#あちこちのすずさん~教えてください あなたの戦争~(4)
【キャスター】千原ジュニア,【リポーター】八乙女光,伊野尾慧,【出演】広瀬すず,片渕須直,【アナウンサー】近江友里恵,【語り】松嶋菜々子
終戦時,海外にいた日本兵は350万人,そして,戦争中に海外で亡くなった方は200万人いたといわれています.
「海外でも多くの方が犠牲になった戦争なんですが,国内でも,多くの方が空襲で亡くなりました.
全国500カ所以上が空襲を受け,死者はおよそ41万人といわれています.
その記憶は,今も多くの人のに消えない傷として残っているんです」
「三重県津市.大正時代から続く花火大会は,地元の夏の風物詩です.
今年52歳になった村上英俊さん.小学生の頃,この場所で,忘れられない体験をしました」
「こんなキレイな花火なのにね.戦争は,今まであったものがなくなるし,そのときだけじゃなくて,将来の思い出までも変えてしまう.切ないですね」
子供の頃,夏が来るのが待ち遠しかった.夏休みは,海でめいっぱい遊んだ.海水浴に海釣り.そして,極めつきが,家族で見る花火だった.
水面に広がる色とりどりの花火.この世にこんなきれいなものがあるのか.と思っていた.
ある年の花火大会,母がつぶやいた一言を,私は聞き間違いだと思った.
“やっぱり,そんな気持ちのいいもんでもないな”
毎年,欠かさず,私を花火に連れてきてくれていた母.
だがこのときは,空を見ることなく,じっとうつむいたままだった.特に光が降り注いでくる花火は苦手なようだった.
このとき,母にとっての戦争は,まだ終わっていないのだと知った.
石川20代女性 昔はやっぱり白玉ぜんざいさん
毎年楽しみに見ている花火が.悲しみに変わると思うと寂しく思いました.
「村上さんのお母さんは,戦争中,9歳の時,あの花火大会が行われている海岸で空襲に遭い,海の近くを走って逃げ惑ったという経験があったそうです.
片淵さん,今のエピソード,いかがでしたか?」
「本当に,その---でもね.実は,逆のお話も知っていて,戦争中に空襲に遭った人が,本当だったら,今頃の季節は,花火大会だったのになっておっしゃってて,あんなに楽しかったのに切ないなっていう思いで,空襲を眺めながら,それより前の花火大会のことを思い出してるっていう記憶,それも読んだことあるんですよ.
戦争さえなかったら,楽しい楽しい花火大会が昔からあって,今でもずっと続いてたかもしれないのに,ある世代の人たちにとっては,それが,本当に悲しい思い出で,あんな大きな音を聞くだけで耐えられない,光がまばゆいのだけで耐えられないっていう人がいてしまうのは,本当,残念ですよね.
みんあ,夏のこの季節になったら,花火を素直に楽しめればいいのになあ,と思うんだけどね.
でも,そんな,沢山の方々が,空襲っていうね,日本のある一定以上の街,みんなああいうことになってしまってるわけなんですから.
すごく沢山の方が,そういう思いを心に刻まれてしまったんじゃないのかなと思って----」
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長野県20代女性 ゆきこさん
亡くなった祖母から,アリもセミも食べられると聞いて,ビックリした思い出が
奈良30代男性 lovemeatsさん
祖父が祖母の前で,蛇を捕食.祖母はそれ以来,ウナギが食べられなくなった.
長野20代女性ももさん
長野県に住んでいるのですが,おばあちゃんの家に行くとイナゴがよくあります.
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「続いてのエピソードは,子供の戦争体験を伝えたいという,30代の女性からの投稿です」
杉山麻衣子さん(35).娘の朔弥ちゃんに絵本を読み聞かせるのが日課です.
「これがうちのおじいちゃんになります.とにかく面白い人でしたね.ほんとに」
実は杉山さん.幼い頃,祖父の一郎さんから,戦争の思い出話を聞くのが大好きでした.
一番印象的だったのは,シベリア抑留での体験談です.
終戦時,満州にいた66万人の日本兵は,その多くがソ連軍の捕虜となり,シベリアなどで強制労働をさせられました.
一郎さんはその一人でした.
いつもやさしかった祖父.実は争い毎が苦手で,戦場でも敵を撃てず,上官に何度も殴られたそうです.
終戦後は,ソ連軍に捕らわれ,シベリアの強制収容所で働かされました.仕事は,工場での金属加工や食堂での調理の手伝い.
厳しいノルマを課せられ,食事も足りず,栄養失調に陥ったそうです.
真冬は,気温マイナス30℃を下回る極寒の地.身を寄せ合って寝ましたが,朝,目覚めたら,となりの仲間が死んでいることもたびたびでした.
絶対に生きて日本に帰りたい.思いついたのがずる休み.
逆上がりを20回してから診察を受けたら,“熱がある.動悸も激しい”と仕事を休ませてくれました.
工場や食堂には,ソ連の女性が働いていました.
手先が器用だった祖父は,あまった金属で指輪を作り,プレゼントしました.女性たちは,大喜び.調子に乗った祖父は,指輪をどんどん作ったそうです.
ある日,絶体絶命の危機が襲います.
それは,シベリア鉄道で別の収容所へ運ばれる道中でのこと.湖の畔で休憩して外で用を足していると,ソ連兵が,いきなり銃を突きつけて来たのです.
“なぜ,れっしゅに戻らない!脱走するつもりだな!”
もうだめかと覚悟した,その時でした.
“一郎は,そんなことする人じゃない.出発時間が分からなかっただけよ”
一緒に食堂で働いていたソ連の女性でした.
彼女の勇気で,祖父は一命を取り留めたのです.
(アルバムを開くと,2名のソ連女性のスナップ写真)
祖父の一郎さんは,現地の女性から渡されたこの写真を,生涯大切にしていました.
麻衣子さん「美人ですよね.女優さんみたい.とにかく,褒めるのがうまかったので,それで仲良くなったんじゃないかな〜とは思います」
杉山さんは最近,シベリア抑留の歴史を調べ始めました.
祖父の人生を深く知りたいという思いからです.
知らなかった厳しい現実.それと同時に,祖父の語り口が,いかに魅力的であったかに気づきました.
「なんか,(祖父の話は)つらいだけじゃなくて,そこで笑ったり怒ったり悲しんだり喜んだりというのが,もうちょっと身近なものとしてわかった気がします.おじいちゃんお話で.
今の生活と変わらない人間たちがそこにいて,ちょっと間違えると戦争になってしまうんだよ.っていうのを,それで,間違えないようにしていこうね,と娘たちに伝えていきたいと思います」
この日,杉山さんは,祖父が日本に持ち帰ってきたという指輪を,娘に見せました.
(ビデを見ているスタジオの声「うわ〜」「めちゃめちゃよくできてる」)
大好きな祖父の物語とともに,戦争を語り継いでいこうと決めています.
「キレイだね」「結婚指輪にしたいくらい」「ふふふふ」
岐阜60代女性 野々村京子さん
父は,シベリアで空腹から馬の餌を食べていたら,ロシア女性にパンをもらったらしい.
神奈川10代女性四ツ目神さん
乗っていた戦艦が沈むとき,水蜜桃を食べるまで死なれんと,陸まで泳いだ曾祖父.
新潟60代女性 凪のかあさんさん
空襲後,焼け残ったかまどにご飯が炊けていた.お握りにして食べたと叔母.
福井10代女性 ひーちゃさん
優しかった曾祖父.戦地で殺し合い,教師として人間として恥を感じたそうです.