ご近所の公園・路地で春探し2 昨日歩いた腰越地区には寺院もたくさんあります.その内の一つ宝善院には早咲きの桜が満開.その後の路地散策で出会った花は,マーガレット,ムラサキハナナ,ハナニラ,カラスノエンドウ-----そしてタンポポ. 多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふひとのあれかし 若山牧水  目のまへにふんわりとたんぽぽのわた毛くづれず丸さを保つ 長澤美津  たんぽぽも藜(あかざ)も潮に硏がれゐて痩せつつ海に傾ける路地 生方たつゑ

昨日の「ご近所の春探し」後偏です.

この度の引っ越し先,藤沢市になりますが,今回歩いた路地は鎌倉市の西のはずれ,腰越になります.

腰越地区には,旧鎌倉市内に負けない密度で寺院があります.現在は小さな門構えのものが多いのですが,かつてはかなり大きなお寺も.

腰越地区の寺院(Google

その内の一つの宝善院に立ち寄りました.

創建は天平神護年間(765年~767年)とされているお寺ですが,明治の廃仏毀釈以降かなり寂れてしまったとのこと.

https://www.yoritomo-japan.com/page139hozenin.htm#google_vignette

境内は狭いながらもきれいに整備されていて,ガーデンシクラメンが沢山植えられていました.

ソメイヨシノはまだ固い蕾の状態でしたが,早咲きの桜も植えられていて,一本は満開,もう一本は散りかけていました.


お寺を出てまた路地の春探しへ.

椿の花は今が最盛期,ビワの木には小さな実がついていました.

黄色い花は,PictureThisによれば,アフリカ原産のジャノメクンショウギク.通常は5月〜7月開花とありましたが,寒咲の品種でしょうか?

赤い花はマーガレット.

ヤグルマギク(?)とパンジービオラ?).

ハナニラとキバナカタバミ(オオキバナカタバミ

ムラサキハナナ.

春の野に多いカラスノエンドウ

住宅地ではあまり見かけません.

オニタビラコとスズメノカタビラ.

そして,タンポポ.今回の春見つけでは,出会ったのは一回だけでした.

他の草の合間から覗いているので,葉が見えず,判定にはPictureThisの助けが必要でした,

 

多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふひとのあれかし  若山牧水 路上

 

目のまへにふんわりとたんぽぽのわた毛くづれず丸さを保つ  長澤美津 往来

 

たんぽぽも藜(あかざ)も潮に硏がれゐて痩せつつ海に傾ける路地  生方たつゑ 紋章の詩

 

たんぽぽは絮(わた)となりて風に舞ふ亡き友恋ふる忍路(おしょろ)の浜に  木俣修 昏々明々

 

雨霽(は)れてつよき陽のなかたんぽぽの花のつむ葉のしなしなと揺る  田谷鋭 乳鏡





ご近所の公園・路地で春探し1  隣の公園を覗いてみるとハルノノゲシの花.ご近所の路地と公園の春探しに出かけました.出会つた花は,ヒメツルソバ,ナズナ,オニタビラコ,キュウリグサ,タネツケバナ,オキザリス,そして,ホトケノザ. 春の野のなづな清白(すずしろ)花に咲けど仏の座こそあはれなりけれ 尾山篤二郎  仏の座石をめぐりてはな咲けり唇形(しんけい)ひらくさまも羞(やさ)しく 生方たつゑ  なにもかも私の籠に摘みたくてナズナ・スズシロ・修羅・ホトケノザ 田中あつ子

昼すぎに,隣の小さな児童公園に出てみると,コンクリートの塀との合間に黄色い花が.タンポポかと思いましたが,花も葉もやや違う.

多分ハルノノゲシ.こちらも咲きはじめるのは春です.

 

鎌倉でちょっとした用事があったのですが,後日ということにして,ご近所で春探しをすることにしました.

強い味方,PictureThisで確かめながら.

 

まずこの児童公園には---

 

ヒメツルソバナズナ(ペンペン草)の花.

オニタビラコキュウリグサ

タネツケバナの花.そしてサンゴジュの芽.切り株から出てきているので,萌芽更新の初期の芽にあたりますね.公園課の職員さんが手入れしたのに,このままでは,今年はかなり伸びてしまいますが---.

 

セキレイも公園で餌探し.ハクセキレイ

(前回見た時,セグロセキレイ?と記載したものと同種.ハクセキレイセグロセキレイの見分け方,改めて調べてみました.)

 

路地を少し入った,別の小さな公園には,キンモクセイが植えられていて,美しい芽を出していました.

 

その先の小さな寺院のツワブキ冬の花は,タンポポのような種になっていて,一部は既になくなっていました.風にのっていったのでしょう.

栽培種のオキザリスカタバミ属).

葉ぼたんは,春の日を受けて,薹がかなり高くたっていました.

空き地をかなり広範囲に占領していたのは,ホトケノザ.はじめに児童公園で見たものはまだ蕾でしたが,こちらは既に開花.

 

春の野のなづな清白(すずしろ)花に咲けど仏の座こそあはれなりけれ  尾山篤二郎 平明調

 

仏の座石をめぐりてはな咲けり唇形(しんけい)ひらくさまも羞(やさ)しく  生方たつゑ 浅紅

 

なにもかも私の籠に摘みたくてナズナスズシロ・修羅・ホトケノザ  田中あつ子 寒昴

 

 

https://www.researchgate.net/figure/Phylogeny-of-Lamiales_fig4_333184758

 

椿を詠んだ短歌3  昨日見た,私が美しいと思う妙本寺の椿.神代植物園の椿の中では「翁更紗」という品種とよく似ています.白地に赤のストライプタイプが私の好みのよう.落せるは八重のくれなゐ椿木のこころゆるびをひと日問ふなり 春日真木子  青椿つぼみ隠(こも)らふ八十葉むら浄(きよ)らに冬の沈黙深し 馬場あき子  昼さむく生者のなかにゐるわれや耿耿(かうかう)として椿いちりん 雨宮雅子  その情そのくれなゐの重くして椿一夜に根方を埋む 稲葉京子 

私の好きな,妙本寺の椿.

