避難住民の願いは、決して災禍をばねにした華々しい「復興」などではない。以前の暮らしを取り戻したいというささやかな「復旧」だ(河北新聞社説)報道に見る東日本大震災6年:仮設住宅/健康問題/人口流出/福島/避難者覆う無理解・不寛容

 東日本大震災6年の今日.この1週間のニュース報道から,関連記事をいくつか集めてみました.

 

1. 仮設住宅なお3.5万人 =5年で7割減、高齢化深刻-東日本大震災6年 時事通信社

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017030700793&g=eqa

 東日本大震災東京電力福島第1原発事故の影響で、プレハブの応急仮設住宅で暮らす避難者は1月末現在、岩手、宮城、福島の3県で計3万5503人に上る。

5年前の2012年1月に比べ7割減、戸数は計1万7592戸で6割減となった。

一方、住人の高齢化が進み、コミュニティー機能の低下による孤独死も懸念されている。

 岩手県山田町の小規模な仮設住宅団地。約15人が暮らすプレハブ住宅は訪れる人もまばらだ。住人の女性(83)は

「1人暮らしの高齢者がほとんどで、去年はお金を出し合い草むしりを業者に手伝ってもらった」と語る。

悩みの種は健康問題で、

「周りと交流のない人もいる。夜中に体調が変わることもある」と気をもむ。

 住人のうち65歳以上の高齢者が占める割合は、

岩手が30.9%(1月末時点)、

宮城 30%(同)、

福島 42.9%(16年5月末時点)。

岩手は県全体の高齢化率とほぼ同じだが、宮城は約4ポイント、福島は約14ポイントも高い。福島県生活拠点課は「自宅を建て直す意欲を失った高齢者が残りがち」と話す。

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 警察庁によると、3県では16年末までに、

仮設で1人暮らしをしていた避難者230人が死亡。

その58.3%に当たる134人が65歳以上だった。

 仮設住宅は老朽化が進む上、密集する長屋構造は火災に弱い。福島県いわき市では16年10月、4棟19戸が全焼する火事が発生。自宅が焼け、空き部屋に移った無職山本重男さん(67)は

「あっという間に燃え広がった。ここにはもう老人しか残っておらず、消火器があっても使えない」と声を落とした。

(以下略)

 

2. 長期化する仮設生活 “新たな健康問題”

NHKおはよう日本 2017年3月6日(月)

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阿部アナウンサー

「ここは、中学校の校庭です。およそ150世帯分の住宅が並んでいます。
すでに住宅再建を果たして引っ越した人もいるんですが、震災から6年がたとうという今も、およそ60世帯が暮らしています。

東北の被災地で言いますと、およそ3万5,000人あまりが、今も仮設住宅に住んでいます。
阪神・淡路大震災の場合は、5年ですべての人が仮設住宅から退去しました。しかし東北では、あと3年かかる地域もあると言われています。

被害があまりにも大きかったために、大規模なかさ上げ工事、そして高台への移転の工事に時間がかかっているんです。住宅地の整備に関しても、まだ着工もしていない地域が残されています。

ここ陸前高田市では、中心部のかさ上げはほとんど終わり、これから市街地の整備が始まろうとしています。工事が終わるのを待っていらっしゃる方、こちらの仮設住宅にも数多くいらっしゃいます。

震災直後から、私も度々取材をさせていただいているご夫婦のお宅が、こちらです。
失礼します。おはようございます。」

佐々木松子さん「おはようございます。しばらくぶりですね。」

「ご無沙汰しています。おじゃまいたします。震災直後に比べますと、生活用品もだいぶ増えましたね。

そして、収納がないものですから、このように、ご自身で棚を作って、こうした道具や調味料などを置いていらっしゃいます。そして、こちらの棚も6年たって、重みで板が曲がってきていますね。こちらの仮設住宅は、間取りが台所、4畳半が2つとなっています。こちらのお部屋におじゃまさせていただきます。
失礼します。夫の栄さんです。

栄さんは、この仮設住宅での暮らしの気持ちを、川柳にしていらっしゃるんです。
こちらの壁に、ずらりと並んでいます。
例えば、こちら。」

懲りず住む おらふる里が 好きだから”

(中略)

 

「こうして、仮設住宅での長い暮らしが続くことで、被災者のみなさんの心と身体に、ある特有の影響を及ぼしていることが分かってきました」

辻浩平アナウンサー(NHK盛岡)

岩手県宮古市にある、メンタルクリニックです。院長の高橋医師は、仮設住宅に住む被災者を数多く診察してきました。気がかりなのは、検査では異常が見つからないのに、体調を崩したり、気分が落ち込むといった症状です」

