くず餅 くず餅は,かなりよく食べた和菓子ですが,川崎大師前や池上本門寺周辺などの,限られたお店にしか置いていないように思います.初めてくず餅を作ったと言われる亀戸船橋屋の作り方は「只のでん粉を使用するのではなく,地下天然水を使ってでん粉質を15ヶ月ほど乳酸発酵させ,じっくりと熟成させたものを使用する」とのこと.くず粉は使用していませんが本物の和菓子です.関西ではくず粉を使用したくず餅も売られていますが,関東のくず餅に比べると流通量は圧倒的に少ない?

くず餅は,よく見かけるように思っていましたが,わらび餅はどこでも手に入るのに,くず餅は意外と手に入りにくい.

つい最近まで住んでいた鎌倉でも,わらび餅はかなり多くの和菓子店で扱っているのに対し,

https://sarah30.com/わらび餅?station=1423

くず餅を扱っているお店はほとんどないようです.

ネット上でみつかった源吉兆庵の「鎌倉くず餅」は,現在販売がないのか,源吉兆庵のサイトには掲載されていません.

https://keikei-mile.hatenablog.com/entry/2019/02/26/231531

 

「よく見かけるように思っていた」のは,以前,川崎大師前のくず餅を,必ず持ってくるお客様がいたせいだと思います.

https://kuzumochi.com/

川崎大師前と同じぐらいくず餅のお店が並ぶことが知られているのが池上本門寺周辺とのこと.

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO22621140U7A021C1NZ1P01/

 

よく知られているように,関東地方でよく食べられるくず餅は,葛の根から採られるくず粉を用いたものではありません.

初めてくず餅を作ったと言われるのが,亀戸近くに店を構える船橋屋.

「亀戸近くは小麦の産地で原料がたやすく入ったため小麦でん粉を使って工夫した.只のでん粉を使用するのではなく,地下天然水を使ってでん粉質を15ヶ月ほど乳酸発酵させ,じっくりと熟成させたものを使用する」とのこと(事典和菓子の世界 岩波書店

この独特の食感を持たせるための技術は生半可ではない.

 

ワラビでん粉を使用していないわらび餅が偽物というわけではありません.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2024/04/06/235345

同様に,くず粉を使用していないくず餅は,伝統の技術に支えられた本物の和菓子.くず粉を用いないくず餅の本物度はわらび粉を用いないわらび餅以上?

 

なお,くず餅にも,葛でん粉を使った商品があり,主に関西地方で売られていますが,ネット検索するかぎり,商品としての流通は,小麦粉を用いたくず餅に比べ,圧倒的に少ないように思います.葛桜はかなりよく見かけますが---

https://macchamilk.com/kamekudo_kuzumochi_shiro/

https://www.google.com/search?葛桜 名店

 

 

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO84578370Z10C15A3AA1P00/

 

くず粉の作り方

https://nakasyun.ocnk.net/page/3

 

クズ

 

連休初めての晴れた日,初夏へ向かう季節を感じさせてくれる陽射しでした.海を眺めに小動岬まで.途中出会った麦仙翁は,例年連休に花をひらく可憐な花.今年は諦めていたのに出会えてちょっと感激.江ノ島をながめ,腰越漁港により,片瀬東浜の人出の多さを確かめて,帰りにはかしわ餅を購入.連休を味わいました.みどり子のおひすゑいはふかしは餅われもくひけり病癒ゆがに 正岡子規  窓近くつばめ飛びかふ五月ばれ厨(くりや)にをりてかしは餅つくる 三苫京子

連休初日の昨日は小雨交じりの曇りでしたが,今日は一転,暖かな日ざしが降り注ぎ,初夏を感じさせる1日でした.

午後は,海を見ようと,小動岬までぶらっと散歩.

少し大回りして腰越の裏道を抜けていくと,麦仙翁の花に出会いました.この何年か,毎年育てていて,連休の前後に必ず花を咲かせてくれた大好きな花.庭のない家に引っ越し,今年は諦めていた中,嬉しい出会いでした.

同様にわが家の庭にあったビワも実をつけていました.鳥が食べるのか,丁寧に袋をかけてありました.

 

以下は,名前をほとんど聞いたことがなかった花たち.それぞれなかなか美しい.

 

小動神社は源頼朝の家臣,佐々木盛綱近江国八王子宮を勧請したのが始まりだといわれていますが,現在の名前は明治時代のものとのこと.

https://www.trip-kamakura.com/place/japanheritage/176.html

ただし,”小動(こゆるぎ)の由来は、風もないのに揺れる松があったことに武将の佐々木盛綱が「小動の松」と名づけたことから”との記事がありました.

http://www.nikaido-kamakura.net/data02/247/247.html

葉ぼたんの花もなかなかかわいらしいと思います.

本殿に加えて,

四つのお社を祀ってあります.

江ノ島を見るのなら,鎌倉一の展望台.

 

小動岬の直ぐ隣が腰越漁港です.釣り船が沢山あって,かなりの人気です.ちょうど帰ってきた釣り客が,釣果を披露しているところに出会いました.

 

片瀬東浜は,夏近しを思わせる賑わい.サーファー以外にも水着姿も見られ,どの顔もはしゃいでいるように見えました.

帰りに,近くの和菓子屋で,かしわ餅とわらび餅を購入.連休を味わいました.

夕方,もう一度江ノ島弁天べしに出かけた時の富士.霞んでいましたが気持ちのよい景色でした.

 

みどり子のおひすゑいはふかしは餅われもくひけり病癒ゆがに  正岡子規 竹の里歌

 

窓近くつばめ飛びかふ五月ばれ厨(くりや)にをりてかしは餅つくる  三苫京子 青梅

月見草・待宵草を詠んだ短歌  境川の遊歩道横には,マツヨイグサ属の花々が咲いていました.月見草,待宵草はありませんが--  きりぎりすきこゆる夜の月見草おぼつかなくも只ほのかなり 長塚節  衰ふる夏の日ざしにしたしみて昼も咲くとや野の月見草 若山牧水  たゆたひて今日のをはりの陽光あり月見草の花次次にひらく 君島夜詩  月見草あしたにみれば紅(こう)をおび廃れしのちに何の華やぐ 斉藤史  抱ける子が手にもちしかばわが前の灯(ともしび)の如し待宵草は 田谷鋭

昨日に続いて今日も曇り.時々小雨もという少しうっとうしい日でした.

夕方散歩は,あまり気乗りしないまま,境川の河畔へ.道中,垣根の低木や草地に広がる草の花々に出会いました.

