ワクチン頼みの危うさ
青野由利
毎日新聞 土記 2021/6/12 東京朝刊
もちろん,ワクチンは重要だ.ウイルス感染症対策にとって,切り札といっていい.
天然痘撲滅も,ポリオや狂犬病,麻疹などの感染防止も,ワクチンがあればこそ.
新型コロナウイルスのワクチンも,(事情のある人を除き)できるだけ多くの人に,なるべく早く打つことは大事だと思う.
ただ,気がかりがある.菅義偉首相や政府の言動に「ワクチン接種ですべて解決」という楽観が感じられることだ.
今週,厚生労働省の専門家会合には複数の専門家がワクチンまで考慮に入れた感染状況のシミュレーションを提出した.いずれも,このまま接種が進んでも,感染対策が緩めば,感染拡大や医療の逼迫(ひっぱく)が起き,重症者や死亡者が増える可能性を示している.
考えてみれば当然.7月末に多くの高齢者の接種が終わっても,感染の中心である若者や中高年はまだまだ.ワクチンで五輪が安全に開催できると思うのは幻想だ.
ワクチン頼みの危うさを示すデータは他にもある.世界の状況から分析するのは,新型コロナ対策分科会のメンバーで,感染症制御を専門とする押谷仁さんだ(⇒*).
イスラエルなどワクチン接種率が高く,感染者数が低く抑えられている国は確かにある.一方で,見逃せないのは,高い接種率にもかかわらず感染者数が増加している国がある点だ.
例えば英国.一時期かなり新規感染者数が減っていたが(⇒**),直近では増加傾向にある.人口当たりの感染者数は日本より相当多い(⇒***).
ワクチン接種で感染者が減ったと見られている欧米やイスラエルで,昨年11月から非常に大きな流行が起きていたことも注目点だ.
これにより自然感染した人が米国,イスラエルでは人口の1割,フランスで8%以上,英国で6%以上.軽症・無症状の人を考慮に入れると,感染で免疫を獲得した人はさらに数倍と推定される.
「自然感染の多さも,各国の感染者の減少にかなり影響しているはずだ」と押谷さんはみる.
では日本は? 感染によって免疫を獲得したと推定される人の割合は英国の10分の1以下.感染感受性のある人が大量に残っている.いわば「不利な状況」だ.
高齢者の接種が進めば重症者や死亡者は減るだろう.だが,流行がこれまで以上に拡大すれば,高齢者だけでなく,中高年でも重症者や死亡者が増えてしまう.変異ウイルスがそれに追い打ちをかけるかもしれない.
ワクチンの恩恵を生かすためにも楽観は禁物だ.
(専門編集委員)
⇒*
かなり詳しい内容が,押谷仁教授へのインタビュー記事になっています.
https://mainichi.jp/articles/20210612/k00/00m/040/088000c
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押谷仁さん「英国などで感染者数が減少したのはワクチンだけではなく、いくつもの要因が重なっています。まず、英国などでは今年の初めに大規模な感染拡大が起き、そのためロックダウンを含む厳しい措置が取られていました。英国ではその緩和が、5月17日に始まったばかりです」 https://mainichi.jp/articles/20210612/k00/00m/040/088000c
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押谷仁さん「対策の緩和を進めている英国は現在感染者数が増加しており、1週間の人口当たりの感染者数では日本の5倍以上(10日時点)になっています。これは緩和を早く進め過ぎたことが主な原因だと考えられます」https://mainichi.jp/articles/20210612/k00/00m/040/088000c
(グラフの横軸がカレンダーではなく,発症例が確認されてからの日数であるため,イギリスと日本のこのグラフがずれている)
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