のときにウクライナからベラルーシに移り住み,そこで育ちました.毎年夏休みにはウクライナの祖母のところに行きました.祖母は私が一番愛した人でした.私は祖母が教えてくれたとことをすべて覚えています.祖母の教えは私の考え方を根底から変えるものでした.

祖母の家に行った時のことです.野原のそばを通ろうとするたびに,祖母はいつも『この野原を通るのはやめましょう.回ってあっちを通りましょう』と言いました.私が小さかった頃は,理由を話したくなかったのでしょう.少し大きくなって10歳くらいになったとき,祖母はこう言ったのです.『ここでたくさんの人が亡くなっていたの.ドイツ兵とソ連兵が同じ場所で死んでいたのよ.そして長い間葬ることができなかったの.銃撃戦が続いていたから』 私はまだ子どもだったので,その光景が目に焼き付いて離れず,畑に小麦が実っているのを見ることすらできませんでした.

第二次世界大戦中の独ソ戦で,1000万もの死者を出したソビエト連邦,戦後学校ではソ連兵は英雄,憎むべき敵と教えられました.)

祖母から初めて話を聞いたとき,私は驚きました.『どちらもかわいそうだった』と言ったからです.私は聞きました.『おばあちゃん.ドイツ兵がかわいそうだって言うの?』学校ではドイツ兵を憎むように教えられていたからです.でも祖母は言いました.『あなたはしらないだろうけれど,ドイツ兵にもいろいろな人がいたのよ.子どもにパンを配った人もいた.』

普通の人が戦争を始めるのではありません.戦争を始めるのは政治家なのです.祖母は戦争で夫や親戚を失ったにもかかわらず,人を哀れみ,戦争の狂気を理解する心を持っていました.それが,祖母が私に教えてくれたことの一つです

 

アレクシエービッチさんのデビュー作「戦争は女お顔をしていない」(1985年),第二次大戦にソ連兵として従軍した女性たちの証言を初めて世に知らしめました.

その後「アフガン帰還兵の証言」(1991年)を発表.戦争を始めた側の若いソ連兵もまた深く傷ついて行きました.

兵士たちの証言「弾丸が人間に突き刺さる.誰も容赦しない.子どもを撃つこともできる.帰ってから2年間は自分を葬る夢を見続けた.自殺するにも銃がないという恐怖に包まれて目覚める」

 

道傳「メディアではほとんど伝えられないんですけど,ロシア兵やその家族にとってこの戦争はどんな意味があるとお感じになりますか?」

アレクシエービッチとても難しい質問です.私はユーチューブにアップされた録音は全て必ず聞くようにしています.捕虜になったロシア兵が自宅に電話した際の音声をウクライナ諜報機関が盗聴したものがあります.兵士が家に電話をして言います.『ママ僕だよ』『今どこからかけてきているの?』母は演習に行くと聞かされていたのです.『ママ,僕たちはここに人を殺しに来たんだ』『どういうこと?どうしてそんなことに?』『とにかく人を殺しに来たんだ.略奪もしたよ』.

他にこんなやりとりもありました.『僕たちはハリコフ(ハリキウ)を爆撃している.ハリコフはがれきの山となってしまった』それに対して母親は何と答えたか.『あなたのおばさんがハリコフに住んでいるわ』