合歓の花に昨日出会い,今日は,合歓を詠んだ歌を「古今短歌歳時記 鳥居正博 教育社」からいくつか紹介したいと思っていたのですが---前書きにあった,合歓を詠んだ芭蕉の句で止まってしまいました.合歓を詠んだ芭蕉の句は,奥の細道「象潟」にあります. 象潟や雨に西施が合歓の花 芭蕉  象潟の夏の煙雨の夕暮れに咲くねぶの花に,中国の美女西施が眼をとざしてねむる姿をダブらせたもので,西施の発想は蘇東坡に基づいている.(鳥居正博) 

昨日出会うことができた合歓の花.

(合歓は「ねむ」が一般的ですが,「ねぶ」「こうか」ともよみます)

 

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2022/06/27/235751

 

今日は,合歓を詠んだ歌を「古今短歌歳時記 鳥居正博 教育社」からいくつか紹介したいと思っていたのですが---

その前書きにあった,合歓を詠んだ芭蕉の句で止まってしまいました.

古典の教養が全くない私.以下の事項を整理するだけでいっぱいいっぱいになってしまいました.

 

 

合歓を詠んだ芭蕉の句は,奥の細道「象潟」にあります.句自体は知っていましたが,その背景について,いくつかのウェブサイトを頼りに改めて整理しておきます.

ご存じの方にとってはとても退屈な話に違いありませんが,私は昔々聞いたことがあったと思うだけ.知らぬも同然でしたので.

 

 

奥の細道(象潟  元禄2年6月15日~18日)

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此寺の方丈に座して簾(すだれ)を捲ば、風景一眼の中(うち)に尽て、南に鳥海、天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。

西はむやむやの関、路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道 遙に、海北にかまえて、浪打入る所を汐こしと云。

江の縦横一里ばかり、俤(おもかげ)松島にかよひて、又異なり。

松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。

寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。

 

象潟や雨に西施が合歓の花

(きさかたや   あめにせいしが   ねぶのはな)

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(現代語訳 

https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno27.htm )

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この寺(干満珠寺)の方丈に座って簾を上げると、風景は一望の中に見える。南に鳥海山、天を支えて屹立し、その影は象潟の海に映る。

西はむやむやの関が道を塞き止め、東には堤を作って秋田へ向かう道が遥かに続く。

海は北に構え、その波の入ってくる辺りを汐越と言う。

入り江の縦横は四キロほど。

その俤は松島に似て、松島とは違う。松島は笑うが如く、象潟は、寂しさに悲しみを加えてうらむが如く。

その地形は愁いに沈む女の姿だ。

 

象潟の美景の中、雨にぬれる合歓(ねむ)の花は、眠りについた西施の面影を彷彿(ほうふつ)とさせる(佐藤勝明氏訳)  https://www.minyu-net.com/serial/hosomichi/FM20200224-462351.php

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この句について,鳥居正博氏は,次のように解説しています.上記と一部ダブりますが.

 

---これ(この句)は,象潟の夏の煙雨の夕暮れに咲くねぶの花に,中国の美女西施が眼をとざしてねむる姿をダブらせたもので,西施の発想は蘇東坡(そとうば)の「湖上に飲せしが初め晴れ後は雨ふれり」二首の内の二の七絶

 

水光瀲灔(れんえん)として晴れてまさに好し

山色空濛(くうもう)として雨も亦(また)奇なり

西湖を把(と)って西子に比せんと欲すれば

淡粧濃抹(たんじゅうのうまつ)総(すべ)て相宜(よろ)し

 

(現代語訳 

https://kanshi.roudokus.com/kojyouniinsu.html

水面がキラキラと輝き、さざなみが揺れている。

晴れた日の西湖は実に素晴らしい。

また霧雨で山の色が朦朧とにじんでいる、

雨の日の西湖も味わい深いものだ。

西湖の様子を伝説的な美女西子(=西施)に比べようとすれば、

薄化粧も厚化粧も、どちらも似合っていて、素晴らしい。)

 

に基づいている.

西子は西施のことで,春秋時代に越王勾践(こうせん)が越王夫差に献じた美女で,病む胸に手を当て眉をひそめた容姿で知られている.

 

 

このような背景を知った上で,改めて合歓の花を見て,そして芭蕉の句を味わうと,「芭蕉は凄い」と思います.

 

合歓の花 - Google 検索

 

象潟 絶景 - Google 検索