万葉集におけるヒカゲノカズラ
古事記では “神懸かりする”アメノウズメの体を飾っていたヒカゲノカズラ.
現代でも正月飾りに,また,神社の縁起物に用いられ,ヒカゲノカズラを必須アイテムとする祭礼も行われています.
これら現代に残るヒカゲカズラの飾りは古事記の記述に基づくものと言えるでしょう.
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しかし,古事記と同時代の万葉集の歌をみると,古代日本では,ヒカゲノカズラは必ずしも神に結びつく植物ではなく,ごく普通に髪飾りなどに用いられていたと思われます.
たのしい万葉集(たのしい万葉集: ひかげのかづらを詠んだ歌)によれば,ヒカゲノカズラを詠んだ歌は6首.
そのうち,意味の解説が掲載されていたものは,次の4種.
あしひきの 山かづらかげ ましばにも 得がたきかげを 置きや枯らさむ
作者不詳 巻十四 3573
山のひかげのかずら.めったに手に入らないそのかずらを手にしないで,放って置いて枯らしたりするものですか.
あしひきの 山縵(やまかづら)の子 今日行くと 我れに告げせば 帰り来ましを
巻十六 3789 作者不詳
山縵(やまかづら)の子が,きょう逝(い)ってしまうと私に告げてくれたのなら,帰ってきたのに.
見まく欲(ほ)り 思ひしなへに かづらかけ かぐはし君を 相(あひ)見つるかも
巻十八 4120 大伴家持
お逢いしたいと思っていたところ,かづらを飾りつけた素敵なあなたさまにお逢いすることができました.
あしひきの 山下ひかげ かづらける 上にやさらに 梅をしのはむ
巻十九 4278 大伴家持
山のひかげのかずらを髪飾りにして(この宴をたのしんで)います.その上,さらに梅(うめ)をたのしもうとおっしゃるのですか.(席を立たずに,ここにいて宴をたのしみましょう)
「山縵(やまかづら)の子」「かづらかけ かぐはし君」「山下ひかげ かづらける」---
ヒカゲカズラが,神を意識することなく,飾りとして,特に髪飾りに用いられていたことがよく分かります.
なお,「たのしい万葉集」にあげられた6首以外に,一般的にはヒカゲカズラではないと解釈されているものの,斎藤茂吉氏がヒカゲカズラが使われているとした歌があります.
天智天皇の崩御に際した皇后・倭姫王(やまとひめのおおきみ)の歌.
「切実な悲しみを歌い上げた絶唱(朝日日本歴史人物事典 倭姫王(やまとひめのおおきみ)とは - コトバンク )」としてよく知られている四首のうちの一つ.
「万葉秀歌 斎藤茂吉」から,解説共々,転載します.
人はよし 思ひ止むとも 玉かづら 影に見えつつ 忘らえぬかも
巻二 149 倭姫皇后
これには,「天皇崩じ給ひし時,倭太后の御作歌一首」と明かな詞書がある.倭太后(やまとのおおきさき)は倭姫皇后(やまとひめのこうごう)のことである.
一首の意は,他の人は縦い(たとい)御崩れになった天皇を,思い慕うことを止めて,忘れてしまおうとも,私には天皇の面影がいつも見えたもうて,忘れようとしても忘れかねます,というのであって,独詠的な特徴が存している.
「玉かづら」は日蔭蔓を髪にかけて飾るよりカケにかけ,カゲに懸けた枕詞とした.山田博士は葬儀の時の華縵として単純な枕詞にしない説を立てた.
この御歌には,「影に見えつつ」とあるから,前の御歌もやはり写象のことと解することが出来るとおもう.
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この御歌は,「人はよし思ひ止むとも」と強い主観の詞を云っているけれども,全体としては前の二つの御歌よりも寧ろ弱いところがある.それは恐らく下の句の声調にあるのではなかろうか.
ヒカゲノカズラは,“広義のシダ植物”とされています.
“広義のシダ植物”は大葉植物(シダ綱/シダ植物門),子葉植物(ヒカゲノカズラ綱/ヒゲノカズラ門)に分けられ,大葉植物は,種子植物と同一の起源を持つことが分かっている(合わせて“真葉植物”という単一系統を形成)とのこと.
“広義のシダ植物”という言葉がいつまで使われるのかは分かりませんが---
大きなくさびが打ち込まれ,「一つのグループではない」ことが分かったと言うことですね.
“広義のシダ植物”は,“かつてのシダ植物”と言い換えてもいいように思われますが---(素人考え).