この一週間,二編の詩がとても気になっていました.どのような詩なのかと.
一つは,谷川修太郎訳「ラベンダーは青い」(マザーグースのうた).
もう一編は,長田弘「イツカ,向コウデ」(死者の贈り物).
「ラベンダーは青い」は,ラベンダーをこのブログでとりあげたときに思い出し,「実際はどのように訳されていたっけ?」と.
yachikusakusaki.hatenablog.com
「イツカ,向コウデ」は,NHKBSプレミアム「神様の木に会う 〜日本巨樹の旅〜」の中で,一部だけ取り上げられた詩.
神様の木に会う~にっぽん巨樹の旅~ | NHK放送史(動画・記事)
https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/01/08/001815
https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/01/12/000423
二編とも,調べることができました.以下に引用させていただきます.
https://www.amazon.co.jp/マザー・グースのうた-第1集-おとこのこってなんでできてる-おんなのこってなんでできてる-俊太郎/dp/4794200374
ラベンダーはあおい ランラララン
谷川俊太郎 訳
ラベンダーはあおい ランラララン
ラベンダーはみどり
ぼくがおうさまになったなら ランラララン
きみはおきさきさまなのさ
けらいをあつめろ ランラララン
みんなしごとにかからせろ
はたけをたがやせ ランラララン
にぐるまごろごろ ひいてゆけ
ほしくさつくれよ ランラララン
むぎもわすれずうっておけ
ぼくときみとは ランラララン
ベッドでぬくぬく あったまる
(死者の贈り物 みすず書房)
イツカ、向コウデ
長田 弘
人生は長いと、ずっと思っていた。
間違っていた。おどろくほど短かった。
きみは、そのことに気づいていたか?
なせばなると、ずっと思っていた。
間違っていた。なしとげたものなんかない。
きみは、そのことに気づいていたか?
わかってくれるはずと、思っていた。
間違っていた。誰も何もわかってくれない。
きみは、そのことに気づいていたか?
ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。
生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。
きみは、そのことに気づいていたか?
まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
きみは、そのことに気づいていたか?
サヨナラ,友ヨ,イツカ,向コウデ会オウ。