ハス(蓮)5  古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)から: 古くは万葉集に登場する蓮.現代に至るまで,詩・短歌の題材となってきました.仏教で特別な意味を与えられていたため,中世〜現代にいたるまで,仏教色の見える詠草も.一方,唐詩には仏教色はなく,自然の景物としての蓮が詠われていました.「芙蓉(ハスの花の異称)は面の如く柳は眉の如し 白居易」 ひとたびも南無阿弥陀仏といふ人の蓮(はちす)の上にのぼらぬはなし 空也  紅蓮(べにはちす)咲けるかたはら花落ちて立てる花托の青うひうひし 葛原繁

蓮について,四回にわたって整理してきましたが,今日は,蓮を取りあげた和歌を古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)からいくつか紹介して最終回としたいと思います.

 

古くは万葉集古事記にも登場する蓮.現代に至るまで,詩・短歌の題材となってきました.

 

短歌を紹介する前に---

枕草子唐詩での扱いについての「古今短歌歳時記」の記載から

蓮には仏教で特別な意味を与えられていたため,中世〜現代にいたるまで,仏教色の見える詠草も.

短歌ではありませんが,清少納言も「妙法蓮華のたとひにも、花は佛にたてまつり」としています.

 

枕草子 63段

蓮葉,よろづの草よりもすぐれてめでたし.

妙法蓮華のたとひにも,花は佛にたてまつり,實は数珠につらぬき,念佛して往生極楽の縁とすればよ.

また,花なき頃,みどりなる池の水に紅に咲きたるも,いとをかし.

翠翁紅とも詩に作りたるにこそ.

 

『枕草子』の現代語訳:36

https://esdiscovery.jp/knowledge/japan5/makura036.html

蓮の葉というのは,他のあらゆる草よりも優れていて立派である.妙法蓮華経の名前にもその蓮が使われているように,蓮の花は仏様にお供えして,その実は数珠(じゅず)の玉として貫き,念仏を唱えて往生極楽に生まれ変わる縁にしようとするものなのだから.また,他の花がない初夏の季節に,緑色をした池の水に,紅の蓮の花が咲いているのも,非常に趣きがある.翠翁紅(すいおうこう*)という言葉で,詩に歌われているほどである.

 

*『枕草子講座』第四巻 枕草子の源泉 中国文学 (矢作 武)

http://lafete-biboroku.seesaa.net/article/442148667.html

「翠翁紅」は未詳とされているが,和漢朗詠集上,蓮に見える許渾「煙開翠扇清風暁水泛紅衣白露秋」(秋晩雲陽駅西亭蓮池)の「翠扇紅衣」の,後人の書写の誤りではなかろうか.

 

一方,唐詩には仏教色はなく,自然の景物としての蓮が詠われていました.

 

和漢朗詠集 許渾  より

煙,翠扇(すいせん)を開く清風の暁

水,紅衣(こうい)を泛(うか)ぶ白露の秋

 

許渾「秋晩、雲陽駅西亭の蓮池」詩 :: 椿雪齋 加藤秀城

初秋の晩,清風の吹く池,水煙の中から,緑の扇のような蓮の葉が広がっています.水面には,紅の衣装を浮かべたように蓮の花が映じています.

 

ふ‐よう【芙蓉】

アオイ科の落葉低木.②蓮の花の異称. (日本国語大辞典

 

 

長恨歌 白居易 より

帰り来たれば池苑(ちえん)皆(みな)旧(きゅう)に依(よ)る

太液(たいえき)の芙蓉(ふよう) 未央(びおう)の柳

芙蓉(ふよう)は面(おもて)の如(ごと)く柳は眉の如し

此(これ)に対して如何(いかん)ぞ涙の垂れざらん

 

白楽天 「長恨歌」(二) 漢詩の朗読

一行が長安宮に帰ってくると,池も苑もみな昔のままだった.

太液池のはすの花.未央宮の柳.

はすの花は楊貴妃の顔のように,柳は楊貴妃の眉のように思われる.

これに対して,どうして涙が垂れるのを抑えられよう.

 

 

白居易(白氏文集 県の西郊の秋,馬造に寄贈す)  和漢朗詠集 より

風荷(ふうか)の老葉  蕭条(しょうじょう)として緑に

水蓼(すいりょう)の残花  寂寞(せきばく)として紅なり

 

https://blog.goo.ne.jp/tiandaoxy/e/c83a00f1744becf245a02738f216a2f4

蓮の枯れ葉は風に揺れ  残る緑はものさびしく

散り残る水蓼の花の紅  水に淋しく映えている

 

 

白居易(白氏文集 階の下の蓮)  和漢朗詠集 より

葉展(の)びては影翻(ひるがえ)る 砌(みごり)に当れる月

花開(ひら)きては香(か)散ず 簾(すだれ)に入る風

 

http://yamatouta.asablo.jp/blog/2010/06/28/

蓮の葉が伸びて,汀の石に射す月光の下,その影がひるがえっている.

蓮の花が咲いて,簾へと吹き入る風の中,その香がまき散らされる.

 

 

蓮を詠んだ短歌

 

ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉に 溜まれる水の 玉に似たる見む   作者不詳(万葉集 巻十六 3859)

 

 

秋近くはちすもひらく水のおもにくれなゐ深く色ぞみえける  山部赤人 (赤人集・53)

 

 

はちすばのにごりにしまぬ心もてなにかはつゆをたまとあざむく  遍昭 (古今集・夏・一六五)

 

 

ひとたびも南無阿弥陀仏といふ人の蓮(はちす)の上にのぼらぬはなし  空也 (拾遺集・哀傷・一三四四)

 

 

小舟さし手折りて袖にうつし見むはすの立葉の露の白玉  藤原俊成 (長秋詠藻・上・二九)

 

 

くれなゐの八重てり匂う玉はすの花びら動き風わたるかも  伊藤左千夫 (左千夫歌集)

 

 

砂山のかげの入江の花はちすしずけき陰に鯔(いな)の子とぶ  若山牧水 (くろ土)

 

 

夕かげに茂れる蓮を掘り立てて香しき葉を抱へ出しぬ  土屋文明 (六月風)

 

 

紅蓮(べにはちす)咲けるかたはら花落ちて立てる花托の青うひうひし  葛原繁 (玄)

 

 

幾万といふ蓮咲きて伊豆沼の水のはたての朝露匂ふ  板宮清治 (風塵)