どれも普段見過ごしてしまう花ですが,とても立派な名前がつけられています.実際,よく見ると名前に負けないかわいらしい花です.

 

 

その中でも次のマツヨイグサ属の三種は,とりわけ良い名前がつけられている花々だと思います.

取り除くべき帰化植物のリストに加えられていますが,日本在来の花のような名前.江戸時代に帰化したツキミソウ(月見草)やマツヨイグサ(待宵草)の名前を借りているためですね.

 

ツキミソウ(月見草)とマツヨイグサ(待宵草)は,道ばたでは見かけませんが,一度,友人のお宅で見せてもらいました.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2022/05/11/235701

いずれも花の可憐さに加え,夕方になったら開いて,朝には終わってしまう.そして,月見草は夜になると花の色もピンクに変わる.

日本人に好まれる性質を兼ね備えた花と言えますね.

 

月見草・待宵草を詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

秋風に月見草さく一輪の黄のかなしみのくらくなりゆく  金子薫園 山河

 

月見草初尾花立つ水荘の秋の初めに来てやめるかな  与謝野晶子 白桜集

 

きりぎりすきこゆる夜の月見草おぼつかなくも只ほのかなり  長塚節 長塚節歌集

 

川土手に蛍の臭ひすずろなれど朝間はさびし月見草の花  北原白秋 雀の卵

 

衰ふる夏の日ざしにしたしみて昼も咲くとや野の月見草  若山牧水 路上

 

ひそやかにはじけたる萼の息吸ふと見るまにほぐれ咲く月見ぐさ  五島美代子 暖流

 

霜あれの庭にしじまり青青と待宵ぐさのもと株ふたつ  鹿児島寿蔵 潮汐

 

たゆたひて今日のをはりの陽光あり月見草の花次次にひらく  君島夜詩 暗い川

 

月見草あしたにみれば紅(こう)をおび廃れしのちに何の華やぐ  斉藤史 渉りかゆかむ

 

抱ける子が手にもちしかばわが前の灯(ともしび)の如し待宵草は  田谷鋭 乳鏡

 

再びを越ゆる峠に月見草咲きて薄暮のこと淋しけれ  安永蕗子 閑吟の柳

 

月見草はじめのつぼみ堅牢のみどりを昼の台風つつむ  小中英之 翼鏡

桜餅  小麦粉生地で餡を包み,オオシマザクラの葉の塩漬けで包むのが関東風.関西風は道明寺粉で餡を包むのが一般的.桜餅の元祖とされるのが,東京向島の山本や(1717年).江戸で大評判となり,錦絵に描かれ,江戸名物双六にも取り上げられています.江戸の人気を知って,天保年間に大阪でも桜餅の販売が始まります.現在の国産桜葉の7割が伊豆松崎産.今では桜葉生産に特化した栽培が行われています.桜餅の葉を食べる人と食べない人の数は拮抗しているようですが,人それぞれでいいのでしょう.

かしわ餅と並んで,葉で包んだ人気和菓子の双璧といえる桜餅.

桜の葉は,オオシマザクラの葉を塩漬けした物(輸入品も使われますが).

餡を包む生地は小麦粉生地,

と思っていたら,関西地方は道明寺粉(*)を使ったものが多く売られています.関西に在住した時に初めて知りました.

(*)道明寺粉:

もち米を蒸して乾燥した道明寺乾飯(ほしいい)をひいて粉にしたもの。和菓子の材料にも用いた。どうみょうじだね。道明寺は大阪府藤井寺市にある寺院.(ニッポニカ/精選版日本国語大辞典

 

https://mi-journey.jp/foodie/94575/

関東風桜餅

 

関西風桜餅

 

京都発祥の虎屋は,関東風の物をつくっています.今は東京のお店中心のため?

https://mi-journey.jp/foodie/94575/

 

桜葉を使う桜餅の元祖とされるのが,東京向島の山本や.

(事典和菓子の世界 岩波書店

現在もお店は続いていて,長明寺桜もちとして販売しています.

https://sakura-mochi.com/products/index.php

https://kurashi-to-oshare.jp/going/64162/

ホームページの紹介は次の通り.

https://sakura-mochi.com/

「創業者山本新六が享保二年(1717年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島名跡長命寺の門前にて売り始めました。

その頃より桜の名所でありました隅田堤(墨堤通り)は花見時には多くの人々が集い桜もちが大いに喜ばれました」

 

文化・文政時代には大評判になり,錦絵に描かれ,江戸名物双六にも取り上げられています.

https://sakura-mochi.com/

https://ndlsearch.ndl.go.jp/imagebank/column/sakuramochi

https://ndlsearch.ndl.go.jp/imagebank/column/sakuramochi

 

一方の関西風桜餅.

天保年間(1830-1844)に、大坂北堀江の土佐屋が江戸の桜餅の人気を知って、桜餅の販売を始めたのが起源とされています.https://ndlsearch.ndl.go.jp/imagebank/column/sakuramochi

なぜ道明寺粉を用いるようになったかは不明ですが,道明寺粉の人気が高かったことは確か.https://kotobank.jp/word/道明寺種-1377330#goog_rewarded

 

桜餅は,春の香りゆかしい和菓子ですが,かしわ餅と違って,お店によっては一年中販売していますね.

以前は,それぞれの土地の桜葉を用いていたのでしょうが —私の友人に和菓子屋の子供がいて,彼が桜の葉を集めていたのを知っています—

今は,和菓子材料店で桜の塩漬けが売られています.

https://www.tengyokudopro.jp/SHOP/326555/327067/list.html

そして,国産の桜葉の7割を生産しているのが,伊豆の松崎.

静岡県賀茂郡松崎町

以前は,薪炭生産用の桜の葉を使っていたのですが,現在は,桜葉生産に特化したオオシマザクラ栽培を行っているとのこと.

https://www.town.matsuzaki.shizuoka.jp/docs/2019011700029/

松崎町の桜葉の塩漬け」は,環境省のかおり風景100選に選ばれています.

https://www.env.go.jp/air/kaori/48sakuraba.htm

 

なお,桜餅の葉を食べるか食べないかは,人それぞれですが,女性対象のある調査では,

https://www.news-postseven.com/archives/20160403_399344.html?DETAIL

55%が食べる派,45%が食べない派だそうです.

 

私は食べる派ですが皆さんは?