 

品種名はわかりません.

神代植物公園で観賞できるツバキ」として掲載されている25品種の中では

https://www.tokyo-park.or.jp/special/botanicallegacy/ja/about/kind/camellia/index.html

f:id:yachikusakusaki:20161223005946j:plain

次の二つと似てはいます.特に翁更紗とはそっくり.

神代植物公園で観賞できるツバキ」の中では,この二種が一番気に入っています.

おんめ様にある品種の中では,次のものが好み.やはり白地に赤のストライプの入った品種(名札がみえなくなっていました).



椿は,ツツジ目ツバキ科ツバキ属の植物.

ツバキ属には他にチャノキ,サザンカ

ユキツバキはヤブツバキと別種とされていますが,亜種/変種とする見解もあるとのこと.

ナツツバキ(シャラ),ヒメシャラは別属になります.

 

椿を詠んだ短歌3

(古今短歌歳時記より)

 

落せるは八重のくれなゐ椿木のこころゆるびをひと日問ふなり  春日真木子 あまくれなゐ

 

青椿つぼみ隠(こも)らふ八十葉むら浄(きよ)らに冬の沈黙深し  馬場あき子 月華の節

 

昼さむく生者のなかにゐるわれや耿耿(かうかう)として椿いちりん  雨宮雅子 悲神

 

その情そのくれなゐの重くして椿一夜に根方を埋む  稲葉京子 槐の傘

 

とどまらぬ時のかたみか水の上に音して泛(う)かぶ紅(こう)の椿は  田中美智子 時のかたみ

 

 

http://www.mobot.org/mobot/research/apweb/orders/ericalesweb.htm



 

椿を詠んだ短歌2  椿を求めて,鎌倉大巧寺(おんめさま)と妙本寺へ行って来ました.おんめ様の境内には,沢山の種類が植えられています.また,妙本寺には,鎌倉で最も美しいと私が勝手に思っている椿があります. 白椿そのあざらけし黄の蕊(しべ)に手触れつつわれのこころ妖し 坪野哲久  椿一枝(いっし)おく空席を探さむに気配けはしき聖晩餐図 塚本邦雄  貧寒の生にはあらずわれの掌(て)に鋏鳴り白玉椿一枝 富小路禎子  落椿くれなゐくらき地の上を雷は東に射抜きてゆけり 角宮悦子

今日は快晴.椿を求めて,鎌倉大巧寺(おんめさま)と妙本寺へ行って来ました.

 

藤沢へ引っ越して初めてのおんめ様.

ちょうど利休梅が咲き始めたところ.最も好きな花の一つです.

 

おんめ様の境内は狭いのですが,沢山の種類が植えられています.また,妙本寺には,鎌倉で最も美しいと私が勝手に思っている椿があります.

先日の大船フラワーセンターの椿が,期待をやや下回っていたので,引っ越し手続きのついでに,この三年間最も足繁く通った寺院に足を伸ばした次第.

 

次の画像は初めの一組がおんめ様,後の二組が妙本寺の椿.妙本寺の二組目の椿が私が勝手に「鎌倉一」と思つている花になります.

 

 

以前にも書いたように,また,多くの方に知られているように

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2016/12/23/020236

の木と書いて椿ですが,漢語の「椿」はチンでチャンチンを表す漢字.

椿 チン :ちゃんちん。香椿チヤンチン。センダン科の落葉高木。材はかたく、器具をつくるのに用いる。(角川新字源)

https://www.uekipedia.jp/落葉広葉樹-タ行/チャンチン/

日本語のツバキにこの漢字を用いるのは,次の

新字源「国訓」のうちの②:「漢字の,中国での用法に合致しない,日本でのよみ方」

の用法であることはよく知られています.

こっ‐くんコク‥【国訓】 日本国語大辞典
①漢字のよみとしてあてられている国語。「山」を「やま」、「白」を「しろ」とよむ類。訓。和訓。よみ。〔漢字要覧(1908)〕
②漢字の、中国での用法に合致しない、日本でのよみ方。中国で、「ゆるす。かねを払わずに借りて買う」の意味の「貰」を「もらう」とよむなどの類。

中国で椿は「山茶」.日本ではサザンカを表す漢字に用いられていますね.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2016/12/03/002822

 

椿は,材や種子(⇨搾油する)が縄文時代から利用され,花は貴族に愛され,万葉集にも詠まれました.

あしひきの八つ峯(を)の都婆吉(ツバキ)つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君  大伴家持

園芸化が急速にすすんだのは室町時代以降とされています.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2016/12/23/020236

https://www.tokyo-park.or.jp/special/botanicallegacy/ja/about/kind/camellia/index.html

「ツバキは、日本(本州以南)に自生する植物で暖地・沿岸部にヤブツバキ、積雪地帯にユキツバキが見られます。

種子(椿油)や材は今から2300年以上前の縄文時代から人々の生活に利用され、花も古くから貴族に愛され日本書記(685)にツバキを天武天皇に献上した記録があります。室町時代以降(1338~)武士に価値を見出されツバキが庭園、華道、茶道で使われるようになり園芸化が進みます。

江戸時代、徳川将軍家は、初代家康から3代続いて花好きでした。とりわけ2代秀忠はツバキを好み、諸大名らに広がり「寛永のツバキ」(1624)の流行が起こりました。

https://www.tokyo-park.or.jp/special/botanicallegacy/ja/about/history/index.html

また、江戸時代後期には、プラントハンターやシーボルトに紹介され、1830年頃冬のバラとしてヨーロッパで日本のツバキのブームが起こりました」

 

椿を詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

 

赤椿はやちの中に光りけりピアノの止みしそのたまゆら  中村憲吉 林泉集

 

つばきの首だけが膳に置かれたり花の懸念をかへてゐにけり  加藤雅之 新風十人

 

