相模原殺傷事件公判 被害者遺族らの意見陳述 3
東京新聞 2020年2月13日朝刊より
「四回目のお正月が過ぎたのに,年賀状が書けません.“おめでとうございます”だけはどうしても」---相模原殺傷 遺族らが意見陳述1 - yachikusakusaki's blog
「好き放題言い,----あまりにひどいですね.---相模原殺傷事件公判 被害者遺族らの意見陳述2 - yachikusakusaki's blog
【殺害された男性=当時(五五)=の妹】
被告人が重度障害者について考えてきたこと,話してきたこと,実行してきたことは全く間違っています.
兄はちゃんと感情がありました.私たちが兄に伝えたいことをちゃんと分かっていました.言葉でのコミュニケーションは難しかったですが,うれしいとき,悲しいとき,びっくりしたとき,気に入らないとき,動作で全身を使って会話をすることができました.
兄としての自覚もあったし,正義感も持っていました.私たちと一緒に遊んでくれたし,家族の誕生日にはカレンダーの日付を指さしておめでとうという気持ちを表現しました.
人としての尊厳もなく殺害されていいわけがありません.
意思疎通できない人は安楽死させるとか,それが世界平和につながるとかいった考えは全く理解できませんが,被告人なりに考えた末に到達した考えだと思っていました.
しかし,被告人が言っていることを聞いてみると,単なる思いつきだったと思いました.兄はさぞ無念だっただろうと悔しい気持ちでいっぱいになりました.
被告人のことも,偏った考えも絶対に許すことはできません.
【職員の女性】
担当していた「にじホーム」では五人が亡くなりました.
毎日頑張って歩行していた甲Fさん.いつも明るく話し掛けてくれた甲Gさん.最初は食事をたべてくれず表情は硬かったけれど,だんだん笑顔を見せてくれた甲Hさん.朝起きるのが早く,いつも早朝は食堂で過ごしていた甲Iさん.寝付けない夜は一緒に過ごしたこともあった甲Jさん.
就寝中に突然刃物で刺され,どれほど痛かったでしょうか.
「こいつしゃべれるのか」と聞かれ,正直に「しゃべれません」と答えると利用者は刺されました.私の答えで利用者の方の命が奪われてしまったと思いました.
私も怖かった.少しでも抵抗すれば殺されてしまうかもしれない.自分の子供たちの顔が浮かんできました.
腕力があれば犯行を止められたかもしれない.施設内外連絡できれば犠牲者を減らすことができたかもしれない.悔しさは今でも消えませんが,恐怖に捕らわれた私には「しゃべれます」「やめてください」などと言うだけで精いっぱいでした.
事件後,心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患いました.眠れなくなり,何度も事件の夢を見ました.涙が止まらない日も続きました.通院の頻度は減りましたが,今なお続けています.職場復帰は時短勤務から始め,段階を踏んで勤務時間を増やしました.夜勤や遅番を含め,全ての勤務ができるまで一年半かかりました.
被告人は一貫して自分の考えは間違っていないと言うばかりでした.悲しく,切なくなりました.
この人は社会で生きていてはいけない人なんだとあらためて思いました.
せめて被告人には,自分の命を失う最後の瞬間まで,命の尊さ,大切さと向き合ってほしい.
【殺害された女性=当時(四〇)=の母】
植松被告には死刑を望みます.障害者だから命を奪うなど絶対に許されることではありません.
娘はまだまだ生きて,両親,弟とゆったりとした時間を過ごしたり,好きな揚げ物やピザ,プリンを食べ,大好きなコーヒーを飲んだりして笑顔を振りまいてくれたでしょう.
笑顔は周囲を幸せな気持ちにしてくれました.
親の体力の衰えで,三七歳で入所.お嫁に出すような気持ちでした.
帰宅するときは声を出して笑い喜んでくれました.自宅ではまずコーヒーを飲み,いつもお気に入りのソファで座ります.
何げないこんなことが娘にも家族にも喜びでした.今は毎朝,写真にコーヒーを供えてあげることしかできないのです.
娘の笑顔に会いたい.
遺族「極刑でも軽い」 相模原殺傷 死刑求刑
東京新聞【社会】2020年2月18日 朝刊
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202002/CK2020021802000124.html
「極刑でも軽い」「未来を全て奪われた」-.横浜地裁で十七日にあった相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら四十五人が殺傷された事件の論告求刑公判.検察側が植松聖(さとし)被告(30)に死刑を求めた法廷には,遺族らの悲痛な訴えが響いた. (土屋晴康,杉戸祐子)
殺害された十九人で唯一,名前で審理されている美帆さん=当時(19)=の母親が初めて出廷し,意見陳述した.遮蔽(しゃへい)されて姿は見えなかったが,「あなたが憎くて憎くてたまらない.八つ裂きにしてやりたい.極刑でも軽いと思う」と怒りをぶつけた.
生前の美帆さんについて「笑顔がとてもすてきで,周りを癒やしてくれました.ひまわりのような笑顔でした」と一言一言かみしめるように話した.遺体との対面を振り返った際は「いつも温かい子がその時はすごく冷たくて冷たくて.一生忘れることができない冷たさでした」と涙声になった.
被告人質問で植松被告が「(美帆さんの)お母さんのことを思うと居たたまれない」と語ったことにも触れた.「むかつきました.一ミリも謝罪された気がしません.冗談じゃないです.美帆にはもう会えないんです」と語気を強めた.
法廷は静まり返り,遮蔽された遺族や家族の席からすすり泣く声が聞こえた.植松被告はほとんど表情を変えず,前を見ていた.
また,遺族や被害者家族十二人を代表して意見を述べた弁護士は「死刑は当然」とした上で,社会の中に被告の独善的な考えに理解を示す反応があることに懸念を示し,「障害があって生まれた,病気で働くことができない,そうなって社会から排除される世界は,幸せな社会といえるでしょうか」と疑問を投げ掛けた.「命の価値に優劣はない.社会の在り方に対する犯罪として考えてほしい」と訴えた.
閉廷後,事件で重傷を負った尾野一矢さん(46)の父親剛志(たかし)さん(76)は「遺族や被害者家族全員が死刑を望んでいた.(死刑求刑は)『当然』の一言」と淡々と語った.
姉=当時(60)=を殺害された男性(61)は「意見陳述などで言い切れなかったことを検察がくみ取ってくれた」と話した.
東京新聞 2020年2月18日 朝刊
東京新聞【社会】2020年2月18日 朝刊