高橋幸成院長

仮設住宅の人たちが、『俺たちは“仮設病”と呼んでいる』って。頭が痛い、耳鳴りがする、お腹が痛い、眠れない。一か所の仮設住宅だけではない。どこもそう。」

(中略)

「被災者の心に何が起きているのか。その手がかりを求めてNHKは、岩手の被災地にある県立病院で処方された、すべての薬のデータを入手。専門家と分析しました。

特に伸びているのが、睡眠薬です。震災後、減るどころか、年を追うごとに増え続けています。中には、震災前の4倍に増えた病院もあります。」

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(中略)

「震災前は、大型漁船の機関士として、毎日のように漁に出ていた佐々木源五郎さん。
津波で船を流され、生きがいだった仕事も失いました。仮設に閉じこもりがちになり、睡眠薬や不安を抑える薬を飲むようになります.

源五郎さんが住んでいるのは、岩手県山田町の仮設住宅です。妻の春江さんと2人で暮らしています。
当初は、2、3年で仮設を出られると考えていましたが、現実は違いました。工事は進んでいるものの、住宅地の整備が終わるまで、あと1年はかかる予定です。
源五郎さん夫婦が入居予定の災害公営住宅も、まだ基礎工事の段階です。

(中心部が壊滅的な被害を受けた山田町。町全体を1から作り直す、大規模な、かさ上げが必要でした。)」

佐々木源五郎さん「朝と夜、6錠。精神を安定する薬。」
妻 春江さん
「(震災前は)かぜをひいても、かぜ薬も飲む人じゃなかった。ここ(仮設住宅)に来てから。」

佐々木源五郎さん仮設住宅にいると、体を締めつけられるような。これからどうするかなって。」

佐々木源五郎さん「さみしいよね。まだ1人で仮設住宅にいると思うと。」

妻 春江さん「不安というか自分たちだけ取り残されるような気持ち。もうここ(仮設住宅)で終わってもいいって、落ち込めば落ち込むほど、自然にそう考えてしまう。」

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3. “未来へつなぐ” 「人口の7割流出」の衝撃

www9.nhk.or.jp 2017年3月6日(月)

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鈴木アナウンサー「こちらは、NHKが被災した人たちを対象に行ったアンケートです。岩手・宮城・福島の3県のおよそ1,500人から回答を頂きました。

復興について『想定よりも遅れている』『実感が持てない』と答えたのはおよそ6割。

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復興が『進んでいる』などと答えた人は4割近くで、復興が『進んでいる』と答えた人の中で、『地域経済がよくなった』『活気が出た』という答えはわずか1桁でした。」

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(中略)

河野アナウンサー
「被災地では、人口が減る中で復興をどう進めるかが共通の課題になっています。

中でも宮城県石巻市雄勝地区は、人口の7割以上が流出する深刻な事態に直面しています。」

石巻市が造成した高台はあわせて17か所。
住民の意向をふまえて、およそ200世帯分の住宅地が集落ごとに作られました。
しかし、このうちの1つ、分浜地区では…。

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伊藤リポーター
「ここには高台移転のため、すでに6世帯分の住宅が建つ区画整理が終わっています。
しかし、住宅は1軒も建っていません。」

再建を目指していたはずの人たちが、戻っていない事態が起きているのです。震災前4,300人いた地区の人口は、現在1,000人余り。かつての4分の1にまで激減してしまったのです。
町に戻ってきた人からも不安の声があがっています。一昨年(2015年)住宅を再建した、佐藤悦子(さとう・えつこ)さん。今の町は思い描いていた状況と大きく異なるといいます。

佐藤悦子さん「5年6年たてば町並みができると思っていた。病院もない、店もない、気分転換する場所もない。わざわざ帰ってくる必要なかった。」

なぜこれほど人口が減ったのか。
震災前の雄勝地区は、海岸沿いに集落が点在する水産業の町でした。市の中心部から遠く、交通の便も良くないこの地区。震災前から高齢化と過疎化が進んでいました。
そんな町を襲った東日本大震災
多くの人が便利な街なかへ出て行く道を選びました。さらに、震災直後に行った住民への意向調査では、半数余りの人が「戻りたい」と答えていましたが、その後20%にまで減少しました。

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こうした人口の流出について、市の担当者は、復興の遅れも原因の1つだとみています。

石巻市 雄勝総合支所 佐々木正文支所長「(津波浸水域は)すべて住めない土地に変わったので高台移転を進めたわけだが、それに時間がかかるということで出て行く人が多くなったと思う。」

急激な人口減少によって、暮らしに欠かせない店も立ちゆかなくなっています。
震災後、仮設の店で青果店を営んできた佐藤美千代(さとう・みちよ)さんです。今月(3月)いっぱいで店を辞めることを決めました。