白椿そのあざらけし黄の蕊(しべ)に手触れつつわれのこころ妖し  坪野哲久 胡蝶夢

 

白椿おぼろに見ゆる裏庭や硝子くぐもりて寒き朝々  佐藤佐太郎 しろたへ

 

椿一枝(いっし)おく空席を探さむに気配けはしき聖晩餐図  塚本邦雄 天變の書

 

貧寒の生にはあらずわれの掌(て)に鋏鳴り白玉椿一枝  富小路禎子 透明界

 

落椿くれなゐくらき地の上を雷は東に射抜きてゆけり  角宮悦子 銀の梯子

 

椿を詠んだ短歌1 大船フラワーセンターには,沢山の椿の品種をあつめた一角があります.椿の花は大好きなのですが,傷ついた花が多いのがやや残念.赤角倉という品種のみが,傷のない見事な赤花を咲かしていました. あしひきの八峰(やつを)の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君 大伴家持  とやかへる鷹尾山(たかのをやま)の玉椿霜をば経とも色はかはらじ 大江匡房  積藁の上に大樹の山椿丹念に落す花深紅なり 北原白秋  静かなる椿の花よ葉ごもりに咲きて久しき椿の花よ 若山牧水

昨日立ち寄った大船フラワーセンター.

ビオラや菜の花が咲き乱れ,春を感じさせてくれました.

蜜蜂も蜜集め・花粉集めに大忙し.

 

春の花でありながら,私はなぜか春をあまり感じないツバキ.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/02/20/000841

でも花は大好きです.

 

新しく生み出された品種が展示してありました.椿の人気は未だ衰えていないことを示しています.

同じツバキ科ツバキ属の金花茶交配品種も.

 

大船フラワーセンターには,椿の品種を多数あつめたコーナーがあります.展示の仕方が悪くて目立ちませんが.

椿の花は大好きなのですが,残念なのが,花弁の縁が黒ずんでしまった花がいつみてもかなり多いこと.完璧な花はバラに匹敵すると思うのですが.

沢山の椿が咲いていたのですが,傷のない花は,今日もわずか.赤角倉(あかすみのくら)という品種のみが,傷のない見事な赤花を咲かしていました.

 

 

 

椿を詠んだ短歌1

(古今短歌歳時記より)

 

あしひきの八峰(やつを)の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君  大伴家持 万葉集 巻二十 7781

(楽しい万葉集

山の峰々に咲く椿ですから,じっくりと眺めても飽きることがありませんね.この椿を(庭に)植えたあなた様.)

 

君が代は白玉椿八千代ともなにか数へむかぎりなければ  藤原資業 後拾遺集

 

とやかへる鷹尾山(たかのをやま)の玉椿霜をば経とも色はかはらじ  大江匡房 新古今集

 

かがみ山みがきそへたる玉椿影もくもらぬ春の空かな  藤原定家 拾遺愚草

 

朝庭を光り騒がせ吹く風に乙女椿のしきりに落つる  窪田空穂 青朽葉

 

積藁の上に大樹の山椿丹念に落す花深紅なり  北原白秋 雲母集

 

静かなる椿の花よ葉ごもりに咲きて久しき椿の花よ  若山牧水 黒松

 

心 ふと ものにたゆたひ,耳こらす.椿の下の暗き水おと  釈迢空 海やまのあひだ

寒桜を詠んだ短歌  晴れた空に誘われ大船フラワーセンターへ.染井吉野はまだ開花しませんが,早咲きのさくらに会うことができました.大寒桜,玉縄桜,寒緋桜.玉縄桜にはメジロ・ヒヨドリが集まっていました. 寒ざくら表面(うわべ)の恋と人も云え佯(いつは)りて散るものならなくに 与謝野晶子  緋寒桜めざむるばかり散り敷きてなおし咲きをり花のくれなゐ 宮崎智恵  寒ざくら空の光をあつめたる水の反射の奥にひそけき  土屋克夫  寒桜ひらきてさむき空の下我を呼ぶ声の谺きえずも 石川不二子

今日は,カーテンを購入するために,大船ニトリへ.かなりの大型店舗で,品揃えも豊富.

カーナビ任せにしたところ,JR大船駅前を通るルートがしめされて---パーキングには入れず(右折できない)---

次回からは,必ず県道21号経由で行くことにします.

 

気持ちのよい青空に誘われ,帰り道,大船フラワーセンターへ寄り道.

花壇は,ビオラをまとめ役にして,早春の花々が咲き誇っていました.

菜の花は,今が満開.

 

大船フラワーセンターには沢山の梅の品種が揃えられていますが,花を最後までつけていたのは,「武蔵野」という豊後系園芸品種.

 

染井吉野のつぼみはまだまだ固いものでしたが---

 

桜には早咲きの品種があり,

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2023/02/08/234854

園内の所々に植えられていて,楽しむことができました.

 

大寒桜:「カンザクラ」よりやや遅咲きで,花は淡紅色の一重咲きで大輪.埼玉県の安行市(現在は川口市)で発見されました」とのこと.

同じ大寒桜でも色は様々なようで,こちらの「実生」としている花は,淡紅色というより紅色に近い色で,遠くからでも目立っていました.

 

園内に何本も植えられていた早咲きの桜は「玉縄桜」

メジロの大好物の花なのか,単に一番目立っていたせいか,多いものでは一株に6〜7羽集まってきていました.

ヒヨドリもやって来ていました.こちらも蜜が好きな鳥なんですね.

 

名札がつけられていない桜も.

 

こちらには,「寒緋桜」としっかり書かれていました.