かしわ餅  柏餅が広まったのは,おそらく江戸時代の江戸から. 新芽が出るまで古い葉が落ちない柏に子孫繁栄の願いを込め,武家社会の江戸では端午の節句に食べることが定着したとのこと.しかし,もともと,食べ物を柏で包む風習はあったようで「かしわは,”炊(かし)く葉”から」.一方,西日本ではサルトリイバラで包んだ行事用の餅が広く食べられてきたようで,現在ではこれをかしわ餅を呼んでいるところも多いとのこと.

柏餅の季節ですね,

町の和菓子店から,デパ地下の有名店まで,この時期必ず柏餅を販売していると思います.

https://mi-journey.jp/foodie/95918/


事典和菓子の世界(中山圭子 岩波書店)によれば,柏餅が広まったのは,おそらく江戸時代の江戸から.

新芽が出るまで古い葉が落ちない柏に子孫繁栄の願いを込め,武家社会の江戸では端午の節句に食べることが定着したとのこと.

 

ネット上のかしわ餅の解説は,ほぼ全て同様の記事となっています.しかし,もともと,食べ物を柏で包む風習はあったようで:

 

「かしわ」の語源で有力なのが「かしわは,”炊(かし)く葉”から」とする説(ニッポニカ).また,「かしわ」には,「上代、飲食物を盛り、また祭祀具として用いられた木の葉の食器」の意味もあります(精選版日本国語大辞典).

 

餅を柏で包むことは古くから行われていて,端午の節句に食べるようになったのは,子孫繁栄の意味を込めたため,と考えると納得です---実際は?

 

一方,柏の採れない地方では,かしわ餅はサルトリイバラの葉で包むという記事も多く見かけます.

(例えば,事典和菓子の世界,日本和食卓文化協会https://www.nihonwasyokutakubunka.com/column/2834

(サルトリイバラの異名である山帰来としている記事もあります.もともとはサルトリイバラの根が生薬「山帰来 さんきらい」https://kotobank.jp/word/サルトリイバラ

 

サルトリイバラを使っているのにかしわ餅と呼ばれている!

https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/43_15_yamaguchi.html

しかし,この記事をよく読むと,「かしわ餅」は後からつけられた名前.日本全国の行事食として広まってきた江戸由来の「かしわ餅」の名前を,一年中食べられていた郷土食の名に用いたというのが真相のように思います.

https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/43_15_yamaguchi.html

山口県では、郷土料理のひとつとして親しまれており、「ほてんどもち」「いぎの葉もち」「ぷとんもち」「ぼたんもち」など別名も多い。かつては端午の節句の他に田植えやお盆行事の際にも、各家庭で作り、食されてきた。特に、手作業で行われていた田植えは重労働であり、「柏餅」が食べられることがひとつの楽しみになっていたと言われている。また、「柏餅」を作ったら隣近所に配ることもあったという。

 

サルトリイバラで包んだ三重県の郷土食は,いばら餅とされていますが,これもよく読むと名前は地方によって様々で,節供以外にも食べられていたようです.https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/ibara_mochi_mie.html

(いばら餅は)地域によって名称が異なる。津市では「いばら餅」というが、東紀州地域では「おさすり」といい、中南勢地域の安濃町近辺では「いばらまんじゅう」、北勢地域の竹成では「がんだち餅」、亀山市では「どっかん餅・どうかん餅」という。どっかん餅は、「どうかん」という名の人物が野上りの祝いにいばらの葉で包んだ餅をつくり、村人に振舞ったところ喜ばれ村人も真似して同様の餅をつくったことから名づけられたといわれている。伊賀地域では「いばらだんご」という。

尚、野上りは田植えなどの農作業の終わりを祝う行事である。この行事にちなんで「野上りまんじゅう」ともいわれている。このように5月の節句以外にも農作業の合間のおやつとしても食べられ、野上りの行事でも農作業を手伝ってくれた人々と共に食べ、労をねぎらうという風習がある。

 

ネット上に記事を集めてみると,「サルトリイバラを用いた行事用の餅は,西日本一帯にかなり広まっていて,かしわ餅の代用としても用いた」と考えるのが妥当のように思われますが,あくまでも私の印象で,実際どうだったかは不明です.専門の先生方には,もう一歩,つっこんだ食文化研究をしてもらいたいですね.

 

一方の柏で包んだかしわ餅.節供にかしわ餅を食べる風習が江戸から広まったとしても,関東地方には,柏で包んだ餅を節供以外に食べる風習はなかったのでしょうか?

(事典和菓子の世界にはかしわ餅が街道の茶店でも売られていたとの記事はあります)

繰り返しになりますが,

「かしわ」には,「上代、飲食物を盛り、また祭祀具として用いられた木の葉の食器」の意味もある(精選版日本国語大辞典).

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/カシワ

ブナ目 Fagales

ブナ科 Fagaceae

コナラ属 Quercus

コナラ亜属 subgen. Quercus

カシワ Q. dentata

 

 

松の花を詠んだ短歌 昨日の散歩で出会った花は22種.最後は,神社の境内の松の花.地味ながら元気いっぱいの花. よべの雨に小径の石の現れてすがしくもあるか散る松の花 島木赤彦  夕日かげまばゆき松の下枝の花粉こぼれてちるがけぶれり 岡麓  うす曇る空に並み立つ松の花伸び急ぐ日を我らも忙し 窪田空穂  庭に見るつつじ山吹あかるくてさびしくもあるかこの松の花 若山牧水  微かに松の花粉こぼるる夕まぐれまた逢はむ日の思ほゆるなり 大西民子

昨日は,近所のカタバミを探すついでに,ぐるりと境川の河畔を散策.

今日はその途中で出会った,おそらく,その多くをほとんどの人が振り返らない花たちを,かたはしから集めてみました.数えてみると22種.

 

ハルジオン ハルノノゲシ

タンポポ ヒメツルソバ 

ノアザミ

ナガミノヒナゲシ,イモカタバミ

シャリンバイ,ジャノメクンショウギク,マーガレット

ユリオプスデージー

ドウダンツツジ,シャリンバイ

 

 

セイヨウキランソウアジュガ),ヒナギク(デージー),ノースポール,シバザクラ

ツツジ

オオカナメモチ

モッコウバラランタナ

 

最後に訪れたのは,境川から少し外れたところにある諏訪神社

ネット上の由緒と沿革では,次のように記載されています.

https://katasesuwajinja.com/

今から一二八〇年余り前(奈良時代)養老七年(七二三年)に信濃国(長野県)諏訪大社からの御分霊として上下両社に鎮座されました.

片瀬の地は現在とは地形が異なり、以前は水面の覆われた大きな沼湖であり、それが諏訪湖を取り巻く諏訪の地に良く 似ていたことからこの地が選ばれたと思われます.

