映画『ジョーカー』は,単なるヒット作にとどまらず,賛否両論の感情的な反応を沸き起こしている.争点は主人公・アーサーのような貧困独身男性「インセル:不本意の禁欲主義者,非自発的独身者(involuntary celibate)」が抱える問題だ.事態は深刻である. 格差問題が経済や社会的地位のみならず,恋愛・結婚をめぐる「人間関係格差」であることの証左だからだ.// 人間関係格差の時代 映画『ジョーカー』が提起した課題 水無田気流 東京新聞

社会時評 水無田気流

人間関係格差の時代 

映画『ジョーカー』が提起した課題

東京新聞2019年11月26日(火曜日)夕刊

 

 ハロウィーンの日,勤務先の国学院大学がある渋谷の街で,今年は白塗りの顔にスーツ姿の『ジョーカー』のコスプレが目についた.周知のように,アメリカの有名コミック『バットマン』に登場する悪役である.

 

 彼を主役に据えたトッド・フィリップ監督の実写化映画『ジョーカー』は,今年9月のベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し,話題となった.

世界的な旋風を巻き起こし,日本でも十月に公開後,たった5日間で興行収入は十億円を突破した.

 

パートナーの不在

 現在『ジョーカー』は,単なるヒット作にとどまらず,賛否両論の感情的な反応を沸き起こしている.争点は主人公・アーサーのような貧困独身男性「インセル」が抱える問題だ.

インセルとは「不本意の禁欲主義者,非自発的独身者(involuntary celibate)」の略語で,本人が望んでいるにもかかわらず,恋愛や結婚のパートナーに恵まれない男性を意味する.

 

 このカテゴリーの人々は,日本で俗に『(男女を問わず)非モテ』,男性は『喪男(もだん)』,女性は『喪女(もじょ)』などと,主として当事者(の自覚がある人)が,半ば自虐的に呼称する事例が目につくが,事態は深刻である.

格差問題が経済や社会的地位のみならず,恋愛・結婚をめぐる「人間関係格差」であることの証左だからだ.

 

 ところで,日本で「恋愛ができなければ,パートナーはえられない」ようになったのは,近年のことである.日本は六十年代前半までお見合い結婚が恋愛結婚を上回り,七十年代までは職場や地域など「周囲の大人」のお膳立てで,誰もが「年ごろ」になるとおのずと配偶者を得られたのである.

これが,八十年代以降瓦解(がかい)していく.

 

 背景には,結婚が本格的に自由恋愛市場化し,「個人化」傾向に拍車がかかったこと,コミュニティーや職場などにおける人間関係が希薄化したこと,さらに非正規雇用化をはじめとする不安定雇用が増加し職場に正式に「属す」ことができない人たちが増えたこと,などがあげられる.

 

 このような社会では,恋人や配偶者など.パートナーだけが唯一自らの所属や自己承認を保障してくれる相手となる.

それゆえ,今日,パートナーの不在が象徴する「自己承認の欠落」への不満は,広く社会を覆っているように見える.

 

 とりわけ,銃社会アメリカでは「インセル」による銃乱射事件横行は,大きな社会問題だ.それゆえ映画『ジョーカー』はこのようなリスク回避のため,一部の映画館では,ジョーカーのメークや仮面をつけての視聴を禁ずるなど,警戒もなされているという.

 

 ふと思う.この「不満を抱えるインセル(が代表する孤立した人々)」への不安はどこから来るのか,と.

 

 最近,日本で発生している大量殺傷を狙った事件の容疑者も,職場での人間関係などがうまくいかなかったために職を失って『無属』となり,孤立を深めていったような背景があるケースが目立つ.

 

 もちろん,どのような不遇な境遇にあっても,無関係の相手に振るわれる陰惨な無差別殺傷は到底許されるべきものではない.

この前提は揺るがぬものとして,それでも問うべきは,映画『ジョーカー』が提起した複雑で深刻な課題だ.

 

既得権層 矛先に

 下記,未視聴の読者にはネタバレご容赦いただきたい.

私見では,アーサーは古風なまでに「強者に対抗するトリックスター(秩序を破る道化者)」である.彼の凶行は,冒頭自分を足蹴(あしげ)にした悪ガキたちなどではなく,女性に絡む嫌なエリート社員や,アーサーを笑いのネタとして消費するメディアの人気者など,既得権益層に向かう.

 

 これらはすべてアーサーの妄想の世界の出来事と解釈することも可能だが,異常な世界で彼なりの「正義」が凶行を生み,やがて街中に広がる過程で,匿名の道化師の面を借りた群れなす無差別暴力へと転化していく.

その様は,淡々として怖ろしい.

 

 上述した「不満を抱えたインセルへの警戒心」は,そこに起因するのか---などと考えつつ所用で渋谷から早稲田に移動すると,またしてもジョーカーが.今度はたった一人,駅構内にたたずんでいた.

 

(みなした・きりう=社会学者,詩人,国学院大経済学部教授)

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