 

寒緋桜の八重の園芸種も:まめざくら「雪嶺」

 

 

寒桜を詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

寒ざくら表面(うわべ)の恋と人も云え佯(いつは)りて散るものならなくに  与謝野晶子 与謝野晶子全集—やまのしづく

 

谷の上に枝さし張れるひともとの冬木のさくらありてみにけり  半田良平 幸木

 

寒ざくら空の光をあつめたる水の反射の奥にひそけき  土屋克夫 冬暖

 

緋寒桜めざむるばかり散り敷きてなおし咲きをり花のくれなゐ  宮崎智恵 花鏡

 

寒桜ひらきてさむき空の下我を呼ぶ声の谺(こだま)きえずも  石川不二子 牧歌 

春の嵐を詠んだ短歌  こまごましたものの置き場所を決めるだけで何時間もかかってしまう引つ越し後の片付け.ひとまず休んで買い物に--- と外へ出てビックリ.嵐でした.  春の嵐吹きて小暗(おぐら)し庭のうへの胡桃(くるみ)の幹は揺すれつつあり 島木赤彦  春のあらし 静まる町の足(ア)の音を 心したしく聞きにけるかも 釈迢空  吹きとよむ春の疾風にもまれつつ閃々(せんせん)としろし山の辛夷は 杜沢光一郎  病める目を凝らさむとゐつ日もすがら春の嵐に白蓮ひかる 成瀬有

引っ越してそろそろ二週間になるのに,未だ片付く気配がない.組み立てていない家具.本は段ボールのまま.こまごましたものの置き場所を決めるだけで何時間もかかってしまう----

 

ひとまず休んで買い物に---

と外へ出てビックリ.嵐でした.

以前の家なら外の様子はすぐわかったのですが,鉄筋の中からは,晴れていないことはわかっても,風雨の強さは全くわからない.

 

傘も役立たずで,ジーンズは膝下まですぐにびっしょり.

濡れついでと,江ノ島を見に行きました.

さすがに浜には,人っ子一人いません.海にサーファーが一人見えるだけでした.

 

春の嵐」と呼ばれている気候.

https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201304/2.html

「日本付近に北から入り込んでくる冷たい空気と南から流れ込む暖かい空気がぶつかりあって上昇気流が生まれることで、温帯低気圧が急速に発達するため」

 

予想の最大瞬間風速は35メートル!?(ここまでは上がらなかったようですが)

https://www.jma.go.jp/bosai/weather_map/

https://tenki.jp/forecaster/r_fukutomi/2024/03/12/27869.html

20メートルに近い風が吹いたようです.

https://www.data.jma.go.jp/stats/data/mdrr/wind_rct/index_mxwsp.html

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000340604.html



春の嵐を詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

春の嵐吹きて小暗おぐら)し庭のうへの胡桃(くるみ)の幹は揺すれつつあり  島木赤彦 氷魚

 

春あらし吹きのよわりに濁りたるみ空はるけく鴨のなくこゑ  吉植庄亮 開墾

 

春のあらし 静まる町の足(ア)の音を 心したしく聞きにけるかも  釈迢空 海やまのあひだ

 

春あらし樹木の光りて塀のうへにくだれる鴉(からす)啼かざりにけり  中村憲吉 林泉集

 

荷造りてトラックにある棕櫚の梢(うれ)春の疾風に吹き撓(しな)ふ見つ  田谷鋭 乳鏡

 

吹きとよむ春の疾風にもまれつつ閃々(せんせん)としろし山の辛夷  杜沢光一郎 黙唱

 

病める目を凝らさむとゐつ日もすがら春の嵐に白蓮ひかる  成瀬有 流されスワン

春の海/春潮を詠んだ短歌2  気持ちのよい青空が広がる1日.片瀬から七里ヶ浜まで歩いてみました.鳩,烏,鳶が舞い,集う人たちは思い思いに春を満喫.浜辺に絵を描く乙女,尺八を吹く老サーファー,わかめを拾うご近所の方---  春潮の岩をめぐりてたつる音沓(くら)き思のなしとはなくに 大岡博  春潮のあらぶるきけば丘こゆる蝶のつばさもまだつよからず 坪野哲久  春の海みんと尾根みち往くほどに相模のうみのけぶりつつみゆ 島田修二  玄海の春の入江は潮満ちて波ひとつまたひとつもみあぐ 阿久津英

一昨日,昨日に続いて,今日も気持ちのよい青空が広がる1日でした.

観光客には評判の悪い鳶の群も.

少し江ノ島寄りに移動すると,今日も富士山が,

浜には,ハト.何を啄んでいるのか,カラスと交代で浜に降りてきていました.

 

三人組で,浜辺にお絵かき.快く写真に収まってくれました.


気持ちのよい日は,描きたい想いがつのるのか,浜のキャンバスは大盛況.ハングルも交えて.

 

腰越漁港の先には小動岬(こゆるぎみさき)があって,そこにある神社が小動神社.

早咲きの桜,そして白木蓮

江ノ島を眺めるには絶好の展望台があります.

 

小動岬を過ぎれば,七里ヶ浜になります.

春はわかめの収穫期.沢山干してありました.

波打ち際の女性.聞けば,わかめ拾いをしているとか.

養殖場はもちろん,岩について育ったわかめも採ることは禁止されているけれど,「海に漂ってくるわかめを拾うことは許されている」と言っていました.かなり立派なわかめを拾っていましたが,「小さい方が柔らかくて美味しい」とのこと.

 

浜ではしゃぐ女性たち.尺八を吹く老サーファー.海の楽しみ方は様々.

 

更に歩いて行くと,小動岬の上に富士山が再び現れました.

ここから稲村ヶ崎までは,富士山と江ノ島を一緒に見るための絶好のスポットとなります.

黒澤明の天国と地獄に出てきた場所ですね.

