カリテス3 ローマ神話ではGratiae.優雅と美のギリシャ神話の女神カリテスは,ローマ期になると感謝と博愛の女神とみなされるようになっていきます.このローマ期,三人のカリスたちの像は,恩恵(gratia)の行為を表現しているとされ,その像が描かれるべき形についての論が残されています.セネカは「三美神は恩恵の三行為をあらわしている」とし,セルヴィウスは「ひとりが後ろ向きの姿であらわされ,他の二人が我々の方を向く.倍の報いがあることを示すため」と記しました.

カリテス3

 優雅と美の女神たちカリテス(単数形カリス).英語のthe Graces(グレイシーズ)の名前でなじみ深い女神たち.

 ピンダロスは“祝祭の場を取り仕切る女神たち”と歌っています.

カリテス1 英語のthe Graces(グレイシーズ)の名前でなじみ深い女神たち. 髪うるわしいカリスたちや喜びみちたホーライ---手をとりあっては - yachikusakusaki's blog

カリテス2 優雅と美の女神たちカリテスは,また,祝祭の場を取り仕切る女神たちでした.「三人のカリテスよ.私の祈りを聞いてください.あなたの贈り物の中には,人間の魂を豊かにするすべての喜びと,知恵であれ,美であれ,栄光であれ,すべての甘いものがあるからです.不死の神々も,カリテスの助けを借りずに,踊りや祭りを行うことを命じることはできません」(オリンピア頌歌) - yachikusakusaki's blog

 

 しかし,ギリシャローマ神話の原典では,あまり活躍する場面がありません.

にもかかわらず,カリテス/グレイシーズの名は広く知られ,ルネサンス以降,数多くの絵画・彫刻・文芸で取り上げられています.

中でも,広く知られているのがボッティチェッリ「春 プリマベーラ」に登場する三美神.

f:id:yachikusakusaki:20200929233109j:plain

ただし,この「春」の三美神は,それぞれ,美・貞節・愛(愛欲)の女神とされ,ヘーシオドス「神統記」が伝える役割とは異なっています.

 

アグライアー(アグライア「輝き (Aglaia)」)、

エウプロシュネー(エウフロシュネ/エウプロシネ「喜び (Euphrosynē)」)、

タレイア(「花の盛り/繁栄 (Thaleia)」)

 

 古代ギリシャからルネサンスに到る間に,カリテスを見つめる眼差しが大きく変化していました.

高階秀爾著 ルネッサンスの光と闇—芸術と精神風土(中公文庫)」は,その変遷が,時代の精神風土を反映したものであることを解説しています.

 すくい取れる範囲で,以下,三美神の役割の変遷を私なりになんとかまとめてみます---

高階氏の読みやすい文章にひかれ,まとめはじめましたが,高梨氏が取り上げる“時代の精神風土”には,ギリシャ哲学,ルネサンスの意味/ネオプラトニズム等が関わっていて,これらに全く素養のない私にとってはかなり無謀な挑戦でした.

 少しずつになります.また,間違いもあるかと思いますので,興味のある方はぜひ原文を.

 

三美神像の変遷

カリテスは,ローマ神話ではGratiae.ありがとうという感謝の言葉.

このGratiaeという名前に導かれ,優雅と美のギリシャ神話の女神カリテスは,ローマ期になると感謝と博愛の女神とみなされるようになっていきます.

 

後期ローマの作家たちは、グラチエを感謝と博愛の象徴として描写しています.自分たちの言語でのgratiaという言葉の意味に導かれて.

Late Roman writers describe the Charites (Gratiae) as the symbols of gratitude and benevolence, to which they were led by the meaning of the word gratia in their own language.(Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology  CHARITES (Kharites) - The Graces, Greek Goddesses of Pleasure & Joy )

 

 そして,高階氏によれば,このローマ期,三人のカリスたちの像は,恩恵(gratia)の行為を表現しているとされ,その像が描かれるべき形についての論が残されています.

 

セネカ古代ローマストア派哲学者,紀元前1年頃〜紀元後65年)

 「三美神は恩恵の三行為(与える,受ける,返す)をあらわしている.恩恵は受けるのも返すのも手によっているので,手をつなぎ輪になっている形をとる」

▽セルヴィウス(文筆家 紀元四世紀)

 「三美人のうちひとりが後ろ向きの姿であらわされ,他の二人が我々の方を向く.一つの恩恵に対して,その倍の報いがあることを示すためである」

 「美神はあらゆる偽りの姿を否定するから,赤裸の姿を見せなければならない」

 

 三美神は,ヘレニズム期〜ローマ期には絵画や彫刻の題材となっていて,残されているものは,すでに同じような構図をとっています.時代の精神風土を形づくっていたのは,哲学者や文筆家であり,彼らの論が像の構図に強い影響を与えていたものと考えられます.

 ただし著名な哲学者・セネカの言うように手を取り合う像は残されず,ディスク,彫刻,壁画として残っている三美神の姿は,セルヴィウスが書き記した構図となっています.

f:id:yachikusakusaki:20201001232801j:plain

Grace | Definition & Facts | Britannica

f:id:yachikusakusaki:20200929230825j:plain

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Three_Graces_-_Piccolomini_Library_-_Duomo_-_Siena_2016.jpg

f:id:yachikusakusaki:20200928011035j:plain

CHARITES (Kharites) - The Graces, Greek Goddesses of Pleasure & Joy

そして,ルネサンス

 

ルネサンスとは,ブリタニカ国際百科事典によれば:

 14~16世紀のヨーロッパ社会の転換期に起った革新的な文化運動. renaissanceは「再生」を意味するフランス語だが,「文芸復興」と訳されることが多い。ギリシア,ローマの古代文化を理想とし,それを復興させつつ新しい文化を生み出そうとする運動で,思想,文学,美術,建築など多方面にわたった.

 

 この流れに沿って,三美神も復興され,造形的には古代の先例が踏襲されます.

 アルベルティは「絵画論」(1435年頃)で,セネカの見解を説明しています.

“かの女たちが美しい衣装をベルトでとめた姿で互いに手をつなぎ合って笑っているように描かれるのが望ましい.

一人は恩恵を与え,他の一人は受け取り,3番目は喜びを与えるからである.”

 

 しかし,この既に存在しているモティーフに新たな意味内容が与えられていきました.

その論を主導したのが,ルネサンス期のネオ・プラトニズム哲学者フィチーノ(1433 - 1499)であり,その弟子ジョヴァンニ・ピーコ(ピコ)・デッラ・ミランドラ(1463 - 1494).

彼らは,古代ギリシャのネオ・プラトニズムの「循環」の論理を復活させると同時に,キリスト教神学を融合させます.

 フィチーノは愛について,次のように記しています.

 

 『愛について』 その循環は-------,まず神にはじまり,神に発する,すなわち〈美〉である.次いでそれは,世界に移行して自己自身を捉える,すなわち〈愛〉である.そしてさらにそれは,創造者のもとに戻りながら.それによって自己の仕事を完成する.すなわち〈快楽〉である.つまり,一言で言えば,〈愛〉は〈美〉にはじまって,〈快楽〉に終わるわけである.

 

三美神は,恩恵の三行為を示すものから,「美と愛と快楽」を表す姿へと,その意味内容が変えられました.

 

(続く)