誰も止めることなくエスカレートした虐殺・家族によっても黙殺された殺害:「山の上で何かしているけれども自分達とは関係ないと距離を置くようになっていったのです」「でも私にとって本当に悲しいのは,叔母の死ではなく,家族がずっと沈黙を続けてきたことなんです」 相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月 NHKETV特集 アンコール放映より[5]

NHKドキュメンタリー - ETV特集 アンコール▽ホロコーストのリハーサル~障害者虐殺70年目の真実 より[5]

2016年10月1日(土) 午前0時00分(60分)   再放送 

 

誰も止めることなくエスカレートした虐殺・家族によっても黙殺された殺害

参照:番組まるごとテキスト - シリーズ戦後70年  障害者と戦争  20万人の大虐殺はなぜ起きたか

 

(映像:相模原市障害者施設現場〜容疑者の搬送場面)

ナレーション相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月,容疑者は障害者を冒涜するヒトラーの思想に共感する発言をしていたと伝えられています.

(映像:ハダマー精神病院ガス室跡に花束を供えるギーゼラ・ブッシュマンさん)

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ETV 特集では,去年(初回2015年秋),ナチスドイツによる障害者虐殺を振り返り,現代に何を問いかけているのか考えました.

改めて放送します」

 

本編開始

数百万人というユダヤ人の命を奪ったナチス政権下のホロコースト

----しかし,実はナチス政権最初のガス室は,ユダヤ人を殺すためのものではありませんでした.ホロコーストが始まる数年前から,こうした精神病院にガス室がつくられ,回復の見込みがないとされた病人や障害者が殺されていたのです.-----

(ハダマー精神病院の映像)

虐殺された障害者達は20万以上.悲劇はなぜ起きたのでしょうか.

第二次世界大戦中,ユダヤ人より前に障害者が殺されていた.そのつらい過去とじかに向き合いたい.とガス室のある現場を訪ねた一人の日本人がいました.藤井克典さん.長年障害者の人権問題に取り組んできた,第一人者です.藤井さん自身,目が見えません.

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T4作戦が始まって一年,毎日殺害は続き新たに別の地域にも施設がつくられていました.その一つがドイツ中西部の町ハダマーにあります.ガス室がつくられた精神病院は今もそのまま残っています.

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藤井さんは当時のことをおぼえている人がいると聞き会いに行きました.ハダマーで生まれ育った,ハインツ・ドゥフシエーラさん(82歳),殺害が行われていた頃は7−8歳の少年でした.

ハインツ・ドゥフシエーラさん「昔はもっと木が低くて,ここから施設がよく見えました.いつも煙が見えて何だろうと噂していました.とても嫌なにおいでした」

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ドゥフシエーラさんが強烈におぼえていることがあります.それは戦争から帰ってきた兵士が言った言葉でした.

ハインツ・ドゥフシエーラさん戦場で死体が焼かれるにおいと同じだといったのです.それを聞いて大人たちはびっくりして,声をひそめて話すようになりました.満員のバスが高台に上がっていくのですが,帰りはいつもからっぽでした.施設の中はもういっぱいのはずなのにおかしい.何か妙なことが行われているのではという証拠でした」

藤井さん「住民の良心としてそれを止めようという,そういうまとまった住民の動きっていうのはやはり難しかったのでしょうか」

ハインツ・ドゥフシエーラさん「もう遅すぎました.ナチの監視システムは既にできあがり,徹底していました.今と違って当時はデモをするなど考えられない時代です.

この町の人たちはいつも受け身で『どうせどうすることも出来ない』と思っていました.山の上で何かしているけれども自分達とは関係ないと距離を置くようになっていったのです」

 大勢の医療者,近隣の住民たち,沢山の人が気づいていながら,止められなかった殺害.

 

藤井さん,ハダマーでもう一人遺族に会いました.ギーゼラ・プッシュマンさん(62歳)です.

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数ヶ月に一回,ガス室に花を手向けるために訪れているというギーゼラさん.父の妹である叔母が,癲癇(てんかん)のために,ハダマーで殺されました.