 

春の海/春潮を詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

 

春潮の岩をめぐりてたつる音(くら)き思のなしとはなくに  大岡博 南麓

 

鰤時(ぶりどき)をすぎて鯖季(さばどき)となりにけり日に日に青む春潮の色  岡部文夫 寒雉集

 

春潮のあらぶるきけば丘こゆる蝶のつばさもまだつよからず  坪野哲久 一樹

 

春の潮流氷をときほごす勢ひに昆布の芽を奪い去ることなかれ  長澤美津 地紋

 

三年ぶりに二人見てゐる入海に春の潮はほそく崩れをり  川野愛子 木の間の道

 

つららはや冬の骨さへゆるびつつ春潮くらき沖に対(むか)うも  馬場あき子 雪木

 

春の海みんと尾根みち往くほどに相模のうみのけぶりつつみゆ  島田修二 渚の日日

 

春潮になびく海藻を想ふとき顕(た)つおもかげもはるかになりぬ  石川不二子 牧歌

 

玄海の春の入江は潮満ちて波ひとつまたひとつもみあぐ  阿久津英 天の鴉片

春の海/春潮を詠んだ短歌  青空が望めるこの二日間でした.富士山がうつくしく見えた片瀬東浜には,波打ち際で遊ぶ親子,ひっそり昼食をとる老夫婦,そしてサーファーの姿が. かすみしく春の潮路を見渡せばみどりをわくる沖つしら浪 藤原兼実  朝なぎの海人のいさりぞ思ひやる春のうららに日はなりにけり 藤原為家  春の海いま遠(おち)かたの波かげにむつがたりする鰐鮫(わにざめ)おもふ 与謝野晶子  いつとなうわが肩の上にひとの手のかかれるがあり春の海見ゆ 若山牧水

昨日,今日は,江ノ島近くに引っ越して初めてといってよい青空が望める二日間でした.

片瀬東浜には,サーファーもかなり出ていて,波打ち際で遊ぶ親子も.

昨日の午後は,浜で流鏑馬も.私が出かけたのは午前中で,まだ準備中でした.

人混みから離れてご夫婦二人.これから昼食の様子.コンクリートの壁の下にはタンポポが.

 

江ノ島大橋を越えると見事な富士!海と富士を併せて見るならここ弁天橋脇が最高の場所の一つでしょうか.

「春の海と富士」と言いたいところですが,富士山がきれいに見えるのは冬.昨日今日は,春にしては寒い日で,冬のように空気が澄んでいたように思います.

 

夕方,買い物に行こうとふと空を見ると,迫る宵闇の空は,夕焼け.

方針変更して弁天橋まで再び.正解でした!

 

春の海/春潮を詠んだ短歌1

(古今短歌歳時記より)

 

かすみしく春の潮路を見渡せばみどりをわくる沖つしら浪  藤原兼実 千載集

 

朝なぎの海人のいさりぞ思ひやる春のうららに日はなりにけり  藤原為家 夫木集

 

よさの海の春のうらうら見渡せばとまやの庭にわかめ刈りほす  殷富門院大輔 夫木集

 

春の海やこち吹きたゆる夕なぎに霞む名残ぞ雨になりゆく  村田春海 琴後集

 

春の海西日にきらふ遙かにし虎見が崎は雲となびけり  伊藤左千夫 左千夫歌集

 

春の海いま遠(おち)かたの波かげにむつがたりする鰐鮫(わにざめ)おもふ  与謝野晶子 舞姫

 

いつとなうわが肩の上にひとの手のかかれるがあり春の海見ゆ  若山牧水 海の声

 

 

フキノトウを詠んだ短歌  蕗の薹は,日本人が春を感じる食材.毒性が報告されているにもかかわらず,何物にも代えがたい味と香り---  みづからがもて来(きた)りたる蕗の薹あまつ光にむかひて震ふ 斎藤茂吉  町中の煤(すす)ふる庭は,ふきの薹たちよごれつゝ 土からび居り 釈迢空  さきがけて地を割りそめし蕗の薹あさ黄みどりひとつを摘みぬ 長澤美津  蕗のたうほろほろにがき香さへしてさやかに吾の手につまれけり 馬場あき子

明月院で出会ったフキノトウ

もっと若い段階の花茎をフキノトウとよぶのかとも思いますが,境目がはっきりしないので,このように開花したものもフキノトウと呼ばせていただきます.

雄花と雌花がありますが,上記画像は多分雌花.

https://ja.wikipedia.org/wiki/フキ

 

 

日本国語大辞典によれば

蕗の薹:蕗の若い花茎.香気とほろ苦い味が喜ばれ、焼いたり蕗味噌ふきみそにしたりして賞味される。ふきのじい。ふきのしゅうとめ。《季・春》 〔文明本節用集(室町中)〕

 

日本人が春を感じる食材ですね.

上記辞書の用例によれば,遅くとも室町時代には広く食べられていたのでしょう.短歌に詠まれるようになるのは明治期以降のようですが.

漢字・音ともに「薹が立つ」の「薹」が使われていますが,「フキノトウで花全体を指すものと意識されていたものと思われる。」とのこと(日本国語大辞典

 

フキは

キク科 Asteraceae,キク亜科 Asteroideae,

フキ属 Petasites,フキ P. japonicus.

フキノトウには,肝毒性や発がん性がある物質が含まれているので,あまり沢山食べないよう,食べる時にはできれば湯がいてからというのがお薦めですが---

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/03/20/013711

フキ味噌の味は何物にも代えがたい---

 

 

フキノトウを詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

みづからがもて来(きた)りたる蕗の薹あまつ光にむかひて震ふ  斎藤茂吉 白き山

 

町中の煤(すす)ふる庭は,ふきの薹たちよごれつゝ 土からび居り  釈迢空 海やまのあひだ

 

庭の上に一つ萌えたる蕗の薹わが知らぬ間に妻が摘みける  半田良平 幸木

 

日を受けて開ききりたる蕗の花二つならべる二つうつくし 土屋文明 山下水

 

蕗薹(ふきのたう)のびし庭土ぬらしつつけさふる雨のあたたかく降る  結城哀草果 まほら

 

さきがけて地を割りそめし蕗の薹あさ黄みどりひとつを摘みぬ  長澤美津 車

 

幻覚に見えつつ庭の蕗の薹少年にしてわれ悲哀を持ちき  千代国一 陰のある道

 

蕗のたうほろほろにがき香さへしてさやかに吾の手につまれけり  馬場あき子 早笛

 

 

 

蕗の綿毛と種

https://ja.wikipedia.org/wiki/フキ

 

明月院で春見つけ2  人けのない明月院の後庭園では,苔が春の元気さを見せ始め,花菖蒲も芽を出していました.姫あじさいの挿し木の後方に動いていたのは猫のモーミン.春のお庭と裏山で探検中.キジバトも何羽か餌探し.帰り道の脇の川には白鷺の姿も.そして,蕗の薹にも出会いました. 日を受けて開ききりたる蕗の花二つならべる二つうつくし 土屋文明

鎌倉明月院本堂の後の庭園は,3時までは解放されています(寄付金を払う必要がありますが)

花菖蒲と紅葉の時期には賑わいを見せる庭ですが,今の季節,私の他には庭師の方のみでした.

