再び暑くなると覚悟していたら,本格的な暑さは来週とのこと.
今日は夏としてはかなり過ごしやすい日でした.
新型コロナ感染爆発の話題を離れようと毎日思いつつ,今日も取りあげます.
「政府には倫理的価値判断の議論を主導してもらえなかった」
「新型コロナウイルス感染症対策分科会(本稿では以下「専門家チーム」と略)」有志の記者会見で,社会学や研究・医療倫理が専門の武藤香織さんが語った言葉です.
青野由利さんが今日8月6日の毎日新聞「土記」
で書き留めています.
第7波における政府の施策は,明らかに「経済活動優先.その結果として死者の増加は許容する」というもので,間違いなく大きな「倫理的価値判断」が下されています.
その倫理的価値判断の議論を政府が主導しなかったと武藤さんは言ったのです.
青野さんは
「『経済活動優先の結果として死者の増加は許容する』というなら、それは「科学」ではなく「価値判断」だ。
政府はそれを、いつ、どう議論し、どういう判断基準で決めたのか。そこがブラックボックスでは不十分だと思うのだ」
と書いています.
その通りだとは思います.
ただ,武藤香織さんの言う「政府が議論を主導しなかった」には,何を意味しているかよく分からない部分が残ります.
1.「議論せずに政府が価値判断を押しつけてきた」のか.
2.「政府の主導がなかったから,仕方なしに『新型コロナウイルス感染症対策分科会(専門家チーム)』で価値判断の伴う施策を提言した」のか---
私の妄想かもしれませんが,そのミックス型が,実態に近いように思ってしまいます.
3(私の妄想):政府の暗黙の意思表示「経済活動を止めない」+ 専門家チーム「経済活動を止めない感染対策を提言」
⇒「行動制限なし」「死者の増加は許容」「経緯の説明は一切無し(できない?)」
いずれにせよ,結果として,専門家チームが「経済活動を止めない感染対策を提言=死者の増加を許容する価値判断」をしてしまったのでは?
「責任は政府にある」ことは動かしがたいことですが,私も含めた国民から見れば,専門家チームが主導したようにさえ見えてしまいます.
実際,専門家チームの中の経済専門家は行動制限に強く反対したと推測します.行動制限に賛成する経済専門家をほとんど見たことがありませんから.
疫学・公衆衛生の専門家の多くも経済活動を止めない感染対策をずっと模索していたように思います.
政府の狡猾さに乗ってしまったのかもしれませんが,「議論を主導してもらえなかった」と後から言うのではなく,政府に価値判断を迫る提言のやり方を工夫すべきでした.
青野さんの今回の土記の題名は「ファンタジーにあらず」.医療現場をよく知る阿南英明さんによる専門家有志の記者会見での発言を引用しています.
ファンタジーでないのは「国が社会経済活動の活発化を選ぶなら、高齢者を中心に重症者・死亡者が増加する恐れがある」という現実.
しかし,その現実に対して,政府は「行動制限しない」=「社会経済活動の活発化」=「高齢者の死を黙認する」を選んだのです.
施策の責任は政府にあるものの----
政府の意を汲み(多分),「行動制限」はおろか,「接触機会の減少」さえ呼びかけられなかった専門家チーム.
そして政府同様,「説明をしない」=「リスクコミュニケーション」を忘れた専門家チーム.
今まで世界に誇る成果を上げてきただけに,とても残念です.
今までの成果を端的に現すのが,パンデミックを通しての新型コロナウイルスによる死者総数でしょう.人口あたりの死者はとても低く抑えられてきました.
ただし,今年に入ってからのオミクロン株による死者数は,「欧米に比し圧倒的に少ない」とは言えなくなっています.
(以下データは COVID-19 Data Explorer - Our World in Data )
そして,7月の最終週からの死者の増加率はG7+オーストラリアの中で群を抜いており,1日あたり(7日間平均)の人口あたり死者数では,カナダを抜き去りフランスに迫る勢いです.
今までいくら低く抑えてきたとはいえ,個々人の死の痛みはとてつもなく大きいもので,「今までの成果」は死者とその家族・友人に対しては何の慰めにもなりません.
そして,今回の第7波における死亡者は,「(価値判断をしたという)何の説明もないまま」の「行動制限なし」「経済優先」施策の犠牲者なのです.
「高齢者を思って行動制限してください」.これが,つい最近,尾身茂分科会会長が語っていた言葉であることを,国民は覚えています.
第7波の死者は,少なく見積もっても第6波と同等.一万人を優に上回るのではないでしょうか?