スワとは州端(スワ)で水辺の端に鎮座した所から名付けられました.

 

境内には,色彩豊かな花はありませんが,松のみどりが美しい.そして,今の季節は色は地味ながら元気いっぱいの花を咲かせています.

 

松の花を詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より)

 

よべの雨に小径の石の現れてすがしくもあるか散る松の花  島木赤彦 太虚集

 

夕日かげまばゆき松の下枝の花粉こぼれてちるがけぶれり  岡麓 庭苔

 

うす曇る空に並み立つ松の花伸び急ぐ日を我らも忙し  窪田空穂 卓上の灯

 

庭に見るつつじ山吹あかるくてさびしくもあるかこの松の花  若山牧水 くろ土

 

ゆく春を池にむかえる松ばらは松に咲きたる花しづかなり  中村憲吉 軽雷集

 

松の花粉風に散りゆき咲きをはる花のすがたのしづかになびく  長澤美津 水面

 

微かに松の花粉こぼるる夕まぐれまた逢はむ日の思ほゆるなり  大西民子 まぼろしの椅子

 

郭公は十日ほどゐて去りぬらし松の花咲くころ空濁る  石川不二子 鳩子

 

酢漿草(かたばみ) 清少納言も取り上げ(「かたばみ,綾の紋にてあるも,ことよりはをかし」),何人かの近代歌人も好んで歌題にしています.群れ生いし酢漿草(かたばみ)の葉のか青きに時雨ふりつつさびしきろかも 斎藤茂吉  三つよりて仲むつまじき酢漿草のかたちくづさずあり経むものを  若山喜志子  やっかいな雑草であると同時に花・葉は愛らしい.十円玉をこすったり,実をそっと触ってはじける種を眺めて楽しんだりすることもできます.

酢漿草(かたばみ)は,最もよく見かける雑草の一つですが----

https://ja.wikipedia.org/wiki/カタバミ

古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)をみて,かなり名の通った歌人によって短歌に詠まれていることを知りました.

どの歌も,さりげなくかたばみを慈しんでいるように思います.

 

 

群れ生いし酢漿草(かたばみ)の葉のか青きに時雨ふりつつさびしきろかも  斎藤茂吉 寒雲

 

三つよりて仲むつまじき酢漿草のかたちくづさずあり経むものを  若山喜志子 筑摩野

 

をさなごと幾度か来し道ばたにかたばみの花むらがり咲けり  杉浦翠子 藤浪

 

しじみ蝶花うつりゆくかたばみに書きあぐみたる心あそばす  谷鼎 冬びより

 

花了へし酢漿草(かたばみそう)のひと群れをさりげなく視てわれさらむとす  吉野鉦二 山脈遠し

 

枕草子にもとりあげられ,「かたばみ,綾の紋にてあるも,ことよりはをかし」(酢漿(かたばみ)は、綾織りのような模様になっているのが、他の草よりも良い。)とあるそうです.

枕草子の「紋」は,模様の意味でしょうが,この模様は現在でも多くの「家紋」として用いられています.清少納言の感性は,その後の日本人の感性でもあったと言えるのでしょう.

https://ja.wikipedia.org/wiki/カタバミ


このように,葉,花とも,雑草に分類してしまうのは,惜しい植物で,実際,属名のオキザリスラテン語名)の名前で,鑑賞用の栽培種が沢山生み出されています.

https://www.shuminoengei.jp/?m=pc&a=page_image_slideshow&target_plant_code=311&target_hinshu_code=3

 

カタバミは,ちょっとした不思議な性質を持っていて,植物に親しむための学校教材としても用いられています.

 

1. 雨や曇った日には開花しない.もしくは早く花を閉じる.

実は,今日の冒頭のカタバミの写真は,自分で撮影したものにするつもりだったのですが---

わが家の隣の児童公園のカタバミは,全て花を閉じていました.

オオキバナカタバミの花も含めて.

あいにく今日は曇っていた!

夕方に花を閉じるだけだと思っていたのですが,雨や曇りの時は開花しないんですね.(今までの観察眼のなさに恥じ入るばかり)

https://www.ja-narita.or.jp/toyamayasouen/カタバミ(カタバミ科)

https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=4770&key=&target=

 

2.カタバミは酸っぱい.

カタバミの漢字「酢漿草」は,漢名をそのまま当てて使用しています.酢漿=酸っぱい汁.

https://ja.wikipedia.org/wiki/カタバミ

葉や茎は、シュウ酸水素ナトリウムなどの水溶性シュウ酸塩を含んでいるため、咬むと酸っぱい。 シュウ酸は英語で oxalic acid というが、カタバミ属 (Oxalis) の葉から単離されたことに由来する。

 

カタバミを食べない方が良い」というアドバイスもネット上にのっていますが---

英語版ウィキペディアによれば,英語では,カタバミ属の植物をWood sorrelといい,世界中で食べられてきた歴史があるそうです.

Wood sorrel (a type of oxalis) is an edible wild plant that has been consumed by humans around the world for millennia.

カタバミは食用の野生植物であり、数千年もの間、世界中の人類が食してきた

https://en.wikipedia.org/wiki/Oxalis

日本でも,サラダ用のオキザリスが販売されています.

https://item.rakuten.co.jp/e-yamanashi/ef-0008/

カタバミはシュウ酸をかなりの量含みます.この性質を利用して,「カタバミで十円玉をこすってピカピカにする」という植物遊びがよく知られています.

https://www.city.sapporo.jp/museum/ouchimuseum/20210924.html

 

3. カタバミは種を遠くにとばす.自力で!

カタバミの熟した実をそっと持ってきて,https://www.city.sapporo.jp/museum/ouchimuseum/20210924.html

実の真ん中くらいをつまむと…

NHKは動画にしてくれています.一見の価値あり.

https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005400777_00000

 

カタバミの仲間

 

 

カステラ2 カステラの語源は,「ポルトガル語のpão de Castella 」とするのが一般的になっています.現在ポルトガルで広く食べられているPão de Ló(パン・デ・ロー)のルーツのひとつもpão de Castellaで,卵,砂糖,小麦からつくられ,カステラの主な材料と一致します.日本のカステラは,これに水飴/蜂蜜を加えてしっとり感を出しているのが特徴的ですが,「材料の配合量や焼き方にそれぞれの店の秘法がある」とのことです.

「カステラとは,安土桃山時代ポルトガル経由で日本に伝わった『南蛮菓子』をもとに日本で生まれた和菓子の一種」とされています.

https://www.castella.website/nagasakicastella/000000000004/ 

https://www.fukusaya.co.jp/

https://shooken.com/

 

カステラの語源は,「ポルトガル語のpão de Castellaカスティーリャ王国ースペインの一地方ーのパン)もしくはBolo de Castelaを略して,当初はカステイラとした」とするのが一般的.