 

春になって,苔も元気.


花菖蒲も芽を出し始めていました!

庭園の一番奥では,姫あじさいを挿し木で育てているコーナーがあります.

「毎年剪定した内から,約二百鉢,さし木を行い,新旧の更新を計ります」とのこと.

 

このコーナーの奥に,何やら動くものが.

猫でした.二年前にも出会ったモーミン.「ネコ歩き」鎌倉編のスターの一匹です.

前回は観光客のお相手の時間に出会ったので,愛嬌を振りまいてくれたのですが,

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2022/01/31/232602

f:id:yachikusakusaki:20220131231851j:plain

今日は探検中.裏山をどんどん登っていって姿を消しました.

 

この裏庭ではキジバトにも出会いました.

 

そして,明月院を出て,川沿いを歩いて行くと,行きにはいなかった,白鷺(多分コサギ).餌を求めて何回も水の中にくちばしを入れていました.

 

そして,今回の春探しの締めくくりは蕗の薹(とう).花と言った方がいいかもしれませんが.

 

日を受けて開ききりたる蕗の花二つならべる二つうつくし  土屋文明 山下水

明月院で春見つけ1  引っ越し後の後片付けから逃れて北鎌倉明月院まで春見つけに.出会った花は,椿,山茱萸,雪柳,白木蓮(蕾),柊南天,日向水木(蕾),ミモザ(切り花),紫花菜,梅,木瓜.そして,紫陽花の芽,連翹の芽.  曙のもののしめりの深ければ芽ぶける木々の立ちて静けき 若山牧水  おほかたは新芽ほぐれし梅林の日にうとき枝の白梅の花 結城哀草果  春芽ふく樹林の枝々くぐりゆきわれは愛する言い訳をせず 中城ふみ子

今日もまだ曇り空が続いた1日でしたが,引っ越し後の後片付けから逃れて北鎌倉明月院まで春見つけに.

 

北鎌倉駅を降りるとすぐにあるお寺が円覚寺北条時宗の招いた無学祖元が開祖の臨済宗円覚寺派の本山.

 

植物を眺めながら,明月院まで.明月院臨済宗建長寺派

椿と山茱萸サンシュユ).

ユキヤナギ

ハクモクレン

 

明月院総門.といっても石柱が立っているだけですが.

紫陽花の新芽も大分大きくなっています.黄色い花はヒイラギナンテン

 

ヒュウガミズキの蕾.大分膨らんでいます.花は黄色いはずですが,蕾はピンクで趣があります.

お茶席の竹垣にはミモザが飾ってありました.

 

紫花菜はどこでも元気です.大好きな花.

鎌倉の梅は終わりかなと思っていたら,まだ花をつけている梅の木がありました.右の新芽はレンギョウです.

 

 

悟りの窓の左右の生け花や飾り付けを見るのも楽しみの一つ.

 

お寺の所々にお地蔵様が安置されています.赤い花はボケ.今一番元気な花ですね.

一時晴れ間も見えた明月院裏庭園.

 

木の芽・芽ぶくを詠んだ短歌

(再録)

霞たち木(こ)の芽もはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける  紀貫之 古今集

 

朝日さす峯のつづきは芽ぐめどもまだ霜深し谷の陰草  崇徳院 新古今集

 

飛火野はまだふる年の雪まよりめぐむ若菜ぞ春いそぎける  藤原定家 拾遺愚草

 

落葉松(からまつ)の萌黄(もえぎ)の芽ぶきけぶりつつ日はたけなはとなりにけるかも  島木赤彦 切火

 

沙羅双樹芽ぶかんとする山のうへに一日(ひとひ)を居りていにしへおもほゆ  斎藤茂吉 白桃

 

曙のもののしめりの深ければ芽ぶける木々の立ちて静けき  若山牧水 黒松

 

たかだかに芽吹き光れる欅の木われはたしかに癒えたるらしき  古泉千樫 青牛集

 

おほかたは新芽ほぐれし梅林の日にうとき枝の白梅の花  結城哀草果 おきなぐさ

 

芽ぶき立つ柿の林を鳴き移るくろつぐみの声冴え渡るなり  五味保義 一つ石

 

木の芽立(きのめだち)ゆたけき庭のひとところ孟宗の藪おとろへむとす  柴生田稔 春山

 

もろ芽たつ窓あけて吾がなげかふとあたたかき夜を立てる月しろ  小暮政次 花

 

春芽ふく樹林の枝々くぐりゆきわれは愛する言い訳をせず  中城ふみ子 乳房喪失

 

旗となるわが明日なれよ芽ぐむ木にかがみて靴をみがきいるとも  寺山修司 空には本

 

木の芽立ち春さり来れど死者たちに遅れて白き人と白雲  佐佐木幸綱 火を運ぶ

春雨・春の雨を詠んだ短歌2  雨は午前中に上がりましたが,曇り空が続いた1日.雨あがりの砂浜にセキレイ,川にはサギ.海には江ノ島をバックにサーファーが.佐保姫のたつや霞のうすごろもしくしくぬらす春雨ぞふる 藤原為家  くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る 正岡子規  よべ一夜天つ春雨ゆたかに降り今朝ふかく濡れし土のいろかも 木下利玄  忍びやかにけもののよぎる束の間の移り気よ春の雨温かくふる 中城ふみ子

昨日はほぼ一日中降っていた春の雨,

今日昼前には上がりましたが,どんよりとした曇り空が続いた1日でした.夕刻,昨日同様,片瀬東浜へ.

