相模原殺傷事件公判 被害者遺族らの意見陳述 1
東京新聞 2020年2月13日朝刊より
【殺害された男性=当時(四三)=の母】
息子が亡くなって四回目のお正月が過ぎたのに,年賀状が書けません.「おめでとうございます」だけはどうしても書けません.
息子はお正月には毎年自宅に戻ってきて,箱根駅伝を見て一緒に笑いながら過ごす時間はとても幸せでした.
私は被告に息子を奪われ,幸せも奪われたのです.
息子とはキャンプや海,美術館などに行ったり楽しい思い出がたくさんあります.息子の笑顔は本当にかわいくて,私や家族を幸せにしてくれました.
夫が亡くなり,体の大きい息子に力でかなわない私は,二〇〇四年七月に息子をやまゆり園に入所させました.
私は息子に社会参加してもらいたかったので,養護学校へ十二年間一緒に電車で通学しました.卒業後は作業所で働き,給料をもらっていたこともあります.
息子は言葉こそ出ませんでしたが,周りの言うことを理解して行動できました.
どうして被告はこんなことをしたのか.私は毎回,裁判所に足を運びました.
分かったのは,被告人が,息子が誰か,どんな子なのか分からないのに,刺してしまったことだけでした.息子は,被告人が逃げる途中に,たまたま入った最後の部屋で,無差別に殺されたとしか思えません.
被告人は面会に来ない家族もいると言っていましたが,体調の関係で面会に来たくても来られない家族もいます.
誰でも,高齢になれば,認知機能が衰えたり会話が難しくなるかもしれない.誰だっていつ障害者になるかもしれないのです.
障害者だって一人の人間なのに,理解できず勝手に思い込んで命を取るなんて,ただただ悔しいです.
裁判では,被告人の偏見に同調するような友人の言葉もありました.
私はこんなことが二度と起こらないように,障害者の姿をもっと世間の人たちに知ってもらいたい.
その人たちがもっと生きやすい社会になるようにしてほしいです.
被告人は「障害者は不幸をつくる」と言っていますが,不幸をつくったのは被告です.息子は不幸なんてつくっていません.いつも幸せをつくっていました.
大変なときもありましたが,苦労と不幸は違うのです.
私は,息子を返してほしい.息子にもう一度会いたいです.
【殺害された男性の姉】
重度障害者本人やその家族が不幸でないとは断言できません.健常者と同様に不幸な人も幸せな人もいるのだと思います.
しかし.植松(被告)の起こした,殺人という行為に納得や共感をする人はいないであってほしいです.何かのきっかけで社会的に弱い立場になった時に,植松(被告)のように一線を超えてしまうかもしれない.
どんな事情,動機があるにせよ,これだけの人間を殺傷して許されるようなことは決してあってはならないと思うのです.
【負傷した男性の姉】
息子は,首を刺されてケガをしました.いつも通りジュンと呼んで話をします.
生まれてすに障害があると分かりました.「この子にはこの子の役目があって生まれた」.医者からいわれたことを常に心に留めて生きてきました.
ジュンは目が見えず耳も聞こえたいにもかかわらず,自分で洋服のボタンを留めたり,バナナの皮をむいたり,靴を履いたり,ヨーグルトのふたも開けられます.自分の名前は言えませんが,表情や手ぶりで気持ちを伝えてきます.
犯人は重度障害者を「不幸をつくる」存在だと言いますが,そんなことはありません.私や周囲の人を人間的に成長させてくれました.私とジュンは,日々,小さな幸せを感じて生きてきたのです.
私たちのことを理解してもらおうとは思いません.しかし,私たちの人生を決める権利はあなたにはありません.犯人のことは絶対に許すことはできません.