精選版日本国語大辞典,ニッポニカ,改訂新版世界大百科事典,事典和菓子の世界(中山圭子) 等.

 

他の可能性としては,「オランダ語 Castiliansh-brood(カスティーリャンシュのパン)

の略」(精選版日本国語大辞典),「ポルトガル語beter claras em castelo(卵白を白のように泡立てる)」(事典和菓子の世界).

 

 

カステラの語源となったポルトガルのpão de Castellaは,現在ポルトガルで広く食べられているPão de Lóパン・デ・ローのルーツでもあります.(Pão de Lóのルーツには他の説もある).

https://www.google.com/search? Pao-de-lo

英語版ウィキペディアによれば,https://en.wikipedia.org/wiki/Pão_de_Ló

パン・デ・ローは卵,砂糖,小麦からつくられます.イースト等を用いないため,「望ましい膨らみをえるために,手作業で1時間以上卵を泡立てる必要があり、1900年代半ば以前は、この仕事は一般的に女性に任されることが多かった」とのこと.現在でも作るためには職人技が必要とされ,「伝統的なパン・デ・ロー」がポルトガル農業省により認定されています.

この英語版ウィキペディア「Pão de Ló」には,ポルトガル国外のものとして,カステラへの言及があります!

 

 

パン・デ・ロ同様,日本のカステラの主原料は,卵,砂糖,小麦粉.

パン類と異なりふくらし粉やイーストは用いず,また,パウンドケーキなどと違って乳製品(牛乳,バター)も用いません.

早くも江戸時代のレシピ本(古今名物御前菓子秘伝抄ここんめいぶつかしひでんしょう 1718)に作り方が掲載されています(事典和菓子の世界)

ただし,この江戸時代のレシピで作られたカステラは「おそらく現在より薄く.ぱさぱさした物だったろう」(事典和菓子の世界)とのこと.

現在のカステラは,明治以降の改良の積み重ねの結果(事典和菓子の世界)で,特に現在のしっとり感のあるカステラは,水飴/蜂蜜を加えたことが要因とされています.(事典和菓子の世界)

 

ブリタニカによれば
「原料は鶏卵,砂糖,小麦粉に水飴,蜂蜜,清酒,食塩などを配し,その配合量,焼き方にそれぞれの店の秘法がある」とのことですが---
カステラの名店とされる中でも最も歴史あるお店,福砂屋の紹介文は以下の通り:

福砂屋のカステラ製造は,素材選びからスタートします.特筆すべきは,地元長崎産の新鮮な鶏卵と奄美大島の黒糖の使用です.これらが見事な調和を醸し出し,甘さとふんわりとした食感が引き立っています.

 

さらに特徴的なのが,上質なシロップをたっぷりと使用し,しっとりさせている点です.その結果,口の中で広がる甘さはしつこさを感じさせず,すっきりとした後味をもたらします.これは,福砂屋の長きに渡る匠の技術による,伝統と革新が融合した結果なのです.

 

カステラ1 カステラは和菓子? 1681年創業の長崎松翁軒のウェブサイトによれば「ぜいたくな砂糖と禁断の卵をたっぷり使った菓子を,長崎の菓子職人たちはさまざまな工夫を加えて,異国風味の和菓子に育て上げました」. 英語版ウィキペディアCastellaでは「カステラとは,安土桃山時代に海外から日本に伝わった『南蛮菓子』をもとに日本で生まれた和菓子の一種」.事典和菓子の世界では,「確かに南蛮菓子という性格上,西洋起源であることは事実.しかし,長い歴史を経て,カステラはすっかり日本独自のものに変化している」

文明堂のカステラを買い求め,久しぶりに食べました.子供の頃から大好きなお菓子の一つです.

 

カステラ1

文明堂という名前の菓子店は,長崎で誕生した1900年創業の老舗ですが,日本全国に広がり,それぞれの地で別会社を立ち上げているとのこと.

私が購入したのは横浜文明堂の品物.

https://www.bunmeido.co.jp/contents/357

「3時のおやつは文明堂」のキャンペーンもあって,カステラといえば文明堂とすり込まれている方も多いかと思いますが,創業は明治.

https://yokohama-bunmeido.co.jp/

精選版日本国語大辞典には,「日本での製造は,長崎本博多町和泉屋長鶴本家が最初といわれ」とありますが,いつ頃作られたかの記載はなし.また,現在ある長崎和泉屋は1956年創業で,カステラ発祥のお店との関係は,ネット上からは不明.https://www.n-izumiya.com/company/companyprofile/

 

江戸時代の前期に創業し,現在まで作り続けている店も知られていて:

 1624年創業:福砂屋

 1681年創業: 松翁軒

それぞれ「カステラ本家」「カステラ元祖」を名乗っていますが,いずれも長崎のお店.

https://www.fukusaya.co.jp/

https://shooken.com/

 

松翁軒のウェブサイトによれば,

https://shooken.com/

:長崎といえばカステラ,カステラといえば長崎.

そのカステラが,遠く遥かなポルトガルからこの国に伝えられたのは,戦国時代もようやく終わろうという1500年代半ば.

ぜいたくな砂糖と禁断の卵をたっぷり使った菓子を,長崎の菓子職人たちはさまざまな工夫を加えて,異国風味の和菓子に育て上げました.

やがてカステラは京,江戸へとひろがり,当時併用へただひとつ開いた窓,長崎の代名詞となってゆきます.

 

そして,この紹介文にあるように,カステラは「異国風味の和菓子」.

洋菓子ではない!

 

和菓子であることは,世界的にも認知されていて,例えば,英語版ウィキペディアには,

castella”の項目が立てられていて,解説の冒頭には次のような文章が:

Castella (カステラ, kasutera) is a kind of wagashi (a Japanese traditional confectionery) developed in Japan based on the "Nanban confectionery" (confectionery imported from abroad to Japan during the Azuchi–Momoyama period).

deepL翻訳

カステラとは,安土桃山時代に海外から日本に伝わった「南蛮菓子」をもとに日本で生まれた和菓子の一種.

 

 

事典和菓子の世界(中山圭子 岩波書店)によれば:

「カステラは和菓子です」というと,同意を得られないことがままある.

その形,食感から,まず洋菓子が連想されてしまうからだろう.確かに南蛮菓子という性格上,西洋起源であることは事実.しかし,長い歴史を経て,カステラはすっかり日本独自のものに変化している.