利用客「さびしい、みんな。店がなくなるとさびしい。」

利用客「やめては困るわけ、やめられると。」

自らも仮設住宅で暮らしながら、造成の続く高台への移転を目指してきました。
しかし売り上げが1日数千円という日もあり、決断を余儀なくされました。

青果店 店主 佐藤美千代さん「利用してもらってよかったのもあるけど、大変だったことは大変だった。」

常連のお客さんに、あいさつのタオルを配っています。

青果店 店主 佐藤美千代さん「このたび、店舗と行商を辞めることになりました。」

利用客「一生懸命、頑張ったもんね。」

青果店 店主 佐藤美千代さん「46年やりましたから。」

佐藤さんは、完成した高台に住宅を兼ねた店を再建する日を夢見てきました。
そして夫と2人でその未来図をノートに描いてきました。
しかし再建を果たせないまま、一昨年、夫は亡くなりました。

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ノートの表紙に書かれていた

「未来のハウス」という言葉。
心の支えにしてきたその言葉は塗りつぶされていました。

青果店 店主 佐藤美千代さん「もう少し人口多くて商売する人が戻って来れば、もうちょっと活気づくと思うけど、私自身は、もうこれが限界なんです。」

厳しい状況が続く雄勝地区。


それでも町を支えようと、地区に残ることを決めた若者もいます。30世帯が入居する高台の団地で自治会長をつとめる、阿部晃成(あべ・あきなり)さんです。

阿部晃成さん「いま正直いって希望は見えない。希望は見えないが、ここで諦めたら本当に何も無くなってしまう。なんとか食らいついていかないと。」

(中略)

阿部晃成さん「できる限り外からIターン・Uターンの人も地域の一員になれるような仕組み作りが一番大事。10年後20年後にやっと安定して“だれか働きに来ませんか”と言えるような地域づくりをやっていくしかない。」

 

 

4. 東日本大震災6年 福島/避難者覆う無理解、不寛容

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河北新報 2017年03月08日水曜日

社説|東日本大震災6年 福島/避難者覆う無理解、不寛容 | 河北新報オンラインニュース

 国が敷いた復興のレールを逸脱するのは、それほどまでに許されないことなのか。

 事故を起こした東京電力福島第1原発にほど近い福島県富岡町。町の第2次復興計画が、土壇場で変容した事実を知る人は少ない。計画策定に携わった人々は、今もやり場のない怒りを抱えている。
 全町避難という混乱の中で策定された第1次計画は、有り体に言えば、とりあえず国庫補助事業を獲得するための起案書の性格が強かった。

 その後の避難の長期化、町民要望の多様化を踏まえて編み直したのが、2015年7月発表の第2次計画だ。
 町職員は当時「事故は経済優先の結果。路線を改めないと日本が破滅する」と意気込みを語っている。町民と一緒に全国を巡った避難者意向調査は、ほぼ1年に及んだ。
 こうしてできた第2次計画は町と町民が「国にあらがうための根拠」となることを目指し、「早期帰還以外の選択」に重きを置いた。行政主導と一線を画した計画は住民自治力のたまものと言えよう。
 しかし、当事者の手を離れた後、唐突に計画の骨子にせり出してきたのは、現地復興・早期帰還方針だった。

こうした方針転換の背景に、復興庁の「強い指導」を指摘する声もある。
 富岡町民に限らず長期避難を余儀なくされた人々は「戻りたいけれど、現状では戻れない」と苦悩し続けている。
 避難住民の願いは、決して災禍をばねにした華々しい「復興」などではない。以前の暮らしを取り戻したいというささやかな「復旧」だ。

 福島県は住民の側に立つべきなのに、大規模プロジェクト誘致に似た発想で原発事故からの復興を進めようとしている、との批判がある。
 「特に福島はひどく官邸での会議の主張は、国にできるだけ多くの事業を認めてもらえさえすればよいという態度だった」。国の復興構想会議委員を務めた河田恵昭京大名誉教授は後にこう証言した。
 こうした避難住民をさいなむ「暗雲」は、市民社会にも広がってきている。
 低線量被ばくへの不安を非科学的と一蹴し、自主避難者の過剰反応が風評を助長しているとの論調は、その典型ではないか。
 科学的知見に基づく「安全」が後に覆る例は、過去にいくらでもあった。人に感染しないとされた「牛海綿状脳症」の、その後の世界的混乱を引くまでもなかろう。
 「正論」を振りかざす人は、幼子を抱いて避難生活を続ける母子避難者に「除染が進み、現在人が暮らしている場所に危険はない」と言う。「それでも信じられないものは安心できない」と訴える母の心情はくもうとしない。
 国、県、そして市民社会にある「大人の分別」を装った無理解と不寛容。原発事故から6年を経た福島の一つの断面を映していないだろうか。

 

5. 東日本大震災6年 資料

mainichi.jp

www.jiji.com

 

地震の記録 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS

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