父と一緒に写る叔母ヘルガさんの子ども時代の写真が残っています.

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父より三歳年下だったヘルガさんが殺されたのは,17歳の時でした.しかしギーゼラさんは最近までヘルガさんが存在していたことすら知りませんでした

「父は一度も叔母について話したことがありませんでした.私が5〜6歳の時に,祖母のところでこの写真を見たんです.机の上にあった.これは誰なの?と聞いたら,男の子があなたのお父さんで,女の子はヘルガだって.その後,この写真は机からなくなりました.なんとなくそれ以上聞いてはいけないという雰囲気があって,私はそれから二度と聞く勇気がありませんでした」

その後も父は一度も妹のことを話題にしなかったといいます.しかし父の従姉妹が80歳を過ぎてから,ハダマーの施設に問い合わせるように言ってきました.

そこでギーゼルさんは,初めて叔母ヘルガさんが殺されていたことを知りました.

(報告書の映像:77名と共に1941年1月30日殺害)

「手紙を受け取ったとき,すごく泣きました.ヘルガは,よく犬小屋に閉じ込められていたと聞きました.とてもショックでした.(写真を見せながら)ヘルガが犬小屋に閉じ込められていたときの犬です.ヴォータンという名前のジャーマンシェパードです.ヴォータンとはゲルマン民族の神様の名前です.私はこの犬の話を聞いて育ったほど,父は自分の愛犬について,たくさん話をしてくれました.でも妹については,一言も話してくれたことがないのです.兄妹が自分の妹を忘れる,または忘れるふりをするなんて,私には理解できません」

障害者たちの殺害は恵みの死であり,社会そして家族の負担を減らすものだと国民に言い続けたヒトラーギーゼラさんはいつしか家族までもそう考えるようになっていったのではないかと疑っていました.

藤井さん「家族も差別意識が全くなくはなかったという点ではね,これは悲しいこと.家庭内差別の背景に,戦争がいっそうこれを助長した,増幅した.そこに問題の一つの本質があるんじゃないか」

こうして人々が沈黙する中すすんでいった障害者の虐殺.そんな中,ついにある人が声を上げました.それは,ドイツ北西部の町ミュンスターの司教だった,クレメンス・アウグスト・フォン・ガーレンでした

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(中略)

司教の説教から,わずかに20日,1941年8月24日,ヒトラーはT4作戦の中止を命令します.

(中略)

しかし悲劇は終わりませんでした.

(中略)

それにもう一つの驚くべき事実が明らかになりました.

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ハダマーでは,T4作戦中止命令後も薬の過剰投与,計画的餓死などの形で,殺害が続いていたのです.

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叔母のヘルガを知らずに育ったギーゼラ・プッシュマンさん.ギーゼラさんは新聞広告にあるメッセージを載せました.

「叔母が殺されたことは,私にとってとても悲しいことです.でも私にとって本当に悲しいのは,叔母の死ではなく,家族がずっと沈黙を続けてきたことなんです.それが今でも私は悲しくて仕方がないのです.

ヘルガおばさんの尊厳を取り戻し,人々の記憶に残していきたいのです

ギーゼラさんが亡き叔母にあてたメッセージです.

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ヘルガ・オルトレップ

あなたはナチスの言いなりになった協力者によって殺された.そして家族によっても黙殺された.私はあなたを忘れない

あなたの姪ギーゼラより

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ナチ政権下での障害者殺害:動機は医師や学者からの要請 /「ヒトラーのおかげで30年間私たちが夢見てきた優生思想が実現された」 相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月 NHKETV特集 アンコール放映より[4]

パーキンソン病の父を殺されたバーデルさんのケース 「相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月 NHKETV特集 アンコール放映」より[3]

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相模原市で起きた障害者施設殺傷事件からおよそ2ヶ月--- NHK ETV 特集では,去年(初回2015年秋),ナチスドイツによる障害者虐殺を振り返り,現代に何を問いかけているのか考えました.改めて放送します.アンコール放送より[ 1 ]