今や原形とされるスペインのBizcocho(Biscocho)や

https://www.google.com/search? Bizcocho

ポルトガルのPão de Lóとは,味わい・形も全く違うのだ.

https://www.google.com/search? Pao-de-lo

というのも明治時代以降,水飴や蜂蜜を入れ,異国にはないしっとりとした食感のものがつくられるようになったためだ.

形についても,日本ではスペイン・ポルトガルでよく見られる丸形が普及せず,直方体が定番となった.

 

 

平塚花菜(かな)ガーデンで出会った花々2 バラ園には沢山の品種が植えられていますが,この日咲いていたのは一種一輪.比較的沢山の品種が揃えられていたのがマグノリア.遠くから目立つていたのは花ではなく唐楓と楠木の新芽.キクモモの赤は印象的.りんごも花を咲かせていました. 石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ 石川啄木  林檎さくところを行けり紅に白まじはりて日に照らふ花 佐藤佐太郎

昨日訪れた,平塚花菜(かな)ガーデンで出会った花.

今日は木本編.

 

この花菜ガーデンで,最も充実している花木は,バラかと思いますが,まだ時期が早く,咲いていたのは,一つだけ!

この日のバラ園では貴重なこのバラの品種名は,オールドプラッシュ.ネット上ではもっと美しい形の画像が沢山並んでいますが---.バラの品種改良の歴史でとても重要な品種とのこと.

植えられているバラの品種はとても多く,開花時には是非また来て見たいと思わされました.品種別に配置されているようで,その点も魅力.

 

今の時期の主役,ヤエザクラ.ただ,まだ木が小さく,花の重さに負けている感じだったのは残念.

 

比較的沢山の品種が揃えられていたのが,マグノリア

 

遠くから目立っていたのは,花ではなく新緑の美しいトウカエデ(多分)とクスノキ

クスノキは常緑樹なのに,今の季節,ほぼ全ての葉を入れ替えます.

 

濃い赤色が目立つのが,キクモモとトキワマンサクトキワマンサクは街中でもよく見かけますが,キクモモは初めてでした.

 

 

フジ棚はあまり大きくはありませんが,満開でした.

 

どこで見ても美しいモッコウバラ

 

このあたりではあまり見かけないリンゴの木.花も美しいですね.

石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ  石川啄木 一握の砂

 

りんごの花のゆふべは霞むほの明かりたどりて何に逢はむとはする  斉藤史 やまぐに

 

林檎さくところを行けり紅に白まじはりて日に照らふ花  佐藤佐太郎 立房

 

東北を旅行く父へ降りかかるりんごの花か冷えぞ身に沁む  佐佐木幸綱 夏の鏡

 

平塚花菜(かな)ガーデンで出会った花々1  花菜ガーデンはかなり広い敷地で,広い芝生と沢山の花々を楽しむことができました.一般の植物園にはなかなか見られない大きな花壇に植えられたチューリップをはじめ,沢山の草花に出会うことができました: ラナンキュラス,アフリカンデージー,ハゴロモギク,デージー,キランソウ,イベリス,イブキジャコウ,ローズマリー,ナノハナ,キンギョソウ,ヒメキンギョソウ,ルピナス,オオイヌノフグリ,シロツメクサ,カタバミ,タンポポ---

平塚にある,花菜(かな)ガーデンまで行って来ました.

別名,神奈川県立花と緑のふれあいセンター.

https://kana-garden.com/

かなり広い敷地で,広い芝生と沢山の花々を楽しむことができました.

出会った花々の写真を今日明日紹介しようと思います.

今日は草本編.

 

最も数が多く植えられていたのは,ビオラ.そろそろ終わる季節ですが,このガーデンのビオラはまだ元気でした.



今の季節は,草花ならばチューリップですね.かなり広いチューリップの花壇があって,色とりどり,形も様々な花を楽しむことができました.

 

 

多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふひとのあれかし  若山牧水 路上

 

たんぽぽは絮(わた)となりて風に舞ふ亡き友恋ふる忍路(おしょろ)の浜に  木俣修 昏々明々



 

 

 

仏蘭西のみやび少女がさしかざす勿忘草の空いろの花  北原白秋 桐の花

 

思ふてふこと言わぬ人の/おくり来し/忘れな草もいちじろかりし  石川啄木 一握の砂

 

 

八重桜・遅桜を詠んだ短歌2 「八重桜は異様ことやうのものなり」(兼好法師)と思う方もおいでかとは思いますが,私は考えを改めています.八重桜も見事です. 咲垂るる八重ざくら花ゆらぎ出でいや照りつつも重くしづまる 窪田空穂  いやはてに鬱金ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月はきたる 北原白秋  八重ざくら春の名残りと散り頻(し)くに心は寄りて木の下に来つ 村松英一  ここに孤(ひと)りとなりゆくことの淋しさに今朝のひかりに咲く八重桜 柴谷武之祐

今満開の鎌倉極楽寺の八重桜.とても見事な花でした.

 

以前は,桜は一重.八重は邪道などと思っていましたが,そんなことはありませんね.

しかし,中には,「桜は一重に限る」と思っておられる方もおいでになるように思います.徒然草兼好法師がその代表でしょうか?

古今短歌歳時記では,徒然草の一節を引用して,「兼好は八重桜・遅桜には批判的である」としています.

 

徒然草一三九段

家にありたき木は、松・桜。松は、五葉(ごえふ)もよし。

花は、一重ひとえなる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍はべるなる。吉野の花、左近(さこん)の桜、皆、一重(ひとえ)にてこそあれ。

八重桜は異様ことやうのものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜おそざくらまたすさまじ。虫の附きたるもむつかし。

 

吾妻利秋訳

https://tsurezuregusa.com/139dan/

家に植えたい木は、松と桜。五葉の松も良い。

桜の花は一重が良い。「いにしえの奈良の都の八重桜」は、最近、世間に増え過ぎた。吉野山平安京の桜は、みな一重である。

八重桜は邪道で、うねうねとねじ曲がった花を咲かせる。わざわざ庭に植えることもないだろう。遅咲きの桜も、咲き間違えたようで白ける。毛虫まみれで花を咲かせるのも気味が悪い。

 

八重桜と遅桜・遅咲きの桜は,同じ桜をさしていると考えてよいとのこと.八重桜は,一重の桜のあとに咲くのが一般的ですね.

ただし,俳句では,一般の桜も八重桜・遅桜も,晩春の季語とのこと.

https://kigosai.sub.jp/001/archives/1993

https://kigosai.sub.jp/001/archives/16526#:~:text=八重桜

確かに八重桜の開花は夏というほど遅くない.