腰越漁港近くから,江ノ島大橋まで歩いてみました.

 

腰越寄りからみた江ノ島

腰越漁港

雨あがりの砂浜をセキレイセグロセキレイ?)が,足早に歩いていました.時々止まるのは餌のため?

腰越漁港脇を流れる神戸川(ごうとがわ)には,サギ(コサギ?)が.こちらも餌を求めているのでしょうか?

そして,砂浜に横たわっていたのはウミウの死がい.何が原因で死に至ったのでしょうか?

昨日は,雨と,そして時間も遅かったため,人一人みえなかった東浜海岸でしたが,今日はサーフィンに興じる若者,集団で記念写真を撮る若者が.

 

江ノ島に流れ出る川は境川

境川城山湖から町田付近を流れてくる川で,上流域では武蔵国相模国の境界を成すというかなり重要な河川です.また,途中で合流する柏尾川は,横浜から大船を流れます.
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/ex5/river/sakaigawa.html

 

春雨・春の雨を詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)


佐保姫のたつや霞のうすごろもしくしくぬらす春雨ぞふる  藤原為家 新撰六帖

 

なほさゆる嵐は雪を吹きまぜて夕暮寒き春雨の空  永福門院 玉葉集 

 

春さめのふた日ふりしき背戸畑のねぎの青鉾並み立ちにけり  伊藤左千夫 左千夫歌集

 

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る  正岡子規 竹の里歌

 

よべ一夜天つ春雨ゆたかに降り今朝ふかく濡れし土のいろかも  木下利玄 みかんの木

 

わが門に深くつきたる砲車のあと春雨たまりて青みかかりぬ  山下陸奥 平雪

 

よろこびを抱きゐし日の蝶々の帯しめて出づる春雨しげき  宮崎智恵 花鏡

 

忍びやかにけもののよぎる束の間の移り気よ春の雨温かくふる  中城ふみ子 乳房喪失

 

 

 

春雨・春の雨を詠んだ短歌1  今日の夕方の江ノ島はかすんでいました.しとしと降る春の雨のためです.春雨と春の雨を分ける考え方もあるようですが,古来,春ふる雨を春雨と呼んだと思われます. 衣手の名木(なぎ)の川辺を春雨にわれ立ち濡ると家思ふらむか 柿本人麻呂歌集  わがせこが衣はるさめ降るごとに野辺の緑ぞ色まさりける 紀貫之  水の上にあや織り乱る春の雨や山の緑をねべて染むらむ 伊勢  花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞ降る 式子内親王

今日の片瀬東浜はしとしと雨.東浜から見ると右手が江ノ島

 

夕方の江ノ島はかすんでいました.

(鎌倉から江ノ島近くの片瀬海岸に引っ越しました)

 

左手がやはり雨にけぶる腰越漁港.

 

“今の時期の雨は,「春の雨」と呼び,3月下旬から4月頃のいつまでも続く地雨のようなしっとりとした「春雨」と区別される.”

とありましたが---.

気象用語としては区別して用いられている??

https://tenki.jp/suppl/yamamoto_komo/2019/04/11/28975.html

 

 

異なった説明もあって---

https://www.weather-service.co.jp/weathercolumn/springrain/32563/

「寒明けの雨」

:寒が明け、ちょうどその頃に降る雨.「春霙(はるみぞれ)」(雨がみぞれに変わったりボタン雪になった雨)になることも.

 

「春雨(はるさめ)」

:2月の末から3月に,雨脚が細かく、けむるように(雨・霧・霞などで辺りがぼんやりする)降る雨.「甘雨(かんう)」「木の芽雨(このめあめ)」(木の芽に雨がほどよくそそぎ、その成長を助ける雨)とも.

 

このサイトには,その他にも沢山の名前が挙げられています.

「桃花(とうか)の雨」:桃の花の咲く頃に柔らかく静かに降る雨.

「杏花雨(きょうかう)」:杏の花が咲く頃の雨.

「桜雨(さくらあめ)」「華雨(かう)」:桜の花の頃の雨.

「春驟雨(はるしゅうう)」:夏の「驟雨」に春を添えて春のにわか雨を意味

「春夕立(はるゆうだち)」:夏の激しい夕立ほどの強さはなくとも雷を伴うことがある雨

 

 

現代でこそ,色々な解説がありますが,古来,春ふる雨を春雨と呼んできたと考えておいてよいと思われます.

はる‐さめ【春雨】

日本国語大辞典

①春の季節に静かに降る雨。《季・春》

正倉院文書−天平宝字六年(762)閏一二月二日・僧正美状

「春佐米はるサメ乃 阿波礼」

①春の季節に静かに降る雨。《季・春》

正倉院文書−天平宝字六年(762)閏一二月二日・僧正美状

「春佐米はるサメ乃 阿波礼」

 

 

いずれにせよ,春の雨は,この時期特有の小低気圧がもたらす雨ですね.

今日の天気図

https://tenki.jp/guide/chart/

 

 

春雨・春の雨を詠んだ短歌1

(古今短歌歳時記より)

 

衣手の名木(なぎ)の川辺を春雨にわれ立ち濡ると家思ふらむか  柿本人麻呂歌集 万葉集 巻九 一六九六

(楽しい万葉集:名木(なき)の川辺で,私が春雨(はるさめ)に濡れていると,家族は思っているでしょうか. 「衣手(ころもで)の」は名木(なき)を導く枕詞)

 

わがせこが衣はるさめ降るごとに野辺の緑ぞ色まさりける  紀貫之 古今集

 

春雨の降るは涙かさくら花散るを惜しまぬ人しなければ  大友黒主 古今集

 

水の上にあや織り乱る春の雨や山の緑をねべて染むらむ  伊勢 新撰万葉集

 

春雨の花の枝よりながれこば猶こそぬれめ香もやうつると  藤原敏行 後撰集

 

春雨に君をやりてはあふさかの関のこなたに恋やわたらむ  凡河内躬恒 古今六帖

 

花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞ降る  式子内親王 新古今集

ベルギーチョコレートケーキ〜ベルギーチョコレートの歴史  ベルギーは,現代のチョコレートの隆盛を語る上で外せない国ですが,なぜかケーキではあまり名前が挙がってきません.Belgian Chocolate Cakeというレシピサイトはいくつもあるのですが,何故この名前がつけられているのかも解説がなく---どうやら,チョコレートケーキではベルギーはそれほど有名ではないようです.美味しそうなケーキなのですが---  ベルギーのチョコレートの簡単な歴史を紹介しておきます.

