楝(あふち)/ 栴檀せんだん 霊園でも花が少ない夏場.サルスベリやアベリアの花の間に,大きく育ったセンダンの緑がとても美しい霊園の午後でした.センダンの古名はあふち(楝).万葉集にも詠み込まれていることがよく知られています.妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくにも 山上憶良 万葉集 巻五・798(802)

昨日,18日.

とても暑い1日でした.

 

我が家の植物たちは暑さ負けで,オミナエシ・セイヨウフジバカマ(ユーパトリウム)を除くと,花を落としています.

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ハイビスカスも元気がありません.一旦咲き始めたのに,その後の開花はチラホラ.

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昼前,買い物ついでに立ち寄った高級フラワーショップでは,クレマチスとともにハイビスカスが店のまん中で主役を演じていましたが.

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もう一種.主役顔だったのはクルクマ.私には初めての出会い.

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クルクマCurcuma は,ウコン属(ショウガ科)のラテン名.もともとはアラビア語とか.

店に並んでいたのは,おそらく,鑑賞用栽培種のクルクマ・シャローム

ショウガ科近縁のジンジャーリリー(ハナシュクシャ ヘディキウム/シュクシャ属 ショウガ科)が大好きな母親が好みそうな花姿----.

しかし冬場の管理が大変そうなので購入は見送り.

 

午後は,暑い中,お墓参りに霊園へ.

カーステレオには似合わないマタイ受難曲をかけながら.ふっと涙の出そうになる.

 

夏場は霊園でも花が少なく,この時期会う種類は毎年同じ.

目立つのはサルスベリ

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目線を下げればアベリア(ハナゾノツクバネウツギ/ハナツクバネウツギ/ツクバネウツギ).

それに絡まるヘクソノカズラ.

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墓園にめぐらされた道路の街路樹の一つがハナミズキであることを発見.大きく育っていて,5月に来園すれば見事な花に出会えそう.

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その奥に,緑がとても美しい,更に大きな樹木.

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近寄って札を見るとセンダン(栴檀).

(「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は日本名白檀で別種)

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これも5月には花を咲かせるはずですね.来年は,一度,5月に来園してみましょうか.

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 センダン - Wikipedia

 

センダンは,

ムクロジ目 Sapindales,センダン科 Meliaceae,センダン属 Melia,

センダン M. azedarach.

 

古名は,あふち(楝).

万葉集にも詠み込まれていることがよく知られています.

 

楝(あふち)/ 栴檀せんだん

 

妹(いも)が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干(ひ)なくにも 

山上憶良 万葉集 巻五・798(802)

 

妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくにも

 

▽山田卓三「万葉植物つれづれ(大悠社)」

 あふちは,センダンの古名ですが,香木の栴檀(せんだん)ではなく,「栴檀は双葉より芳し」の栴檀はびゃくだん科の白檀です.

センダンの花は小型の薄紫,派手さはありませんが,落ち着いた上品な感じの花です.

ここでは旅人の妻,大友郎女(いらつめ)の象徴として,また旅人の心中の思いにこれを重ねています.

樹皮は駆除剤,果実はひび・あかぎれなど薬用として利用されていました.

ところが江戸時代になって刑場の周りに植えるなどしたため,万葉時代とは違ったイメージとなってしまいました.

 

斎藤茂吉 「万葉秀歌」

 前の歌

: 悔(くや)しかも かく知らませば あをによし 国内(くぬち)ことごと 見せましものを 巻五(七九七)

の続で,憶良が旅人の心に同化して旅人の妻を悼んだものである.

楝は即ち栴檀で,初夏のころ薄紫の花が咲く.

 一首の意は,

妻の死を悲しんで,わが涙の未だ乾かぬうちに,妻が生前喜んで見た庭前の楝の花も散ることであろう,

というので,逝く歳月の迅きを歎じ,亡妻をおもう情の切なことを懐うのである.

 この楝の花は,太宰府の家にある楝であろう.そして,作者の憶良も太宰府にいて,旅人の心になって詠んだからこういう表現となるのである.

この歌は,意味もとおり言葉も素直に運ばれて,調べも感動相応の重みを持っているが,飛鳥・藤原あたりの歌調に比して,切実の響を伝え得ないのはなぜであるか.

恐らく憶良は伝統的な日本語の響に真に合体し得なかったのではあるまいか.

後に発達した第三句切が既にここに実行せられているのを見ても分かるし,

「朝日照る 佐太の岡辺に 群れゐつつ 吾が哭く涙 止む時もなし」(巻二・一七七),

「御立(みたて)せし 島を見るとき 行潦(にはたづみ)ながるる涙 止めぞかねつる」(巻二・一七八)

ぐらいに行くのが寧ろ歌調としての本格であるのに,此歌は其処までも行っていない.

この歌は,従来万葉集中の秀歌として評価せられたが,それは,分かり易い,無理のない,感情の自然を保つ,挽歌らしいというような点があるためで,実は此歌よりも優れた挽歌が幾つも前行しているのである.

 天平十一年夏六月,大伴家持は亡妾を悲しんで,

「妹が見し屋前に花咲き時は経ぬわが泣く涙いまだ干なくに」(巻三・四六九)

という歌を作っている.これは明かに憶良の模倣であるから,家持もまた憶良の此一首を尊敬していたということが分かるのである.

恐らく家持は此歌のいいところを味い得たのであっただろう.(もっとも家持は此時人麿の歌をも多く模倣して居る.)

 

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