小沢蘆庵は上手に歌にしています.

夏やとき春やおくれし卯の花に咲きあはせたる遅ざくらかな  小沢蘆庵 六帖詠草

 

https://tenki.jp/suppl/miyasaka/2017/04/17/22031.html

奈良七重七堂伽藍八重桜  芭蕉

風声(かざごゑ)の下り居の君や遅桜  蕪村

八重桜日輪すこしあつきかな  山口誓子

山に出て山に入る日や八重桜  成瀬櫻桃子

 

生け花の世界でも、遅く咲く八重桜は,季節の合間を埋める重要な花となっているようです.

https://www.aoyamahanamohonten.jp/blog/2022/02/22/types-of-sakura/

 

 

八重桜・遅桜を詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

(昨年もこの題目で取り上げたので, https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2023/04/04/000037

一部重複します)

 

風さそふ雨ふりいでて八重桜ちりかふ中を飛ぶつばくらめ  岡麓 朝雲

 

咲垂るる八重ざくら花ゆらぎ出でいや照りつつも重くしづまる  窪田空穂 卓上の灯

 

いやはてに鬱金ざくらのかなしみのちりそめぬれば五月はきたる  北原白秋 桐の花

 

ひともとの稚木(わかぎ)のさくらしほがまの八重咲く花の咲きしだれたり  若山牧水 山桜の歌

 

八重ざくら春の名残りと散り頻(し)くに心は寄りて木の下に来つ  村松英一 山の井

 

抱へゆく甕の桜の八重ざくら畳の上に花こぼれつつ  杉浦翠子 藤浪

 

遅ざくら咲きかたぶけり下道をわがゆくときに花片(はなびら)の散る  筏井嘉一 荒栲

 

ここに孤(ひと)りとなりゆくことの淋しさに今朝のひかりに咲く八重桜  柴谷武之祐 さびさび歌

 

今年また花にむかへばいささかの風にも重く八重桜さく  佐藤佐太郎 星宿

 

八重のさくら咲きくづれゐるゆふやみの襞いろあふれ人ゆきはてし  河野愛子 鳥眉

 

 

八重桜・遅桜を詠んだ短歌1 鎌倉極楽寺の八重桜もほぼ満開で見応えがありました.その内に一株は,鎌倉ではかなり名の通つた桜で,時宗お手植えのサクラとの言い伝えも. 待たせつつおそくさくらの花により四方の山べに心をぞやる 和泉式部  いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいぬるかな 伊勢大輔  ふるさとの春を忘れぬ八重桜これや見しよにかはらざるらん 式子内親王  夏やとき春やおくれし卯の花に咲きあはせたる遅ざくらかな 小沢蘆庵

妙本寺でも満開だった八重桜.

 

昨日参拝した鎌倉極楽寺には,二株の大きな八重桜があって,こちらもほぼ満開で見応えがありました.

その内の一株,転法輪殿前の桜は,オオシマザクラの突然変異種とされ,北条時宗のお手植えと伝えられる「八重一重咲分桜」.

材木座の桐ヶ谷が原産であることから「桐ヶ谷桜」と呼ばれています.

足利尊氏京都御所の紫宸殿の左近の桜として植えたとの言い伝えも.https://www.yoritomo-japan.com/hana-kesiki/sakura/yaehitoe-gokurakuji.htm

八重桜とは

(青山花茂

https://www.aoyamahanamohonten.jp/blog/2022/02/22/types-of-sakura/

「八重桜」は品種名ではなく,八重咲きの桜の総称で,多くの品種が存在します.青山花茂に入荷する八重桜の代表的なものとしては淡いピンクの普賢象(フゲンゾウ)と,それよりは少し濃いピンクの関山(カンザン)が大半です.

これらは,染井吉野からやや遅れて4月に開花するので,4月中頃の桜の活け込みでは八重桜を使用します.八重桜の大半が,ルーツにオオシマザクラを持つ「里桜(サトザクラ)」から作られた栽培種.ただ,里桜も古くから人里近くに定着していた栽培種の総称であり,オオシマザクラに何の桜を交配したのか,育種経過はよくわかっていません.

https://www.atomi.ac.jp/univ/wordpress/wp-content/uploads/2017/02/結合:781852構内サクラガイド単頁-4から7.pdf

https://www.hananokai.or.jp/sakura-zukan/shogetsu/

https://www.hananokai.or.jp/sakura-zukan/oshimazakura/

 

多くの八重桜とルーツが異なるとされているのが,ナラノヤエザクラ.

カスミザクラの変種とされていて,奈良で八重桜といえばこの桜をさし,伊勢大輔が詠んだ八重桜と考えられています.

東大寺知足院地内のものは大正一二年(一九二三)三月に天然記念物に指定されています.

 

八重桜・遅桜を詠んだ短歌1

(古今短歌歳時記より)

(昨年もこの題目で取り上げたので, https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2023/04/04/000037

一部重複します)

 

待たせつつおそくさくらの花により四方の山べに心をぞやる  和泉式部 和泉式部

 

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいぬるかな  伊勢大輔 伊勢大輔集・小倉百人一首

 

九重に久しくにほへ八重桜のどけき春の風としらずや  藤原実行 金葉集

 

春は来て遅くさくらの梢かな雨のあしまつ花にやあるらん  西行 聞書集

 

八重桜やどのさかりの近ければこの春の日ぞ光そふらん  藤原定家 拾遺愚草

 

ふるさとの春を忘れぬ八重桜これや見しよにかはらざるらん  式子内親王 続後撰集

 

夏やとき春やおくれし卯の花に咲きあはせたる遅ざくらかな  小沢蘆庵 六帖詠草

 

 

満天星/ドウダンツツジの花を詠んだ短歌  鎌倉妙本寺には,かなり大きなドウダンツツジがあつて,今,満開.漢字には灯台躑躅と満天星がありますが,花の時期には満天星が似合います.「霊水ががかかって壺状になり,満天の星のように輝いたという故事」に由来す漢字とのこと. どうだんの花のこぼれのしろじろと月夜になりし庭松の露 太田水穂  春梅雨(はるつゆ)の止むとしもなき満天星のうつむく花に明らけく降る 福田たの子  筒花(つつばな)のうすべにに垂り花ゆれゆれて水の辺さらさどうだんの夢 加藤克

昨日は,鎌倉での所要のついでに,妙本寺まで足を伸ばしました.