ウェブ・書籍を頼りにスイーツの歴史を調べるシリーズ35

 

ベルギー・チョコレート・ケーキ Belgian Chocolate Cake

 

ベルギーは,現代のチョコレートの隆盛を語る上で外せない国---と思っていました.

実際,ベルギーのチョコレートの歴史を解説するウェブサイトは多数見つかります.

 

ところが,なぜかベルギーのチョコレートケーキを解説するサイトはほとんど見つかりません.

「Belgian Chocolate Cake」という名前でレシピを紹介しているサイトは沢山みつかりますが---

どのレシピサイトも「Belgian Chocolate Cake」の由来についてはふれていません.

https://www.google.com/search? Traditional Belgian Chocolate cake

 

そこで,「What is Belgian Chocolate cake?」という質問を検索にかけると,

「本物のベルギーチョコレートを使用したケーキは、リッチでしっとりとした食感。チョコレートガナッシュのフィリングが層になっており、仕上げに天にも昇るようなチョコレートのチャンクが散りばめられている。このケーキは、どんな甘党の方にもきっとご満足いただけることでしょう。」

という,よくわからない答えが最上位に来ます.

しかも,これは質問コーナーの答え.誰が書いたのかもはっきりしません.

 

ベルギーはチョコレートで有名です.

しかし,ベルギーチョコレートケーキの名前は,あまり知られていないし,「本物のベルギーチョコレートを使用したケーキ」の意味でも使われている?

 

チョコレートケーキのブログの締めくくりとしては,あまり相応しくありませんが,以下に,ベルギーのチョコレートの簡単な歴史をDeepL翻訳で.

 

 

A Brief History Of Belgian Chocolate

https://theculturetrip.com/europe/belgium/articles/a-brief-history-of-belgian-chocolate

ベルギーチョコレートの歴史

ダニエル・ハント 2016年11月30日

 

ベルギーは小さく,ヨーロッパの他の国ほど知られていないかもしれないが,ベルギービールリエージュのワッフル,ブリュッセルのレース,そしてもちろんベルギーチョコレートなど,多種多様な美味しさで間違いなく有名である.

ベルギーチョコレートのクリーミーな味わいに勝るものはない.この甘いお菓子が何世紀にもわたってこれほどまでに熱狂的な人気を博したのはなぜなのか.また,やみつきになるプラリネ(プラリーヌ*)を発明したのは誰なのか.すべてはベルギーから始まった.

(*)プラリーヌ:ナッツ類にチョコレート,ココナッツ,メイプルシュガー[シロップ]をかけたり混ぜ合わせて作る2に似た菓子.

 

歴史的なつながり

17世紀,ベルギーがまだスペインに支配されていた頃,探検家たちが南米からカカオ豆を持ち帰り,ベルギーの人々に紹介した.当時,チョコレートは贅沢の象徴であり,貴族のための「ホットチョコレート」を作ったり,新しい訪問者に印象づけるために使われることがほとんどだった.

実際,チューリッヒの少佐であったアンリ・エッシャーは,1697年にブリュッセルのグラン・プラスを訪れた際,この美味しい飲み物を一杯振る舞われた.彼はすぐにこの味に惚れ込み,レシピを持ち帰り,自国にチョコレートを広めた.

スイスは現在,チョコレートの生産と流通においてベルギーの最大の競争相手とみなされている.

 

しかし,ご存知のように,チョコレートはもはや金持ちや有名人だけのものではなくなった.

ベルギーが初めて本格的にチョコレート市場に参入したのは,コンゴを植民地化し,カカオ豆が大量に余っていることを発見したときだった.レオポルド3世は,ベルギーをカカオとチョコレートのナンバーワン貿易国にした.

 

ベルギーのチョコレートを最初に地図に載せたのは,ジャン・ノイハウス(皮肉にもスイス出身)だった.

1857年,彼はブリュッセルのガレ・ド・ラ・レーヌにある薬局兼菓子店に移り住み,ダークチョコレートのプレートを販売した.

薬屋は次第に本格的な菓子店へと変貌を遂げ,1912年に最初のプラリネが誕生した.中が空洞のチョコレートの殻の中に甘いフィリングが入っているプラリネは,ジャンの孫(名前もジャン)が発明したもので,彼はプラリネを包む箱であるバロタンも発明した.ジャン・ノイハウス本店は現在も存在し,ブリュッセルを訪れたら必ず立ち寄りたい場所となっている.

 

ベルギー流スイーツ

ベルギーのチョコレートがなぜこれほど有名で,おいしくて病みつきになるのかを理解するには,その製造方法を正確に知ることが重要だ.

成功の秘訣は,チョコレートに使われる材料と,もちろん製造工程にある.

1884年に制定された法律では,低品質の脂肪源やその他の "ハック "による成分変更を防ぐため,最低35%のカカオを使用しなければならないと定められている.生産は初期段階から始まり,カカオ豆の植え方,焙煎方法,どの豆を使用するかを監督する.

 

伝統的な製造が好まれるチョコレート製造の世界には,いくつかの法律や暗黙のルールがある.

ベルギー全土に小規模で独立したショコラティエが多いのはそのためです.しかし,ノイハウスのような大手のショコラティエでさえ,ベルギー国外に進出することに成功しながらも,チョコレートには伝統的なレシピのみを使い続けており,その多くは今でもトップシークレットとなっている.