「林を『りん』と読むことから分かるように,中国の方のお名前で林浄因(りんじょういん)という方が,日本でこの林小路に住んで,そこで饅頭を売り出した」MEGUMIさん「林さんがお饅頭を日本に伝えてなかったなら,私たちも食べることはなかったかもしれない」前川さん「そうなんです」 漢國神社では毎年4月19日「饅頭まつり」をとりおこないます. まんじゅうのルーツ訪ねて春日大社と漢國神社(2)

まんじゅうのルーツ訪ねて春日大社と漢國神社(2)

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過去の放送 - 趣味どきっ! - NHK

 

600年ぐらい前に甘葛煎(アマヅラセン)が廃れてしまい,唐菓子も600年前には神饌になったので,普通に食べることはなくなっていました.

そのような唐菓子に甘葛煎を塗って食べたMEGUMIさん「ん〜.おいしいです.染みこみますね.アマヅラ.この米粉の生地に,すごく絡んでるといいますか」

そして甘葛煎塗りの唐菓子を再現した前川さん本人は「うん,こんな味なんだ.何て言ったら良いでしょうか.もう胸がいっぱいで.私」

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一般に人は食べられない春日大社の唐菓子「ぶと(餢飳)」.

しかしその気分を味わってもらおうと,春日大社と門前の和菓子店が協力して生まれたスイーツがあります.

それが,こちら「ぶと饅頭」.「ぶと(餢飳)」のように油で揚げてありますが,中には現代風にあんこがたっぷりと詰まっています.

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萬々堂通則 奈良県奈良市 和菓子 お水取り ぶと饅頭 糊こぼし 青丹よし  生活科学研究グループ |奈良県(奈良市) ぶと饅頭/発見!ご当地「油」紀行

店主河野美和子さん「先々代と,戦後すぐの宮司さんの水谷川(みながわ)さんと相談してぶと(餢飳)を食べやすい形で提供できないかということで」

包装紙には春日大社の神紋である「下がり藤」をあしらうことが許されています.

 

奈良市には個性豊かな和菓子店がたくさんあります.

その中に一つにMEGUMIさんを案内した前川さん.

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千代乃舎 竹村| 良品探訪 | 砂糖傳増尾商店 千代の舎 竹村 クチコミガイド【フォートラベル】|奈良市

 

「可愛らしい」「これが饅頭の発祥に関係がある」「へー」

奈良のシンボルの鹿に「林」という文字.

どのような意味があるのでしょうか?

 

前川さんに連れられて店の外を歩いていくMEGUMIさん.

「この通りが『林小路』っていう通りなんです」日本で初めてお饅頭が売られた通りとのこと.

そして「林神社」と書かれた奉納の幟(のぼり)を発見.鳥居の横には「饅頭の祖神 林神社」とかかれた石柱も.

「これは『はやし』って読むんじゃなくて『りん』って読む」と前川さん.

林神社は,1400年の歴史を持つ漢國神社(かんごうじんじゃ)の一角にあります.日本で唯一の饅頭の社として知られています.林神社には日本で初めて饅頭をつくった人物が祀られているのだとか.

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饅頭祭きょうの沙都(漢國神社) 日本唯一の饅頭の社、奈良『林神社』で饅頭の歴史を再発見してみよう! – Tadaima Japan 日本

 

「林を『りん』と読むことから分かるように,中国の方のお名前で林浄因(りんじょういん)という方が,日本でこの林小路に住んで,そこで饅頭を売り出した」

林浄因は中国広州の出身.日本の禅僧の弟子となり室町時代に奈良へとやって来ました.林浄因は,中国の饅頭(まんとう)の肉あんの代わりに,アズキを甘く煮詰めたあんをつくり,詰めました.

肉食が許されない僧侶のためです.

甘みは甘葛煎(アマヅラセン)でつけたと考えられています.

評判になり,足利将軍家にも献上したとか.だんだん砂糖が使われるようになって,一般にも広まっていったようです.

小豆は中国にもあったと考えられていますが,林浄因が饅頭に詰めたことで,日本人の愛する味覚となったのです.

MEGUMIさん「林さんがお饅頭を日本に伝えてなかったなら,私たちも食べることはなかったかもしれない」前川さん「そうなんです」

 

「さきほどの林印の和菓子は,饅頭の歴史を伝えたいという思いから,神社と門前の和菓子店が協力してつくったもの」とのことでした.

 

漢國神社では毎年4月19日「饅頭まつり」をとりおこないます.

「饅頭作りに,ひたすらいそしみ励める業界のもろびとたちの----」と宮司祝詞

菓子業界の繁栄を願って,お菓子が全国から奉納されています.

そして日本全国から菓子職人が参拝に訪れます.

その中には林浄因の子孫で、東京の菓子店「塩瀬」34代目の店主川島英子さんの姿も.

饅頭塚へMEGUMIさんを案内した川島さん「林浄因さんが饅頭を天皇に献上されたんですね.そしたら天皇がとってもよろこび,そばに仕えている官女をお嫁さんに下さったんです」

大喜びした林浄因は結婚に際して紅白の饅頭をつくって配りました.

これが紅白饅頭の原点となったそうです.

その内の一組を妻とともに,子孫繁栄を願ってこの饅頭塚の石の下に埋めたと言われています.

 

饅頭まつりでは,一般の参拝客にも無料で紅白饅頭が振る舞われます.

奈良の地で林浄因がつくった饅頭は,遙かな時を超えて,今も私たちを楽しませてくれています.

 

▽趣味ドキッテキストでは,饅頭の変遷を川島英子さんが解説しています.

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小麦粉だけでつくった当初の饅頭はおそらく平べったいもの.皮が厚くなって自然にそうなるそうです.

林浄因の数代後の林紹絆(りんしょうはん)が中国の宮廷料理を学び,「薯蕷(じょうよ)饅頭」を林家の饅頭づくりに取り入れたそうです.

薯蕷(じょうよ)とは山芋や大和芋などの芋類のことで,これでつくった皮は薄くのばすことが出来,丸めた小豆のあんを包めば,ポッテリと丸い形に仕上がるそうです.

「その老舗のレベルがわかるといわれるほど、シンプルなのに、基本を問われるお菓子だそうです」と薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)とは? 京都の和菓子☆ドットコムにありました.

 

▽饅頭は「甘いあんをいれて蒸してつくる中国起源の菓子」.

ただし,中国語で「饅頭(マントウ)」と言ったら,小麦粉を発酵させて作る蒸しパンのことで,主食食品.

日本の饅頭のようにあんを入れた食品は「包子(パオズ)」というそうです.石毛直道「日本の食文化」)

 

▽甘いお菓子の普及には,アマヅラに代わる「砂糖」が欠かせませんでした.

石毛直道「日本の食文化」によれば,

(前回にも触れましたが)

甘い菓子が一般に作られるようになったのは,16世紀海外との交易が盛んになって以降.

鎖国後も長崎にオランダ船や中国船がもたらす重要な物資の一つが砂糖であった」「17世紀になると温暖な地方でのサトウキビの栽培も始まった」

「饅頭」のほか,餅菓子,南蛮菓子(カステラ等),などがつくられ,「17世紀には都市には専門店が成立するようになった」.

とのことです.