 

ソメイヨシノ,カイドウの花は終わっていましたが,4月5月の妙本寺の楓の新芽はとても美しくて大好きです.

 

ヤマブキが所々に咲いていて,日蓮上人像横の灯籠を飾る八重の花は,とても鮮やか.

 

この日,一番華やかで目立っていたのは,本堂横の八重桜.かなりの大木です.

シャガ.何年か前は,本堂脇に群生していたと思うのですが,今は,本堂から鐘楼にかけての道沿いに沢山花を咲かせていました.

所々でみかけた,様々な色合いのツツジ.今年はツツジの開花が早いように思いますが---

 

そして,満開のドウダンツツジ

漢字には灯台躑躅と満天星の二つがありますが,満開の花をつけた場合は,満天星を当てるのが似合っていると思います.

 

ドウダンツツジとは,やや奇妙な名前のように思っていましたが,もとはトウダイ(灯台躑躅だったものが転訛してドウダンツツジと呼ばれているとのこと.

かつてトウダイ(灯台躑躅と呼ばれたのは,「樹形が結び灯台に似ているから」とする説と,「枝の状態が結び灯台に似ているから」という説の二つがあるそうです.

https://www.keisen.ac.jp/extension/research/gardening/pdf/e3_miyauchi2.pdf

ニッポニカは枝が似る説を採用しています.

 

名は、放射状に出る枝の状態が、昔夜間の明かりに用いた結び灯台の脚に似ることから、灯台ツツジといわれ、それから転訛(てんか)した。(ニッポニカ)


ドウダンツツジに満天星を当てるのは,中国の故事に由来するとのこと.

https://www.uekipedia.jp/落葉広葉樹-タ行/ドウダンツツジ/

「漢字表記の「満天星」は何とも奇妙だが,中国の道教の神である太上老君が天上で薬を練っていた時,誤って霊水をこぼし,水滴がこの木にかかって壺状になり,満天の星のように輝いたという故事に由来する.」

:下記の花を詠んだ歌は,満天星と表記しています.この故事を意識してのことと推測しますが---推測の根拠はあやふやながら,満天星が似合う花です.

 

ドウダンツツジの花を詠んだ短歌

(古今短歌歳時記より,なお,満天星は,ドウダンツツジともドウダンとも読みます.以下の短歌中の満天星の読みは全て「ドウダン」)

 

どうだんの花のこぼれのしろじろと月夜になりし庭松の露  太田水穂 冬菜 

 

春梅雨(はるつゆ)の止むとしもなき満天星のうつむく花に明らけく降る  福田たの子 桐壺

 

筒花(つつばな)のうすべにに垂り花ゆれゆれて水の辺さらさどうだんの夢  加藤克巳 石は叙情す

 

もの言はぬ花をあはれと谷に咲く更紗満天星を仰ぎゆくかな  稲葉峯子 桜昏

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/サラサドウダン

 

霞を詠んだ短歌2  あはれなりわが身のはてや浅緑つひには野ベの霞と思へば 小野小町  春霞こめたる町のゆかしくてみおろしつつも高きに登る 窪田空穂  ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り 若山牧水  わが居る 天の香具山。/おともなし。/春の霞は、谷をこめつつ 釈迢空  ちちのみの父を葬りし日の晩霞濃かりしことはのちも思はむ 葛原妙子

今日は全国で真夏日続出との報.片瀬海岸には,水着姿の方も出ていたと伝えていました.

https://news.ntv.co.jp/category/society/4a9c564c22404943b21872fa8a52f008

鎌倉に用事があって,片瀬海外に戻ってきたのは夕方6時頃.昨日よりは雲が多いものの,上空は晴れ.

遠景の山々には,昨日同様,霞んでいて,今日は富士山の稜線も全く見えませんでした.

 

昨日も記したように,霞とは「空や遠景がぼんやりする現象」.「かすむ」の連用形が名詞になつた言葉.

そして,「霞」を「かすみ」とするのは国訓(中国での用法に合致しない、日本でのよみ方).

漢語の「霞」はあさやけ・ゆうやけ,赤く美しい雲の意味なんですね.日本の辞典にも意味は載つていますが,今ではほとんど使われないように思います.

なお,大和絵に雲のように描かれる「霞」は,別名すやり霞.場面の転換,空間の奥行きなどを示す独特の表現方法として用いられています.

 

角川字源

意味
❶あさやけ。ゆうやけ。赤く美しい雲。「朝霞」
❷はるか。とおい。同遐か
❸衣服などの赤くあざやかなことのたとえ。

❶かすみ。
㋐特に春さき、細かい水滴が空中に浮遊するために空がぼんやりする現象。
㋑かすみあみ。
❷かすむ。遠くがぼんやりとしてはっきりと見えなくなる。

 

 

かすみ【霞】

精選版日本国語大辞典

一(動詞「かすむ(霞)」の連用形の名詞化)

①空気中に広がった微細な水滴やちりが原因で,空や遠景がぼんやりする現象.また,霧や煙がある高さにただよって,薄い帯のように見える現象.

比喩的に,心の悩み,わだかまりどをいうこともある.《季・春》

②朝または夕方、雲や霧に日光があたって赤く見える現象。朝焼け。夕焼け。

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大和絵で時間的経過,場面の転換,空間の奥行きなどを示すために描かれる雲形の色面.多くは絵巻物に用いられた.

すやり霞

https://hokusai-kan.com/blog/3071/

http://ehon-emaki.meisei-u.ac.jp/heike/column/c5.html

 

霞を詠んだ短歌2

(古今短歌歳時記より)

 

ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく  後鳥羽院 新古今集

 

あはれなりわが身のはてや浅緑つひには野ベの霞と思へば  小野小町 新古今集

 

冬霞はたけのなかに枯草の山ある国ぞ相模のくには  太田水穂 螺鈿

 

春霞こめたる町のゆかしくてみおろしつつも高きに登る  窪田空穂 明闇

 

みほとけ の うつら まなこ に いにしへ の やまと くにばら かすみて ある らし  会津八一 鹿鳴集

 

春がすみとほくながるる西空に入日おほきくなりにけるかも  斎藤茂吉 あらたま

 

ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り  若山牧水 みなかみ 

 

ゆうがすみうすくつつめるこの岡野社の町に灯はともりたり  古泉千樫 屋上の土

 

わが居る 天の香具山。/おともなし。/春の霞は、谷をこめつつ  釈迢空 春のことぶれ

 

春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えなば大和と思へ  前川佐美雄 大和

 

ちちのみの父を葬りし日の晩霞濃かりしことはのちも思はむ  葛原妙子 橙黄