ススキ(すすき/薄/芒)を詠んだ短歌2  昨日の万葉集の歌に続いて,今日は古今集以降で,「すすき」を詠んだ歌を古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)から抜粋します. 君が植ゑし人むらすすき虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな 御春有助 古今集  野辺みれば尾花がもとのおもひ草かれ行く冬に成りぞしにける 和泉式部 新古今集  入江はなれ山あひに入るのぼり道夕かげの寒き穂薄の風 佐佐木信綱  胸深く古き牧歌の鳴るごとし暮れゆく原に尾花そよげり 大西民子

日本人が,古来,親しんできたすすき.

枕草子 64段

草の花は撫子(なでしこ),唐(から)のはさらなり,-----

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これに薄(すすき)を入れぬ,いみじうあやしと,人言ふめり.

秋の野のおしなべたるをかしさは,薄こそあれ.穂先の蘇枋(すおう)にいと濃きが,朝霧に濡れてうちなびきたるは,さばかりの物やはある.

秋の果てぞ,いと見所なき.色々に乱れ咲きたりし花の,かたもなく散りたるに,冬の末まで頭の白くおほどれたるも知らず,昔思ひいで顔に風になびきてかひろぎ立てる,人にこそいみじう似たれ.よそふる心ありて,それをしもこそ,あはれと思ふべけれ.

(この中に薄(すすき)を入れないのは,とても怪しい(とても納得できない)という人もいるだろう.

秋の野原の情趣が漂う風情というのは,薄あってのものなのである.穂先が赤くなった薄が,朝露に濡れて風になびいている姿は,これほどに素晴らしいものが他にあるだろうか.

しかし秋の終わりになると,本当に見所のないものになる.色々な色彩で咲き乱れている秋草の花が,跡形もなく散ってしまった後,冬の終わり頃に頭がもう真っ白に覆われてしまったのも知らずに,昔を思い出しながら風に顔を吹かれてゆらゆらと立っている,これは人間の人生にとても良く似ている.それに寄り添うような心があって,それを哀れと思っているのである.https://esdiscovery.jp/knowledge/japan5/makura037.html

 

「やさしい日本画」展が富山県美術館で - 日本画の“やさしさ”を読み解く、菱田春草や片岡球子など展示 - ファッションプレス

 

昨日の万葉集の歌に続いて,

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2022/09/28/233854

今日は古今集以降で,「すすき」を詠んだ歌を古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)から抜粋します.

 

「すすき/薄/芒」(2)

 

秋の野の草の袂(たもと)か花すすき穂に出でて招く袖と見ゆらむ  在原棟梁(むねやな) 古今集・秋上,二四三

 

 

君が植ゑし人むらすすき虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな  御春有助 古今集・哀傷,八五三

 

 

やどもせに植ゑ並めつつぞ我は見るまねく尾花に人やとまると  伊勢 後撰集・秋中,二八九

 

 

花薄まだ露ふかしほにいでては詠(なが)めじと思ふ秋のさかりを  式子内親王 新古今集・秋上,三四九

 

 

野辺みれば尾花がもとのおもひ草かれ行く冬に成りぞしにける  和泉式部 新古今集・冬 六二四

 

 

入江はなれ山あひに入るのぼり道夕かげの寒き穂薄の風  佐佐木信綱 山と水と

 

 

紅の芒の穂並くもり日の静かさふかく動く時かも  島木赤彦 切火

 

 

陸橋をわたらむとして片面(かたおも)に入り日の金のしろき穂すすき  太田水穂 鷺・鵜

 

 

落葉松(からまつ)のしげき木立にかこまれて薄の原はなびきなびきつ  斎藤茂吉 白桃

 

 

胸深く古き牧歌の鳴るごとし暮れゆく原に尾花そよげり  大西民子 まぼろしの椅子

 

 

山のなだりただ薄のみ陽に燦(き)らひ旅の心も白く染まりぬ  蒔田さくら子 森見ゆる窓

 

 

Poaceae - Wikipedia

http://sippe.ac.cn/gh/2010%20Annual%20Report/19.pdf