徳島県鳴門市.
人口およそ6万のこの町には,至る所に「第九」があふれています.
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(映像 ”第九の里なると 「第九」アジア初演の地” ののぼり)
(映像 第九を歌うためだけの結成された合唱団 ドイツで歌う映像)
(映像 第九を歌う保育園児 三歳からドイツ語で)
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6月,第九の初演から100年を祝い,鳴門で盛大な演奏会が行われました.
行列の中には,アメリカやドイツなど,海外から訪れた人たちもいました.
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BS1スペシャル「鳴門の第九 歌声がつなぐ日独の100年」
NHKドキュメンタリー - BS1スペシャル「鳴門の第九 歌声がつなぐ日独の100年」
第1楽章 すべての始まり
今からおよそ100年前,鳴門に収容所が作られました.
板東俘虜収容所です.
作られたのは第一次世界大戦(1914〜1918)のさなか.
敵対していたドイツ兵,およそ1000人が,二年半にわたって捕らえられていました.
しかし,ここでの生活は,収容所という言葉からは,かけ離れたものでした.
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/08/15/004337
yachikusakusaki.hatenablog.com
第2楽章 守り続けてきた人
収容所の跡地にはドイツ兵の慰霊碑があります.
捕虜たちが作ったものです.異国の地で亡くなった仲間たちを偲ぶためでした.
その慰霊碑を守り続けてきた夫婦がいました.
高橋敏治さん・春枝さん夫妻です.
70年前,二人は慰霊碑の掃除を始めました.きっかけは,敏治さんのソ連で捕虜になった体験でした.異国の地で多くの仲間を失ったのです.日本に生きて帰ることが亡かった仲間の無念を,ドイツ兵に重ねていました.
NHK映像(1994)高橋敏治さん「私の戦友,部下もね,向こうで数十人死んでいるわけです.その人たちは,裏の山の砂丘に埋められている.
そのことを思ったら,---彼らも帰りたかったのに帰れなかった---,この人(ドイツ兵捕虜)も帰りたかっただろう.これからは,夫婦で,ひとつ,守ってやろうじゃないか,と」
二人の活動は,日本で注目されるようになりました.
(映像 新聞記事「異国で散ったともしのぶ.引き揚げの高橋氏夫婦」)
そのニュースは,ドイツにも広まります.
ある日,二人のもとに,ドイツから手紙が届きました.差出人は,元捕虜たち.
30人以上の連名で高橋さんへの感謝の言葉が述べられていました.
これを機に,鳴門とドイツの関係は深まっていきます.
記念館が造られたのです.
(映像 鳴門市ドイツ館開館1972年)
建設に当たり,ドイツ中から寄付金が寄せられました.
高橋夫妻の小さな積み重ねが,多くの人々を動かしたのです.
今,慰霊碑を守っているのは,息子の敏夫さんです.週末の掃除を欠かさないようにしています.
70年の供養 日独つなぐ : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
敏夫さんには,楽しみにしていることがありました.第九の演奏会の時,多くのドイツ人がここを訪れるのです.
「偉大なる光栄でもあるし,やっぱりもう,そろそろ80歳になりまして,疲れましたが,なんとかできる限り,墓の掃除をさせてもらいたいと思います」
鳴門にドイツ人の一行がやってきました.
シュテファン・プフルーガーさんです.慰霊碑を見るために,初めて,日本に来ました.
シュテファンさんの祖父(ゲオルグ・プフルーガーさん)は元捕虜.彫刻が得意で,慰霊碑の制作に携わりました.
シュテファンさんは,祖父の形見をどうしても見たかったのです.
捕虜の子孫たちを招いた歓迎会が開かれました.
シュテファンさんがやってきました.この会場で高橋さんと会うことになっていたのです.慰霊碑を守り続けてくれたお礼を,直接,言うつもりでした.
シュテファンさんは,この日のために手紙を準備してきました.
「高橋さんとご列席の皆様.祖父が100年前に建てた慰霊碑を掃除してきてくださった高橋さんに敬意を表します」
http://ahiroki.seesaa.net/archives/20180602-1.html
しかし,会場に高橋さんの姿はありませんでした.数日前に,心臓の手術を受け,入院していたのです.
歓迎会が終わった後,シュテファンさんは,すぐに慰霊碑に向かいました.祖父が作った慰霊碑との対面です.
そのときのことです.なんと,慰霊碑のすぐそばに,高橋さんの姿を見つけました.シュテファンさんの思いに応えたいと病院から駆けつけてきたのです.
高橋さん「病院から特別に許可を頂きました」
スタッフ「こちらに来られますか?大丈夫ですか?せーのせ(高橋さんを介護して立ち上がらせる).プフルーガーさんです」
「グーテンターク」「グーテンターク.お会いできてうれしいです」
「高橋です」「シュテファン・プフルーガーです.お目にかかれて光栄です」
「ダンケシェーン.お墓を彫った人ね」「はい.格別な思いです.私の妻です」
「奥さん?」「そうです」
「祖父は,高橋さんがしてくださったことに,とても感謝していると思います.この慰霊碑は,尊敬,友情,平和のシンボルだと思います」「はい」
「高橋さんと握手したときに,祖父の手を感じました」
シュテファンさんの願いがかないました.
(映像 ステファンさん夫婦と高橋さん,一緒に献花.シュテファンさんは高橋さんを支えながら)
「私たちは,力を合わせていかなければなりません.第九のメッセージのように,人々が一つになっていくのです.
こうして,高橋さんと会えて,とても幸せです.とても素敵な人です」
「ダンケシェーンです.ありがとうございます.感激でいっぱいです」
また一つ,鳴門で深い絆が生まれました.
第三楽章 新たな世代へ
(続く)